第39話 ツウェンドゥス流のけじめ

 ぎぃ、と軋んだ音を立てて粗末な造りの扉が開く。

 小さな部屋の中で身を小さくして座っていたその少女は、その音に反応して扉の方を向き、部屋の中に入ってきた外套姿の人物を出迎えた。

「お帰り、セイルお兄ちゃん」

「帰ったよ、ルゥ」

 セイルは頭から被っていた汚れた外套をばさりと脱いだ。

 ぼろぼろの麻の服に身を包んだ痩せた体が露わになる。長年の仕事で付いた傷だろうか、荒れた肌をした両腕の中には、一冊の黒くて分厚い書物がある。

 見るからに高そうなその品物の存在に、ルゥと呼ばれた少女は空色の瞳を瞬かせた。

「それ、なぁに?」

「これか? これは──」

 セイルは書物のページをぱらぱらと捲った。

「魔法書さ。旅の魔道士が大事そうに持ってたんだ、きっと貴重な魔法書に決まってる」

 ぱたん、と書物の表紙を閉じて、そこに描かれている魔法陣を掌でぽんと叩いて。

 力の篭もった眼差しをして、言った。

「俺はこれを使って一流の魔道士になる。強力な魔法をたくさん覚えて、それを使って魔帝を倒すんだ。世の中の大人が誰一人としてできなかったことをやり遂げて、みんなが金に困らないで暮らしていけるような平和な世の中を作る」

「お兄ちゃん……旅の人から盗んだの? 盗むのは悪いことだよ……その旅人さん、今頃お兄ちゃんのこと必死になって探してるんじゃないかなぁ……見つかったら、怒られちゃうよ」

 ルゥの言葉に、セイルはふんと鼻を鳴らした。

「盗まれる方が悪いんだよ。この世は弱肉強食、強い奴が弱い奴を食い物にして生きている、そういう世界なんだ。だったら奪ったものをどうしようが奪った奴の自由ってやつだ、違うか?」

「へぇ、そいつはまた結構な御高説で」

「!」

 唐突に割り込んできた声に、はっとして振り向くセイル。

 彼が目を向けた先には──扉の前に立ち塞がるようにして佇んでいる俺たちの姿があった。

 リュウガは腕を組んでセイルをじっと見つめながら、まるで威圧するように言った。

「まぁ、お前が言ってることはあながち間違ってもいねぇ。この世は弱肉強食、強い奴が弱い奴を踏み台にして生きてる、それが成り立ってる世界だからな」

「あんたたち……どうして、盗んだのが俺だって分かったんだよ」

「さあてね? 冒険者は探し物のプロだからな、色々な手段を持ってんだよ。どうやって探し当てたかはてめぇで勝手に想像するんだな」

 にやり、と口の端を上げながら、セイルに一歩近付く。

 セイルは咄嗟にルゥの前に立ち、俺たちの視界からその姿を隠した。彼なりに、妹を庇おうとしているようだ。

「さて、お前が持ってるその本、返してもらおうか。大人しく返せば憲兵に突き出すのは勘弁してやる」

「お兄ちゃん……」

 ルゥが兄を説得しようと呼びかけている。

 しかしセイルは大事そうに両腕で魔道大全集を抱き締めて、かぶりを振った。

「嫌だ、これは絶対に返さない。俺はこれを使って魔帝を倒す魔道士になるって決めたんだ。俺の決意を折ろうったってそうはいくか!」

「……そうかよ」

 リュウガの両目がすっと細まる。

 彼は左の腰に差している剣をすらりと抜き放った。

 俺はぎょっとして、リュウガを見つめた。

「お、おい。何をする気だ」

「決まってんだろ。言って分からねぇんなら直接体に分からせるまでだ。聞き訳の悪いガキにゃこうすんのが一番なんだよ」

「相手はただの子供なんだぞ! それを斬るつもりか!」

「うっせえな、甘い説教で何でも解決するって思ってる甘っちょろいおっさんは引っ込んでな! これがこの世界でのけじめの付け方なんだよ!」

 ぎろり、とリュウガの目が俺を睨みつける。

 その目は、普段の気さくな若者のものではない──これまでに何人もの敵対者たちを沈黙させてきた、不良としてのものであった。

 俺は思わず息を飲んだ。まるで蛇に睨まれた蛙になったような気分だった。

 言葉が、出なかった。

 リュウガはゆっくりとセイルとの距離を詰めていく。

「オレたちから物を盗んだ責任、きっちりと取ってもらうぜ。この世界は弱肉強食だって言うんなら……強者のオレが弱者のお前をどうしようがオレの自由、お前がオレに此処で殺されても、お前は納得してそれを受け入れるってことだよなぁ?」

「く……来るな! 来たらこの本を破くぞ!」

「ああ、やれるもんならやってみやがれ。その前に……オレがその手を切り落としてやるよ!」

 魔道大全集の表紙を引っ掴むセイルの右腕に、白銀の煌めきが走る。

 ばっ、と血がしぶいて床に散った。

 リュウガが振るった剣が、セイルの右腕を切り裂いたのだ。

「ああああああああッ!」

 斬られた右腕を押さえて悲鳴を上げるセイル。

 彼の手から魔道大全集が零れて、ごどんと音を立てて床の上に落ちた。

 ルゥが泣きそうな顔をしてセイルの左腕に縋り付いた。

「お兄ちゃん! 今すぐ謝って盗んだ本をこの人たちに返してあげて! 殺されちゃうよ!」

 次に彼女は俺たちの方に顔を向けて、必死に訴えた。

「旅人さん、ごめんなさい! 盗んだ本は返すから! お兄ちゃんを殺さないで! お願い!」

「離れてろっ……ルゥ」

 痛みに息を荒げながら、それでも懸命にルゥを後方に隠してセイルが言う。

 彼はリュウガの顔を見つめて、言った。

「これは、俺が一人でやったことだ。妹は何の関係もない……俺は殺されてもいい、その代わりルゥには……妹には絶対に手を出すな! 分かったか!」

「……よく言った」

 リュウガは笑って、剣を突きの形に構えた。

「動くんじゃねぇぞ」

「……!」

 ぐっと息を飲んで瞼をきつく閉ざすセイル。

「お兄ちゃん!」

 辺りに響き渡るルゥの叫び。

 その声に引き寄せられるかのように、閉ざされていた扉が開け放たれる。

 外で待っていたフォルテとユーリルが室内に駆け込んでくるのと、リュウガがセイルの額の中心を狙って剣を繰り出したのは同時だった。

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