第80話 おっさん、嵌められる

「おい、起きろ」

 頭上から掛けられるリュウガの呼び声。時折脇腹を小突く固い金属の感触。

 俺は何だか異様に眩暈を感じる頭を振りながら、ゆっくりと目を開けた。

 まず、目に入ったのは天井だった。立てば頭が付きそうなくらいに低い木の板。それを見て、俺は馬車に乗っていたのだということを思い出す。

 そうだ、俺は闘技場の地下牢から逃げ出して、街の外で会った商人のガクに助けられて、彼の馬車に乗ってエルフの国の近くにあるという街を目指して出発したんだっけ。

 差し入れられたパンを食べて少し腹が膨れたら疲れてたこともあって眠くなって、何処かに着いたら起こしてくれと皆に頼んで仮眠を取って──

 そうか、ようやく何処か落ち着ける場所に着いたのか。そう思い、身を起こそうとするが……何故か体はこれっぽっちも動かない。

「うう?」

 それだけじゃない。喋ることもできなくなっている。

 一体どうしたんだ、俺の体は。訝って、自分の体に視線を落とし──ようやく、気が付く。


 俺は、全身を荒縄で縛り上げられて猿轡まで噛まされていた。


「ん、んん? むぅぅ?」

「わっ、急に動くな。椅子から落ちるだろうがよ」

 身じろぎをする俺をリュウガが叱る。

 視線を横に移すと、俺の隣で斜めにひっくり返りかけた格好で、同じように全身を荒縄で縛られているリュウガの姿が目に入った。

 脇腹に当たっていた金属の感触は、こいつが俺を蹴っていたからか。確かこいつの靴は爪先と踵に金属が仕込まれているやつだったからな。

 俺は何とか動かせる範囲で体を動かして、体勢を座位に直した。

 固い椅子に座って寝ていたからか、全身のあちこちが痛む。

 まあ、寝てたせいで体が痛いのはこの際どうでもいい。重要なのは、どうして俺たちが縛られているのかということだ。

「はあ……やられちまったな。おっさん、どうやらオレらは嵌められたみてぇだぞ」

 早速分かる範囲で状況を調べようと周囲を見回す俺に、リュウガが溜め息混じりの言葉を掛ける。

 思わずリュウガの方を見る俺。彼はある方向に目を向けながら、言った。

「あの野郎がいなくなってる。多分あの野郎は最初からそのつもりでオレたちに近付いたんだろうな」

 彼が目を向けている方──御者台の方を見る。

 そこに座っているはずの茶髪の男の姿は、影も形もなくなっていた。繋がれた馬の背中がほんの僅かに見えるだけだ。

「武器と、荷物と、女共が根こそぎ盗られてやがる。多分、狙いは金だな。……ちっ、まさか一服盛ってくるなんてな……それを見抜けなかったオレも馬鹿だったのかもしれねぇけどよ」

 武器と、荷物と、女。

 リュウガのその言葉に、俺ははっとした。

 此処に、いないのだ。フォルテとアヴネラが。ヴァイスも。

 リュウガは丸腰になっており、俺は馬車に乗った時に確かにフォルテから返してもらったボトムレスの袋が手元からなくなっている。

 まさか、誘拐された?

 この世界では、女が誘拐されることは割とよくあることらしい。それは身代金を得るためというのも無論あるが、大半は性奴隷として売り払うのが狙いなのだそうだ。

 性奴隷の需要は、裏の世界ではそこそこ高いらしい。商売道具として買っていく商人もいれば、貴族が戯れに買っていくこともあるという。よほど裕福な貴族に買われれば運が良ければそれなりに良い暮らしができるかもしれないが、大抵の場合は酷い扱いをされるらしい。

 余談だが、この世界には性奴隷を使った水商売の店というものも存在しているらしい。日本と同じように高い金を払って指名したお姉ちゃんとそういうことをする、いわゆる十八歳未満お断りの店というやつだ。俺はそういう商売をしている店があるらしいという話を知識として知っているだけで、実際に行ったことはないが。いや、本当だぞ。俺は初めては愛する女に捧げるって決めてるんだから、って何を言わせてるんだ畜生。

