第14話 もっと自分を大事にしろ!

 岩の隙間に見えたサリフォンの姿に、俺の唇が、ぎりと音をあげる。


「兄さん?」


 俺の仕草に少し首をかしげた竜の手をぐいっと握った。そのまま、驚いている竜にもかまわずに手を引っ張ると、岩の階段を駆けのぼっていく。


「行くぞ! 竜、急ぐから足元に気をつけろ!」


「兄さん? 何があったの?」


 後ろから尋ねてくるが、足を止めている時間はない。


 ――もしサリフォンがあのことをばらしたら。


 学校には貴族や富裕層の子弟が多い。そいつらにかかれば、長年職人階級出身のくせに剣で敵わなかった自分の生まれなど、あっという間に下卑た嘲りにのせて、学校中に広まるだろう。


 それがもし、母の昔の屋敷の関係者の耳に伝わったら。


 いや! そうでなくても、役所関係の家の子からその身内へと伝わればおしまいだ。


 父は奴隷泥棒として、下手をすれば流刑か牢獄行きだろう。母は昔の屋敷に連れ戻されるだけではすまず、きっと一生最下層の奴隷に落とされて、そこから二度と解放されることはない。


 そして、自分は――ごくりと、俺は駆け上がるごつごつとした岩の階段を見つめながら、唾を飲み込んだ。


 ――俺も間違いなく奴隷だ。


 元々奴隷の生んだ子供は、その奴隷の主人の所有物になる。父が一般人だから、といっても関係ない。むしろ、俺の場合、奴隷を泥棒して損害を与えた相手との子供ということで、母を逃がした間の逸失利益を、俺と母とまだ少女の妹とで支払うことを求められるのに違いない。


 ――死ぬまで鎖に繋いで。


冗談じゃない!


 誰がそんなことをさせるかよ!


 自分一人なら培った剣の術で逃げる算段もできるが、走れない母と幼い妹は間違いなく命を削るまで働かされるだろう。


 ――そんなのはごめんだ!


 階段を上りきり、上に現われた同じ巨岩で作られた道に飛び込むと、一歩でも早くと心の急くままに走っていく。


「に、兄さん……」


 後ろで、竜が何か呼びかけているが、振り返ってやる暇もない。とにかく急がなければ――


 焦るままに、ひたすら巨岩で組み合わされた道を走ると、行く手が突然二つに分かれた。


「迷路かっ!?」


 どうしたらと、辺りを急いで見回すが、周囲は高い岩の壁に取り囲まれている。けれど、見上げれば高い壁の上部がないのに気がついた。


 上はかなりの高さだ。多分あがって辺りを見回しても、十分余裕で立つことができるだろう。


 ――それなら、出口を探すのにも岩をのぼって壁の上を走ったほうが速いか。


 俺は迷路の壁の上にのぼることを決めると、どこか足をかけられるとこはないかと岩に触って調べ始めた。


 大きいがでこぼことした岩だ。天然の岩に形は似ているが、指をたてても爪の先さえ食い込まないほど固い。これなら、足をかけるくぼみさえあれば、登れないことはないだろう。


「兄さん?」


 後ろで竜が突然足を止めた俺に、不思議そうに尋ねてきている。けれど立ち止まった竜も少しだけ息が荒い。


「ああ、悪い。ちょっとだけ待っててくれ」


「それはいいけれど――」


 呟くと、竜がまた何か考え込むような仕草をした。


 あれ? そういえば、前の階のことで忘れていたが、こいつ前に何度もここを攻略したことがあるんだったか。それならひょっとして、道を覚えているんだろうか。


 俺は二階とは違い、三階をほのかに照らす金色の明るい光の中に立っている竜を振り返った。しかしまだ何か考え込んでいるようだ。


「おい竜、ここの迷路ってどっちに行ったらいいかわかるか?」


「うーん、ごめん。それが、なんかここも前と変わっていて……」


 あれれと言う顔をしているのに、怒る気にもなれない。


「まあ、仕方ないな。お前が前に来たのって、兄貴と一緒なら十七年は昔だろうし」


「いや、その後も憂さ晴らしに二三回来たけれど……」


 ――憂さ晴らし?


 微妙に不穏な単語に、俺が俯いて考え込んでいる竜の顔を振り返った時だった。


 顎に手を当てて考え込んでいた竜が、急に顔をあげると、そのままはっと俺を見つめる。


「兄さん! 危ない!」


 思い切り胸を両手で弾き飛ばされたと感じた。その瞬間、視界の中に後ろに大きく飛びのく竜の姿と、俺の前に降りてくる巨大な土色の手が見えた。


 上から落ちてきた巨大な手が、大きな音をあげて岩に止まったハエを叩くように俺達の前に打ちつけられる。轟音と共に砕けた岩の欠片が、俺の頬を掠めた。そして、ゆっくりと巨大な指を、砂埃と共に上の空間に持上げていく。


