第20話 あれ?まさか

 赤い玉がまるで太陽が燃え崩れていくように、竜の手の中で崩壊していく。


 迸ってくる余りの眩しさに、目を開け続けていることもできない。


 我慢できなくて目を閉じたのに、玉からはまだ鋭い金色にも似た赤い光が伸びてくると、俺の瞼の後ろを貫いていく。瞼だけではない、頭から足まで俺の全身を貫いていくのを感じる。


 熱い。


 光の矢で貫かれた肌が、腕が胸が、頭が、まるで沸騰していくかのようだ。


 頭の中がぐらぐらとして、立ち続けていることさえできない。


 急速に俺の意識は、海のような暗闇の中に落ちていった。それなのに、まだ俺を包むように周囲では、さっきの光がぐるぐると渦を巻いている。


 ――何だって言うんだ!


 あいつ、よくも最後の最後で好き勝手しやがって! 起きたら絶対に殴ってやる!


 俺は、光の渦が巻くような暗い海の中で、最後に見た竜の顔に罵倒した。


 それなのに、俺の意識は、落とされた暗い水の中でもがいている。だが、渦巻く光に更に深い穴へと流されると、そのまま吸い込まれた。


 ――あれ? なんだ、これ。


 暗い意識の水の中で、周囲を取り巻く渦の光がちかちかと違う色に瞬き出す。そして更に深い闇色の水を抜けたと感じた瞬間、俺の意識の中に、いくつもの風景が鮮やかに流れこんできたのだ。


 ――どこだ、これは!?


 俺が何故か見たこともない森の中にいる。


 深い森だ。周りを取り囲む針葉樹の緑は深く、空気も澄み切っている。


 そして長い首で高い空を見上げたと思うと、大きな翼を広げた。飛び上がると同時に、青い体に触れていく風が涼やかで、すごく気持ちがいい。


 しばらく飛ぶと、下に澄んだ湖を見つけた。すごく喜んで飛び込むと、光る波しぶきが木よりも高く上がって楽しい。全身に白い水しぶきに浴びて、深い湖の中にもぐっていく水の涼やかさは、空を飛ぶのと同じ心地だ。


 そうかと思うと、今度は雪を抱いた見たこともない山脈の上を飛んでいた。空を突くような峻厳な峰が並び、まるで氷の剣山だ。


 それなのに、どうしてだろう? 俺は、ひどく今来た方角を気にしていて、難度も振り返っている。


 頭に流れてくる光景はそれだけじゃない。


 更に奥から赤い光と共に、より鮮明な次の光景が瞬いてくる。


 知らない洞窟。やたらたくさんのクッションが敷き詰められて寝やすく工夫されているが、寝ているといつも誰かに蹴り飛ばされて目が覚めた。痛くて腹がたったから、俺を蹴り飛ばした足を、もう一度派手に蹴り返してやった。