 最悪、武器と荷物が戻ってこないのは仕方がないが、フォルテとアヴネラは何としても取り返さなければならない。あの二人を性奴隷なんかにさせてたまるか。

 幸い俺たちを縛っているのは何の変哲もない荒縄なので、俺の口を塞いでいる猿轡を外すことができれば魔法で簡単に切ることができる。

 そうと決まれば、行動あるのみ。まずはこの汚い布を外すことから始めよう。

 俺は近くに猿轡を引っ掛けられそうな出っ張りとかがないかを探した。釘でも板の端でも何でもいい。

 しかし、俺の期待を見事に裏切って、動ける範囲内には布を外すのに役立ちそうなものはなかった。

「……むぅ」

 溜め息をつく俺。

 俺が何をしようとしていたのかを察してくれたのか、リュウガが尋ねてくる。

「ひょっとして、その布を取りたいのか?」

 俺はこくりと頷いた。

 よし、とリュウガが器用に縛られた体を動かして俺の方へと近寄ってくる。

 吐息が肌に掛かるまで顔を近付けて。ぺろっと唇を舐めて、言った。

「動くなよ。おっさんとキスするなんて趣味、オレにはねぇからな」

 俺だってないわ、そんな趣味。

 リュウガが口を大きく開いて、俺の顔に巻かれている布に噛み付いた。

 そして、反対側に力一杯引っ張る!

 そこまで丈夫な布ではなかったらしく、ぶちっと音を立てて猿轡はちぎれた。

「……ふう。やっとまともに喋れる」

「二人共口塞がれてたらアウトだったな。何でオレの口は塞がなかったんだろうな?」

 咥えた布切れをその辺にぺっと吐き捨てて、リュウガは小首を傾げた。

 確かにそれは俺も気になりはした。だが、それは案外単純な理由のような気がする。

「大方、魔法を唱えさせないためとか、そんな理由なんじゃないか? あんたは剣ぶら下げまくってたから、魔法を使う感じには見えなかったんだろ」

 その割には猿轡に使う布が粗末すぎる気もするが。まあいいか。

 俺は肌を傷付けないように威力を弱めた風魔法を、リュウガの体を縛っている荒縄に向かって放った。

「ウィンドカッター」

 小さな風の刃が縄を切断する。

 自由を取り戻したリュウガが、俺の縄を解いてくれる。

 ようやく動けるようになった俺は、馬車を降りた。

 外はすっかり朝になっており、燦然と太陽が輝いていた。

 周囲は荒地で、見渡す限り茶色の乾いた大地が広がっている。遠くには灰色の山が連なっており、緑らしい緑が此処にはなかった。

 あるものといえば、ごろごろと転がっている岩と、枯れ果てた倒木と──煉瓦でできた大きな建物、それだけだ。

 うん……煉瓦でできた建物?

 俺はその建物に近付いてみた。

 外観は、全体がすっかり朽ちた三角屋根の建物って感じだ。ステンドグラスとか吊り鐘とかがあったら教会に見えなくもない、そんな形をしている。壁はあちこちが崩れておりぼろぼろで、正面にある唯一の入口も半分くらいが瓦礫と化した煉瓦の残骸に埋もれている。中は瓦礫が邪魔でよく見えないが、窓から光が差しているのか、それなりに明るいことだけは伺えた。

 ひょっとして、連れ去られたフォルテたちはこの中にいるのか。それとも、もっと思いがけないものがこの中にはあるのか──

「へぇ、こんな街でもねぇ場所に家ね。如何にも何かありますって感じじゃねぇか」

 建物を見上げる俺の横に立ったリュウガが、ぱきぽきと拳の骨を鳴らしながら不敵な笑みを浮かべた。

「多分、此処をアジトにしてる盗賊団か何かがいるんだろうな。あの野郎はその一員だったってわけだ。丁度いい、残らず締め上げて連中が貯め込んだ宝を逆に奪ってやろうぜ」

「……随分楽しそうだな、あんた」

「おうよ。悪人をしばいて宝をぶんどる、冒険者生活の醍醐味じゃねぇか。どうせ悪人に人権なんかねぇんだし、宝をほっといたところで貴族連中に巻き上げられるだけだ。それだったら宝を奪い返した者の権利として有難く頂戴する、それが冒険者の当然の権利ってやつよ」

「……一応言っとくが、中にフォルテたちがいたらそっちの身の安全を確保する方が優先だからな。見境なく暴れるなよ」

「分かってるっての。ったく、心配性だなおっさんはよ」

「堅実に生きてると言え」

 俺は魔力を束ねて長剣を作り、リュウガに渡してやった。

 もし此処にフォルテたちを誘拐した人間がいるのだとしたら、二人共丸腰というのは流石に危ないからな。俺の主戦力は魔法だから武器がなくてもいいが、魔法が使えないリュウガはそういうわけにもいかない。俺はまだ剣とか槍とかこの世界の武器のイメージはあまり上手くはできないが、そんな代物でも素手でいるよりは大分マシだと思う。

 俺から受け取った剣を肩に担いで、リュウガは鼻歌を歌いながら建物に向かって歩いていく。

「さぁて。どんな歓迎をされることやら」

 楽しそうに呟く彼の背中を、俺は半眼になって見つめた。

 本当に……大丈夫なんだろうな、こいつ。

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