 大きい。


 指一本で俺の体よりも太いだろう。息を飲むほど大きな指が、ぱらぱらと落ちる砂煙と共に上の空間に消えていくのを、俺はまばたきするのも忘れて見つめていた。


 その指が持ち上がり、やがて上の空間に突き出ていた腕が、壁の向こうへと消えていく。代わりに腕があった空間の奥に巨大な石像のような頭が見えた。


「なんだ、あれは……?」


 巨大な石で造られた四角い顔を見つめる俺の側へ、飛びあがって間一髪で危険を避けた竜がとんと降りてくる。そして、俺と同じように巨大な石像に視線を合わせた。


「ゴーレム。火でも水でも倒せない厄介な相手だね」


「つまりお前の魔法でも、どうにもならない相手というわけか」


 嘘だろう? 確かに話には聞いたことはあったが、あんな命さえ持たない化け物を相手にどうやって勝てというんだ。


 ごくりと喉が鳴った。


「まあ、竜の姿に戻って、迷宮ごと破壊する戦いをしてもいいんなら何とかなるとは思うんだけど――ただ……」


「ただ?」


 いや、その解決策って多分俺も生きていないよなと思いながら振り返ると、竜はまた顎に手をあてて考え込んでいる。


「いや、違うと思うんだけど……二階といいここといい、僕や兄さんが苦手とする相手の罠ばかりになっているから……まさか、僕らがこの迷宮を壊しまくって攻略したことで、迷宮主が怒っているなんて狭量なことはないと思うんだけど……」


「絶対にそれが原因だ!」


 こいつ! どうしたら、それで相手が怒っていないと思うんだ!?


「えーっ!? でも、ちょっと壁ごと壊しただけだよ!?」


「おおっ、確実に修復が必要なレベルまで破壊したということだな? そりゃあ、お前らよけの罠にもなるわ」


「えーっ、何それ!? 僕ら庭に入る野良猫扱い!?」


「なんでわざわざそんな可愛いものに例える? 確実にゴキブリよろしく見つけたら叩きのめそうと殺意を抱かれているじゃないか」


「えーっ!!」


 そんなあと目を大きく開けているが、なぜ俺でもわかることを思いつかないのかが理解できない。


「まあ、いいか」


「おい、切り替え早すぎるだろ?」


 なんで今ショックを受けた直後で、もうそんなに開き直れるんだ?


 けれど、次の瞬間、また指が声を聞きつけたように頭上から降ってきた。


 ――この迷宮主、本当に俺たちをもぐらとしか思っていないんじゃないか!?


 どう考えても、もぐら叩きで完膚なきまでに叩きのめしてやろうという根性が見え隠れする。いや、そりゃあ恨みは骨髄に達しているのかもしれないが――それは竜だけにしてくれ!


 必死に走って巨大もぐらたたきの拳をかわすと、俺の横に竜が飛びながら顔を寄せてきた。


「仕方ないね。僕が上に出て囮になるから、兄さんは僕が作った炎の通りについてきて!」


 話すのと同時に、手の中に小さな青白い火の玉を作り出す。


「お前人間の姿でも飛べるのか!?」


 側で話しかけながら魔術を使っている竜の体は明らかに浮き上がっている。浮いたまま俺の走りについてきているのに、驚いて横を見た。


「そりゃあ見えないだけで本当は羽根があるし」


「そりゃあそうだが!」


 だったら、今二人で上に飛んで一緒に出口を探したほうが早いじゃないか。なんでそんなまどろっこしいことをする!?


 だが、竜はゴーレムに聞こえないように声を潜めると、走る俺の耳にひそっと囁く。


「ゴーレムは、作り手によって体の左右それぞれに刻まれた紋章があるから、それを消されれば動けなくなる。ゴーレムまでの道は僕が上から迷路を見て、炎に指示を送るからそれについてきて!」


「おい竜!」


 呼び止めようとしたのに、竜はじゃあと手を振ると、もう人の話を聞きもしない。とんと岩の壁に飛び上がると、途中の壁に一度足をついて、そのまま迷路の天井近くにまで浮き上がっていく。


 竜の体からふわりと真紅の炎のオーラが迸った。そして、浮き上がった姿でにっと笑ったまま腕組みをしている。完全に遠くにいるゴーレムを挑発している。


「あの馬鹿!」


 ゴーレムが突然現われた竜の最高級の魔力を纏った姿に、はっきりと敵と認識した。地響きを轟かせながら、岩の顔を竜へと合わせていく姿に、俺は走りながら大きく舌打ちをする。


 ――本当に人の話を聞こうとしない!


 なんで一人で危険を引き受けようとするんだよ!? こんな無茶をして、お前が怪我をしたらどうするつもりだ!?


 ――俺は竜の怪我の治療法なんて知らないぞ!?


 いや、学校の友人に一人だけ勉学全般に詳しそうなのはいるが……


 だけど、そいつに頼む気はない。


「ここが終わったら、もう一発その花の咲いた頭を殴ってやるからな!」


 俺とゴーレム、どっちが怖いかこの迷宮で身をもって知るがいい!