 かと思うとまた風景が変わる。今度は同じ洞窟の中だ。俺の前に、小さな竜が、ちょこんと両足を揃えて座っている。


「兄さん? これまずくない?」


「ああ、うまいぞ。喰ってみろ」


 この間の砂漠蟻地獄のお返しだと俺は、目の前にいる相手に、捕まえてきたうなぎを生きたままおいてやった。


 ざまあみろ。


 案の定、舌に絡みつかれて取れなくなっていやがる。


 それなのに、いつも俺の側にくっついてくる。どんなに蹴っても、意地悪をしても、碌に見えない目で必死に俺を探してついてくる。


「兄さん、待ってよ」


「こっちだ」


 俺は、青い空を飛びながら、後ろについてくる竜に尻尾を差し出して、鼻先をくすぐった。すると、それを掴んで、一緒に俺が下りる山の中へと着地していく。


「すごいやー兄さん。周り中栗の匂いがするね?」


 後ろにくっついてきた赤い竜が嬉しそうに、鼻を空中に持ち上げて、見えない目の代わりに、匂いで秋の山の気配を探っている。


「ああ。お前の好きな栗が周りにいっぱい落ちているぞ。ここなら食べ放題だから」


 俺は、赤く色づき始めた森を見回しながら笑顔で答えた。


「わーい」


「あ、でも栗のイガには棘があるから気をつけないと――」


 振り返った時には、そいつはもう口に栗をイガごと咥えていた。


 ――あ。まずい。


「兄さん、痛い……!」


「当たり前だ! 口の中まで鱗がないことぐらい自覚しろ!」


 ああ、もう。舌に栗のいかが刺さって、針山になっているじゃないか。


「ほら。変に触ったらますます痛いぞ」


 仕方がないから、溜息をつきながら抜いてやると、赤い竜の瞳からぽろぽろと涙がこぼれてくる。


 そんなに痛かったのか。つい見えている自分の感覚でいたのが失敗だった。


「ほら――俺がイガをとってやるから。中身だけ食えよ」


 どう言っていいのかわからなくて、俺は舌に刺さった棘を全部抜くと、辺りに落ちている栗を赤い竜のために集めてやった。


「うん。兄さんありがとう」


「おい、あんまりくっつくと栗を集めにくいぞ」


「そうだけど――痛いのがおさまるまでだけ、兄さんにもたれさせて。兄さんの心臓の音が大好きなんだ」


 生まれる前から聞いていたから。微笑みながら言う赤い竜に、俺もつい笑ってしまう。


「ああ、そうだな」


 ――俺もそうだ。


 黄色く色づいていく山を見上げながら、俺も小さく呟いた。その声に嬉しそうに見上げてくる。


「ほら。もう少ししたら、痛みも取れるから。な? 俺が、栗の皮も剥いてやるから」


 元気づけるように言うと、やっと赤い竜がにこっと笑った。


 俺をまっすぐに見つめてくる顔は、花が咲いたように笑っている。


「うん。兄さん、ありがとうー」


 あれは――誰だ?


 いつも側にいた。あれは――あれは――


 はっと脳の奥に閃光が走った。


 そうだ! 思い出した!


 俺が生まれて卵の殻から出たすぐ後、隣りで、不器用そうに殻を割ってひょこっと頭を出した。


 そして、すぐに、初めて会った俺ににこっと笑いかけた――同じ時に生まれた真紅の鱗を持つ俺の竜の弟!


「兄さん」


 ぐるぐると光る渦の中に沈み込んでいた俺の意識は、背中を優しくさする手に、ゆっくりと体に呼び戻された。


 薄く目を開くと、俺の前にあるのは見知らぬ洞窟でも空でも森でもない。どうやら、さっきまで戦っていた迷宮の石の床に横たわり、気を失っていたらしい。


「兄さん、大丈夫?」


 竜の心配そうな顔に頭を持上げると、近くにサリフォンとおつきの家来も倒れていた。


 どうやらあの閃光を浴びて大丈夫だったのは、竜とマームだけだったらしい。もっとも、俺を見ている竜も顔色を見る限りは、とても平静というわけではなさそうだが。


「びっくりしたよ。突然倒れるから」


 俺を覗き込む仕草に、俺は問答無用で、竜の頭に拳を落とした。


「なにするの!?」


「やかましい! お前こそ、何を勝手にしていやがる!? 最初からこれが目当てで俺をここに連れてきたな!?」


「えーだって……」


 そう言うと、竜は頭のたんこぶを押さえながら、涙目で俺を見つめている。


 けれど、竜のその顔が、俺の中でもう少しだけ幼い面影と重なった。


「あれ?」


 知っている。この顔。そして、こいつの涙を浮かべた表情。


 いや、まさか。だけど。


「お前、アーシャル?」


「やっと思い出したか!? この馬鹿兄貴!」


 おおっ、実に十数年ぶりで雷を落とされた。そうだ、本気で怒ると容赦のない奴だった。もっとも、普段も色んな意味で手加減のない性格だったが。


「わ、悪かったって。でも、本当に忘れていたんだ」


 だから、あのな。そんなに目を大きく開いて睨みつけないで、どうか勘弁してくれよ?


 それなのに、怒っていると思ったアーシャルは、大きな赤い瞳に涙をいっぱい浮かべた。そして、くしゃくしゃの顔で俺に抱きついてくる。


「この馬鹿兄! 僕がどれだけ兄さんが突然いなくなって心配していたと思っているんだよ!」


 叫ぶと、そのまま俺の肩に顔を寄せてわんわんと泣き出している。


「す、すまん。俺にも急で、まだ何がなんだか――」


「何で、いなくなったの? 今までなんで人間として暮らしていたんだよ?」


「それは、確か――」


 俺は、やっと甦ったばかりの記憶を漁るように考え込んだ。


 頭の中は、まだ突然甦った竜の時代の記憶で大混乱だ。


 それでも、泣いている瞳のまま、俺を見上げてくるアーシャルに、俺はばらばらに混ざっている記憶を整理するように話し出した。


「確か――あれは」



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