閑話 乙女な武神と少年神の何気ない会話
此処は、神界某所にあるソルレオンの神殿。
他の神の神殿と比較すると随分とこじんまりとしたその建物には、部屋が僅か三つしかない。そのうちのひとつに、ソルレオンは身を置いていた。
リクガメを模ったような独特な形状の調度品。その甲羅のてっぺんに当たる位置には、口を開けたビールの缶が置かれている。
彼はそれを手に取って口へと運び、中のビールを一口含んだ。
舌の上で転がすように酒の味を味わい、飲み込んで、ほうっと息を吐く。
「はあ……何度飲んでも美味いな。本当に、何から作られてるんだ? この酒。こんなに美味い酒を作る技術があるなんて、異世界人恐るべしだな」
彼は底なしの酒豪ではあるが、同時に酒の研究家でもあった。
目の前にある酒を見境なく飲み散らかすようなことは決してせず、自分が今味わっている酒についてを徹底的に研究することに余念がないのだ。
原料は何なのか。どうやって作られているのか。その酒に最も適している飲み方は何なのか。
それをとことんまで知り尽くして最高の味を引き出して味わうことこそが、その酒を作った者に対する最大の礼儀だと彼は考えているのである。
目の前にあれば全てを飲み尽くしてしまうまで止まらないアルカディアとは雲泥の差だ。
「この入れ物の材質や形にも意味があるのかね……? これって、金属だよな。木の樽に入れないでわざわざ専用の入れ物を作るくらいだから、多分意味はあるんだよな。ビール……ううむ、奥深いな」
饒舌に呟いて、更にごくりとビールを一口。
空になった缶を調度品の上に置いて、ソルレオンは近くにある長椅子の上にごろんと寝転がった。
「次の献上日の時にでも、異世界人に訊いてみるか。ひょっとしたら面白い話が聞けるかもしれないしな。そうしよう」
アルコールが入ってほんのり気分が良くなっていた彼は、目を閉じてうつらうつらとし始めた。
その視界に、突如として影が差す。
何事かと思って瞼を上げるソルレオン。その小さな体を、いきなり伸びてきた太い腕がこれでもかと言わんばかりの力で抱き締めてきた。
「ソルレオンちゃんー!」
「ぐぇえええええッ!?」
首が絞まったことによって気道が塞がれて、ソルレオンは鳥が絞め殺されるような奇声を発した。
ばたばたともがくが、自分をがっちりと捕まえた腕は剥がれる気配がない。
神は、見た目からは考えられないような常識外れの身体能力を持っている。それは子供の見た目をしているソルレオンとて同じことだ。
しかし、本気を出せば人間の数百倍に及ぶとも言われる腕力を持ってしても、この腕には全く通用しなかった。
理由は単純。この腕が、更に上を行く腕力を備えているからだ。
「ねえ、貴方のお部屋から、何だかすっごくいい匂いがするんだけど! ひょっとして何か美味しいお酒を見つけたのかしら? 水臭いわよ、新しいお酒を見つけたらあたしにも教えてちょうだいって約束してるじゃない!」
「痛い痛い痛い! 離せ、馬鹿っ、背骨が折れるだろうが!」
「んもう、恥ずかしがっちゃって。でも、そんな初心なソルレオンちゃんも可愛くて好きよ」
「ちょっ、キスはやめっ……ひぃいいいいっ!」
かなり本気で抵抗するも空しく。反射的に瞑った瞼に荒い鼻息が掛かり、ソルレオンは身震いして悲鳴を上げた。
額の中心に感じる、固い唇の感触。鼻の頭に触れる、ちくちくとした髭。
この過剰なスキンシップ癖さえなければ悪い奴じゃないのに、と思わずにはいられないソルレオンだった。
とりあえず『挨拶』を終えて満足したのだろう、離してもらったソルレオンは、相手の正面に立ちながらその壁のような巨躯を見上げた。
二メートル半はある、規格外の身の丈。全身は限界を超えて鍛え上げられた筋肉の塊という感じに筋骨隆々で、美しく六つに割れた腹筋は無論のこと背筋まで見事なラインを描いている。着ているのはオレンジ色の武闘着のような服なのだが、上半分を着ないで腰布のように下げているのはいつものことだった。本人曰く、上を着ると窮屈で息苦しくなるから嫌なのだそうだ。
顔は、一言で言うと体同様にごつい。肌は浅黒く、鼻の下や顎に髭が生えているので微妙に暑苦しくも感じる。黙っていれば、秘境の武道場で何千人もの弟子を教えている師範代とかにいそうな雰囲気を感じる男だ。
そう、黙っていれば。
この男神が見た目通りの存在でないことは、ソルレオンのみならず神界に住む神ならば誰もが知っていることだった。
「……頼むから毎度毎度顔を合わせるなり抱きつくのはやめてくれ。お前の腕力は規格外なんだから、そのうち負傷者が出るぞ、シュナウス」