 走りながら俺は決意を固めると、竜を助けるために迷路を急いだ。竜が出した俺の前に浮かぶ青白い火の玉は、俺の走る速度に合わせてゆらゆらと揺れながら、複雑に道の分かれた迷路を迷うこともなく進んでいく。


「邪魔だ!」


 俺は竜の火の玉について走りながら、時々出てくる蔦のような、体に絡みついてくる植物をざんと切り払った。あぶない。この蔦の先端、人間の肉を食いちぎるような口がついているじゃないか。


 床に落ちた植物に息をつく間にも、頭上では竜がゴーレムの指と楽しそうに鬼ごっこをしている。


「ほいっと!」


 軽快な声で伸ばされてきた巨大な岩の手のひらをかわし、楽しそうに赤い髪をなびかせた。


 ――あいつ……


「鬼さーん、こちら!」


 べろべろばあをしている所を見ると、完全に遊んでやがる。けれど、段々とゴーレムの手が俊敏な竜の動きに追いついてき始めた。


「おおっと!」


 巨大な指が竜の服を掠めていく。慌てて身を屈めて、竜の腹を掴もうとした指をかわしたが、俺の方がひやっとした。


「竜!?」


「んー大丈夫。ダメダメ、油断しすぎたね」


 にっと笑っているが、一瞬竜が息をついたのに気がつく。


 違う。


 竜の方がスピードが落ちてきているんだ。


 だとしたら、と俺は走る足に力をこめた。


 ――本当は口で言うほど余裕はないんだろう!?


 自分が好きだと言っていた俺と一緒に飛ぶことを今しないのも。


 俺に安全な道を行かせて、自分が危険な役を引き受けたのも。


 人間の姿から戻ろうとしないのも。


 人間の俺にはわからないが、何か竜よけの呪いのようなものが施されているのかもしれない。その証拠に、段々と竜のスピードが最初よりも落ちてきて、時々汗のようなものが額から流れ落ちている。


 そういえば、さっきも少し息が荒かった。


「あのバカッ!」


 ――ゴーレムが片付いたら、後で絶対に説教だ!


 だいだい俺を兄だと思っているのなら、俺をもっと信用しろ!


 絡みついてこようとする蔦を切り払い、俺はじぐざぐに曲がる岩の間を幾つもの枝道を越えて走り続けた。進んでいるのが本道かなんてわからないが、確信はある。


 竜が俺に行けと言っている道だ。それで俺がゴーレムの元にたどり着くのを待っているのなら、行ってやらなきゃ仮でも兄ではないだろう?


 巨岩の間を曲がり、敷き詰められた岩のでこぼことした床を急いで走り抜けた。


 そして、暗い大きな岩を曲がったとき、突然目の前が大きく開けた。


「出れた!」


 はっと前を見ると、大きな広場のように平たい岩が敷き詰められた空間に、ゴーレムがいる。そして、今、巨体の胴体を前のめりにするように伸びをして、空中を飛んでいる竜を捕まえようとしているではないか。


 竜の手から眩しいほどの火炎が玉になって作り出され、それが赤い髪を振りながらゴーレムに打ちつけられている。一階の剣の刃を全て溶かしたあれだ。


 それなのに、岩でできたゴーレムは竜の玉の直撃を顔に受けても、僅かに表面が溶けてくぐもった声をあげただけで、たいしたダメージを受けた様子もない。


「竜!」


 代わりに今にも手が竜に掴みかかろうとしているのを、竜がひらりと空中で舞って紙一重でかわした。


 それに、ほっと息をつく。


 まったく、ひやひやさせてくれる。


 だけど、こっちを見て、ちょっとだけ笑った竜の顔に、俺もやっと笑みを返せれた。


 ――今の間に。


 まだ空中の竜に気を取られて、俺の姿に気づいていないゴーレムをじっくりと見つめる。


 竜は体の左右に刻まれた紋章を消せば、ゴーレムの動きが止まると言っていた。


 どこだ?


 息を潜めて見つめるが、胸にはない。慎重に腰から足に目を移していく。けれど、ゴーレムの足元の床にある、大きな髑髏の絵のついた石に、一瞬視線が止まった。あれはきっと、一階と同じ罠だろう。踏まないようにしなければ。


 本当の扉らしきものは、俺が見つめるゴーレムの後ろに、大きなクエスチョンマークを表面に描いて、ひっそりと隠すようにある。


 ここまできて、しつこくクエスチョンマークって! やっぱりこの迷宮主の頭は腐っているだろう!?


 俺は苦虫を噛み潰したような顔で、もう一度視線をゴーレムに戻すと、石でできた平たい顔を見つめた。だけど広い顔にも紋章は見つからず、ふっと視線をさげた瞬間、目に入った。


 ――あった!


 抜いていた剣をすらりと構える。


 そして息を殺して走り出す。


 あの、左腕の岩の付け根。そこに隠されるように、蛇の紋章と古代文字が掘り込まれている。


 ――あれだ!


 間違いない。そのまま俺は剣を構えて走った。


 チャンスは一瞬。俺の存在に気がついたゴーレムが、その腕で攻撃を加えようと振り下ろしてくる瞬間に、飛びかかって刻まれた紋章を切りつけるしかない。


 間違いなく左腕を下ろして攻撃してもらうために、俺は正面から左に走りこむと、見えるようにそのまま腕に向かって駆け出した。



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