第15話 お前今までどうしてた!?


 距離はざっと三十メートル。


 岩の陰から飛び出した俺は、そのまま全力でゴーレムの左腕めがけて走り出す。


 ――頼む。左腕で攻撃して来い!


 左腕で攻撃してくれれば、飛びついても必ず腕の付け根を抉ってやろう。


 心の中で決意を固めると、床を走っている足が、すぐに飛びかかれるように腿に力を入れる。


 けれど、岩陰から飛びだした俺の姿に、ゴーレムよりも空中の竜の方が早く気がついた。


 バカッ! 俺に気を取られている場合じゃないだろう!


「竜!」


 俺を見つめている間にも、視界の奥で竜を殴ろうとゴーレムの右腕が持ち上げられていく。動いていく腕に、俺は大きな声を張り上げた。


 ――間に合わない!


 大きな拳が竜へ叩きつけようと不気味に持上げられていくが、俺を見下ろしている竜の顔とは反対の方角だから気がついていない!


 ――もっと警戒しろよ! お前、兄と俺がいない間はどうしていたんだ!?


 俺の視界の中でゆっくりと、しかし実際は、その巨体にしては信じられない速さでゴーレムの腕が竜の背中に向かって伸ばされていく。


「こっちだ! 岩人形!」


 必死に俺は叫んだ。そして声と同時に、左に向かって走っていた足を、急角度で右へ切り、ゴーレムの正面に飛び出す。


 俺はここだ!


「兄さん!?」


 俺の行動に違和感を感じたのだろう。はっと竜が、俺の様子に瞳を見開いた。そして、やっと後ろを振り返って、自分を攻撃しようとしていたゴーレムの腕に気がつく。


 しかし、竜が体勢を戻すよりも早く、ゴーレムの岩に掘られただけの目が、床を走る俺の姿を捉えた。


 ――あ、まずいか。


 無機質な感情の一片もない瞳が俺を見つめてくる。それに、背中に本能的な危機感が走った。


 ――だけどこれで竜は無事だ。


 だったらこれは本来俺の試験。やってやろうじゃねえか。


 心を決めるやいなや、ゴーレムの腕が振り上げられて、俺がいる床に叩き落とされてくる。それを全身の力を足に回して瞬発力ですり抜けた。


 俺の後ろで、ゴーレムの手が何もない床を叩き、ずうううんと響いている。揺れた床の振動で俺の体が震えた。


 そして、ぎ、ぎ、ぎとくぐもった音をあげながら、腕がもう一度上へと持上げられていく。


 手応えがないのに気がついたか。


 もう一発。今度は手を開いて広範囲に叩きつけるように俺の上から落ちてきた。


「俺はもぐらじゃねえー!!」


 絶対にこの迷宮主は、攻略者をもぐらとしか思っていないだろう? しかも、竜に迷宮を壊されまくった腹いせに、竜用のもぐら叩きを計画したようなのも癪に障る。


 落ちてくる腕の前に飛びこみ、更にそのまま床を転がるようにして、もう片方の落ちてくる手をかわした。お蔭で転がった俺の体は、気がつけばゴーレムの足の側へ辿りついているじゃないか。


「兄さん!」


 竜の切羽詰った声に目を開けると、ゴーレムがまさに今、横に転がりついた俺を踏み潰そうと、岩でできた巨大な足を持上げていくところだった。


 足裏は臭くはなさそうね。岩だから――と、俺は妙に冷静に、目の前に広がっていく巨大な一枚岩を見上げた。逃げ場はないようだが、さすがに水虫とも縁はなさそうだ。踏まれても感染の心配はない。


 ただし、全身は完全に骨ごと内臓も潰されるだろうが。


「逃げて、兄さん!」


 竜が必死に紅蓮の炎を手から連続してゴーレムに浴びせた。けれどその熱にも、石の表面が少し変化しただけだ。致命的なダメージは与えられていない。


 ――くそっ! こんなところで負けられないのに!


 俺が勝たないと、母さんがまた奴隷にされてしまう。


 母さんを逃がした父さんも――そして、まだ幼い妹まで鎖につながれてしまうじゃないか!


 何か避ける方法はないのか。


 必死に考えて、頭上から降りてくる広いゴーレムの足を凝視した瞬間だった。


 ――あった!


 目の前に迫ってきた岩は、影ではっきりとは見えないが、その中央に明らかに岩の凹凸とは違う、別の模様が描かれている。


 それに大きく目を見開く。


 蛇に添えられた古代文字。――紋章だ。


「兄さん!」


 必死に叫ぶ声がする。


「任せろ!」


 俺は答えるのと同時に、手に持っていた剣を構えなおした。


「うおおおおおおおおおおおっ!」


 そのまま俺の上へ降りてくるゴーレムの足を、剣を構えて見つめる。そして、俺は剣を下から切り裂くように振り上げて、描かれている紋章を狙った。


 さすが岩だ。剣先があたっても、押し合って簡単には紋章に傷をつけさせてくれない。


 だが、岩と押し合っている俺の顔の先で、持っている刀身が光った。


 熱い。


 ほんの一瞬だが、赤く光った竜の刀身が凄まじい熱を放つ。それが剣の先端に触れている岩の部分を爛れるように溶かし、刃先を岩に食い込みやすくしてくれる。


 ――いける!


 そう感じた瞬間、俺は一気に剣を振り上げた。


 がりりりりっと嫌な音をあげ、描かれた紋章を抉り取るように剣先を食い込ませていく。


「ぐぐうっ」


 一瞬、奇妙な声らしきものを上げて、ゴーレムの右足は動かなくなった。


「やったか……?」


 はあと、大きく肩で息をつく。


 けれど、ゆっくりしている暇はない。いくら右半身が動かせなくなったとはいえ、まだ左半身は自由なのだ。


 右が動かないことで、かなり動きは不自由になったようだが……


しかし半身が動かなくなったはずのゴーレムを見上げれば、まだ竜を攻撃しようと左腕を振り上げているじゃないか。横殴りに竜を狙おうとしている腕を見て、急いで俺は叫んだ。


「来い! 竜!」


「兄さん!」


 俺の声に、急いで空中から降りてくる。俺の側に着地した竜の姿に、俺はゴーレムの後ろにある扉を指さした。


「あそこに扉がある! お前の話だと、この三階まで行ったら迷宮主に会えるんだったな?」


「うん、そうなんだけど――」


 あれと、竜が俺が指した扉をまじまじと見つめている。


「ここも、昔と違うのか?」


「いや、ここだけ昔どおり過ぎて……」


 うーん? と竜が目を眇めたのに、俺はなんだそんなことかと急ぐように竜の肩を叩いた。


「お前ら除けなら、そこまで変える気はなかったってことだろう?」


「うーん。だとしたら」


 竜がまた何か考え込んだが、生憎理由を聞いてやっている時間はない。


 俺たちの声を聞きつけたゴーレムが、攻撃するために態勢を変えようとしているからだ。巨大な影が不気味に動こうとしているのに気がついて、俺は頭上からぱらぱらとこぼれる砂を見上げた。


「急ごう! あ、そこに罠があるから気をつけろよ?」


 間違って踏まないようにと、髑髏の石を指さした瞬間だった。


 ドンと竜に体を突き飛ばされると、俺の足はよろめいて、その髑髏の石を踏んでしまう。


「え? えええええっー!!!!!!」


 次の瞬間、俺の体は、ぱかっと開いた闇の中に滑り落ちた。そして頬に感じる落ちていく風に絶叫する。


 こいつ! やっぱり俺を殺すのが目的だったのか!?



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