第94話 真意は更なる深淵の彼方へ
かつて俺がフォルテに自分の外套を着せて体を隠してやったように、今回はフォルテが外套を着せてくれた。
この外套は元々俺が着ていたものなので、サイズは問題ない。脛を見せた巨大照る照る坊主のような格好になったが、やっと着るものが得られたという安堵感で俺はほっと一息ついた。
俺の全身を値踏みするように見つめながら、リュウガがぽつりと言う。
「何か……こういう格好の奴たまにいるよな。マッパにコートだけ着て電車に乗ってる奴」
それってあれだよな。露出狂ってやつだよな?
昔一度だけ遭遇したことがある。そいつは多分俺の隣に座っていたお姉さんを狙っていたのだろうが、隣にいたので見る気もなかったのについ視界に入れてしまったのだ。
今の俺みたいにたるんだ腹をしている割に反り立ったそれが随分とでかくて立派だなと意味不明な感心をしてしまったことを今でも覚えている。
って、そんなしょうもない過去の体験談はどうでもいいのだ。
俺は持っていた杖でリュウガの頭を軽く小突いた。
「人を犯罪者扱いするな。俺だって好きでこんな格好をしてるわけじゃないんだから」
「理由を聞いてなかったらスライスしてるところだよ。全く、変なもの見せないでよね」
溜め息をついて俺から視線を外すアヴネラ。
スライスって、何処を? どうやって? ……とは恐ろしくて訊けない。
彼女の慈悲も涙もない言葉に、俺の背筋に悪寒が走った。
「……と、とにかくだ」
気を取り直して、俺は皆に言った。
「家政婦たちが襲ってきたのは、彼女たちの独断だとはどうしても思えない。多分そうするように命令したのはあの領主だ。あいつと接触して、こんな馬鹿なことはやめさせたいと思う」
「はぁ、ったく最初から叩きのめしてりゃ良かったんだよ。どうしておっさんってのは理屈ばっか並べたがるんだろうな? 男なんだからもうちっと思い切りってもんを持てよ」
「何でもかんでも暴力に頼ろうとするんじゃない」
対話の通じない
それとも……世間的にはリュウガの言うことの方が正論で、俺の方が間違っているのだろうか?
俺の嗜めをリュウガはへっと鼻で笑い飛ばして、部屋の入口に目を向けた。
「そんじゃ、野郎を探しに行くか。売られた喧嘩はしっかり買ってやるのが礼儀ってもんだからな」
「そういえば……シキは? あいつは一緒じゃなかったのか?」
俺の質問にアヴネラが答える。
「さあね。君がお風呂に入りに行ってる間に、領主と何処かに行っちゃったよ。一緒にいるんじゃない?」
「……そうか」
シキは、この騒動のことを知っているのだろうか。
あいつが俺たちに対して友好的なのは分かっている。できれば巻き込みたくはないのだが……
シキが俺たちの味方になってくれることを願って。俺たちは、この屋敷の何処かにいるであろうラウルウーヘンを探して屋敷の捜索を開始した。
おそらくそこは、書斎として使われている部屋なのだろう。壁に並ぶ本棚にずらりと並んだ書物の存在が、その空間に厳格的な雰囲気を与えている。
床一面にシックな色合いの絨毯が敷かれ、部屋の最奥には書斎机と思わしきアンティークっぽいデザインの木の机が置かれている。そこの席に悠然と腰掛けて、ラウルウーヘンは部屋に入ってきた俺たちのことを微笑みながら見つめていた。
「メイドたちの手には負えなかったか。まあ、ある程度は予想できていたことだ、今更驚きはしないがね」
「あんた……俺たちに手を出したってことは、あんたが食事の席での発言は全部なかったことにするという判断をして構わないということか?」
俺の質問に、奴は笑顔を崩さぬまま返してきた。
「今、森への手出しを止めるわけにはいかないのだよ。エルフたちには……滅びてもらわねば、困るのでね」
「……どういうこと、それ」
一歩前に出てアヴネラがラウルウーヘンを睨み付ける。手にした弓を、いつでも一撃を放てるように構えている。
そういえば、アヴネラは弓を使うのに必要不可欠であるはずの矢を全く持っていないが……弓だけで、一体どうやって相手を射るというのだろう。
弓で狙われても、ラウルウーヘンは全く動じる素振りを見せない。
「どういうこと、とは? 言葉通りの意味だよ。エルフ族は我々にとって反抗的だからね、本格的に牙を剥かれる前に消しておくに越したことはないのさ。君たちも、偶然見かけた芋虫を毒蛾の子かもしれないから念のために駆除しておこうとするだろう? それと同じことさ」
「まさか……森の木を伐採していたのは、最初からそれが狙いで……っ!?」
ぎっ、とアヴネラの瞳に憤怒の色が宿る。
弦を引く指に、力が込められた。
「よせ!」
俺が叫ぶのと同時に、彼女の手が限界まで引き絞っていた弦を手離す。
何も番えられていなかったはずの弓は、確かに『矢』を射っていた。突如として出現した白い光の矢は空間を貫いて、まっすぐにラウルウーヘンの顔めがけて飛んでいく。
ラウルウーヘンは机の上に置かれていた羽根ペンを手に取った。
尖っているペン先に掌を押し当てて、そのまま、何の躊躇いもなくそこを突き刺す!
だらりと掌を伝い落ちる血。それを俺たちへと見せながら、奴は一言呟いた。
「ダークホール」
奴の目の前の空間が、歪む。
虚空を裂くように現れた真っ黒な穴のようなものが、光の矢を飲み込んで、消えていく。
「……エルフ族を擁護しようとする君たちも、我々にとっては邪魔者だ。此処で消えてもらうとしよう。──シキ」
──その静かな呼びかけに。
それまで傍らで黙したまま事の成り行きを見守っていたシキが、動いた。
腰の刀を鞘から抜きながら、無表情の顔を、俺たちの方へと向ける。
その右頬には──複雑な形をした謎の文字が、真っ赤な光を纏いながら存在を誇示していた。
何だ、あれは? あんな模様なんてシキの顔にはなかったはずだが……
「命令だ。その者たちを一人残らず始末しろ」
「…………」
返事はせずに、ゆっくりとした動作で俺たちの前に出てくるシキ。
その表情に、意思の存在は感じられない。まるで与えられた命令を淡々と遂行するだけの機械のような存在に感じられた。
「やめろ! シキ!」
「へっ……所詮は御主人様の忠実な犬ってか。構わねぇぜ、あんたが来るんなら、それでも。まとめてぶっ飛ばしてやるよ」
にやりとして左右の腰の剣を抜くリュウガ。
顔は笑っているが、その裏には殺気を含んだ威圧の気が見え隠れしている。
彼は、本気でシキと刃を交えるつもりだ。
流石にリュウガから向けられる気を無視はできなかったか、シキが刀を体の前で構える。
そして、一瞬だけ静寂がこの場に満ちて──二人は、各々の得物を振るいながら相手に肉薄した!
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