第40話 不器用な大人と素直じゃない子供
ぱたっ、ぱたっと雫が床に落ちる。
きつく閉じた瞼の間から溢れ出る涙が、頬を、顎を伝って、鼻水と混ざり合って糸を引きながら服を濡らしていく。
がくがくと全身を震わせながら、いつまで経っても額を貫こうとしない衝撃に疑問を抱き、目を開くと。
額に命中する寸前のところで剣を止めたリュウガと、視線がぶつかった。
「……大した根性じゃねぇか」
リュウガは笑っていた。
先程まで見せていた威圧の色は、今はもう欠片も残っていない。
まるで弟を見つめる兄のような表情を、していた。
「お前、魔道士よりも剣術士に向いてるぜ。大事なもののためにてめぇの命を懸けられるその覚悟と気概がありゃ、十分に冒険者の世界でやっていける。胸を張りな」
剣を引き、鞘に納めるリュウガ。
セイルは丸く見開いた目でリュウガを見つめたまま、その場にぺたんと座り込んでしまった。
股間に染みが生まれ、じんわりと広がっていく。緊張の糸が切れて、全身の力が抜けてしまったのだろう。
「お兄ちゃん!」
ひしっ、と背後からセイルにしがみ付くルゥ。
彼女はぐすっと鼻を鳴らしながら、言った。
「良かった、お兄ちゃん、良かったよぅ……」
「……ルゥ」
セイルの視線がゆっくりと背後のルゥに移る。
涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃになった顔を拭おうともせず、彼は震える唇を開いた。
「……俺、冒険者の素質があるって……」
「……うん」
「……俺……頑張るから。うんと頑張って、強くなって、お前のこと……みんなのこと、必ず幸せにしてやるからな……!」
「うん!」
ルゥのセイルを抱く腕にぐっと力が篭もる。
セイルは頭上を仰いで、声を上げて泣き始めた。
それに釣られたのかルゥもセイルに抱きついたままわぁわぁと泣いた。
そんな子供たちを見下ろしながら、リュウガはふっと笑って肩を竦めて、
黙ったまま、セイルの傍らに落ちていた魔道大全集を拾い上げた。
貧民街の狭い路地を歩きながら。
俺は、隣を歩いているリュウガにちらりと目を向けた。
「……俺のことを甘っちょろいって言った割にはあんたも大概じゃないか」
「ん~?」
リュウガは前を向いたまま、後頭部で手を組んで鼻歌を歌っていた。
その表情は飄々としており、いつもの気さくな彼としての姿がそこにあった。
「最初から、ああするつもりだったんだろ。あの子供に、自分が持っている可能性の存在を教えてやるつもりだった。違うか?」
「オレはそこまでお人好しじゃねぇよ。ああなったのはたまたまだ、たまたま」
へっ、と失笑して肩を竦める。
「しばく気が途中で失せちまった、それだけさ」
「本当か?」
俺は微苦笑した。
本当に、高校生というのは扱いが難しい年頃だ。全然素直じゃないし、こちらのアクションに対して予想の斜め上を行く反応を返してくる。
まあ、そこが大人になりきれていない未熟な子供って感じがして、可愛いと思うんだけどな。
「ま、そういうことにしておいてやるよ」
「おっさんが分かったような顔するんじゃねぇよ」
「俺はおっさんじゃないって何度も言ってるだろ」
リュウガは俺の言葉を横に受け流すと、背後を歩いているユーリルに言った。
「もう盗られんじゃねぇぞ。何度も探すのは面倒臭ぇからよ」
「はい。今後は気を付けます」
ユーリルはこくりと頷いて、リュウガの背中をひたと見据えて言った。
「ありがとうございます、リュウガさん。この書を無事に取り戻せたのは貴方のお陰です」
「おう。感謝しろよ」
リュウガは胸を張ってわざとらしく大きな声でそう答えると、鼻歌を再開した。
……ひょっとして、ガラにもなく照れてるんじゃなかろうか。
不良、という肩書きと見た目につい惑わされてしまうが、彼は根は良い奴なのだ。ちゃんと人を思いやれる心を持った優しい人間なのだ。
彼と知り合えて良かった。旅仲間になれて良かった。掛け値なしに、そう思った。
リュウガが歌う鼻歌が、寂れた路地に流れていく。
微妙に音程が外れていて決して上手くはない歌なのに、それは不思議と心地良く耳の中に響いたのだった。
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