彼の名は、シュナウス。神界に住む男神の一人で、神々の中ではそこそこ高い地位を持っている武神である。
無類の酒好きで、同じ嗜好の持ち主であるソルレオンやアルカディアとは仲が良い。珍しい酒を何処からか手に入れてきては一緒に酒盛りをするほどの間柄なのだ。
一見すると厳格そうな男神であるが、その本性は愛を語る平和主義者で、これ以上にないくらいの乙女──ソルレオンは彼のことを気軽に話せる酒飲み仲間だとは思っているが、彼のこの乙女チックすぎる言動だけはどうも苦手だった。
ソルレオンの一言に、シュナウスは口元に手を当ててうふふと笑った。
「あら、そんなつれないことを言わないでよ、ソルレオンちゃんのいけず。あたしの体から溢れてやまないこの愛を、貴方以外の誰が受け止めてくれるって言うの? 愛こそ至高、この世で最も尊いものなのよ」
「毎回締め上げられるオレの身にもなってくれ! 身が持たんわ!」
とりあえず怒鳴ってから──深呼吸をして、ソルレオンは長椅子へと腰掛けた。
オブジェの上に置いてある空のビールの缶を手に取って、それをシュナウスへと渡す。
「いい匂いがしてるってのは、多分こいつだろ。嗅いでみろ」
「……そうね、この匂いだわ。ソルレオンちゃん、これは何?」
すん、と缶の中の匂いを嗅いで頷くシュナウス。
ソルレオンは返却してもらった空き缶を元の場所へと置きながら、答えた。
「それはな、ビールって言うんだ。聞いて驚け、何と異世界産の酒だぞ」
ソルレオンはビールの魅力についてを熱く語り始めた。
酒談義となるとつい熱が入ってしまうのが彼の悪い癖だ。
その話の中で、ビールを五日に一度献上という形で下界の人間から貰っていること、その見返りにその人間に能力をひとつ授けたことも彼は隠すことなく話した。
話を聞き終えたシュナウスが、何やら神妙な顔をして腕を組む。
「……ということは、ソルレオンちゃん、貴方は下界の特定の人間と頻繁に接触してるってことなのかしら?」
「……あ」
はっとして自らの口を掌で塞ぐソルレオン。
酒の話ができる嬉しさからつい口が軽くなってしまっていたが、本来ならばこの話は他の神には知られてはいけない話。何らかの拍子に広まって大主神の耳に入ろうものなら、お咎めを受けることは免れないからだ。
彼は慌てて弁明した。
「ち、違うぞ! 元はと言えばアルカディアの奴が! オレは、ただ……」
「まあ、いいわよ。ソルレオンちゃんやアルカディアちゃんがお酒のことになると見境がなくなることくらい、分かってるもの。貴方たちは大切な友達、それを他人に売るような真似はするつもりはないわ。あたし」
「…………」
オレはそこまで見境なしになったつもりはない。
内心そう思ったものの、此処で反論したら話が更にこんがらかりそうな予感がしたので敢えて黙っておくソルレオンだった。
世の中には、敢えて知らせずにおいた方が良いこともあるのだ。
「でも……異世界のお酒、ねぇ。ソルレオンちゃんがそんなに夢中になるくらいだもの、きっと美味しいんでしょうねぇ。羨ましいわ、あたしも飲んでみたい」
ソルレオンはアルカディアと違って計画的にビールを楽しんでいるので、彼の手元にはまだそれなりの量のビールが残っていた。
一本くらいならば、この場でシュナウスに分け与えることは容易い。
しかし。
それだけでこの男神が満足するとは、到底思えない。
ビールの味を占めた彼は、もっと飲ませろとソルレオンに要求してくることだろう。あの腕力で脅されたら、抗い切る自信などソルレオンにはなかった。そして、残っているビールは全て彼に飲み尽くされてしまうに違いない。
それだけは、御免だった。
ソルレオンはしばし考えた後、シュナウスに提案した。
「だったら、お前も異世界人に頼んで献上してもらうといい。見返りに能力を授けてやるって言ったらあいつも嫌だとは言わないだろうさ。オレの時もそうだったしな」
ソルレオンの助言を受けてそうすると頷いたシュナウスは、自分の神殿へと帰っていった。
次の献上日は、二日後だ。たまにはビール以外の異世界の酒も飲んでみたいなと思いながら、ソルレオンは空の空き缶を片付けるために長椅子から立ち上がったのだった。
この時のソルレオンは、まだ気付いていなかった。
自分が何気なく発した先程の言葉が、後にとんでもない事態を引き起こすということに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます