第13話 ない!?


 俺は、さっきまでしていた竜の声がしないことに気がついて顔をあげた。


「竜?」


 すると、さっきまで飴を舐めていた竜は、手にペロペロキャンディーの棒を握ったまま、自分の腕に顔を埋めてうとうととしている。


 うつぶせた顔の横で、竜の髪が、岩の隙間から吹く風にさらさらと赤く輝いて流れている。


 それに、思わず俺は苦笑をした。


 あんなに喜んで舐めていたキャンディーが、まだ大きな形のまま手から落ちそうになっているじゃないか。


 もったいない。砂がついたら、やっぱり泣くよな。


 だから、俺はそっと竜に近づくと、外れそうに揺れているペロペロキャンディーを、そっと手から抜いてやった。


 ――あんなに好きなんだから、まだ食べたいよな。


 だけど、一度舐めた飴は溶けかけてべたついている。元の紙に包んだら、張りついて取れなくなるだろう。だから、俺は皮袋から怪我をしたとき用に持ち歩いている清潔な布を取り出して、包んでやった。


 ――まあ、糸くずぐらいはついてしまうかもしれないが……


 それは勘弁してもらうしかない。


「このまま落として、砂だらけよりはましだろうしな」


 呟くと、そっと赤黒い髪を撫でてやった。


 ――こうして見ていると、とても俺が想像していた竜じゃないな……


 まさか、こんなあどけない竜がいるなんて思いもしなかった。


 ――こいつを見ていると、本当に変な気分になる。


 多分、顔が昔の俺にそっくりだからだろう。


 だから、そんな筈がないのに――なんだかずっと昔から一緒にいたような気分になってしまうんだ。


 ――将来、俺が竜狩りドラゴンスレイヤーになっても、こいつにだけは逃げるように言ってやろう。


 それが仮にも、一時兄と慕ってくれたこいつへの義理だろう。


 ――それに、俺の不調も治してくれたしな……


 その割には、隙さえあれば、命を危険に晒そうと企てられたような気がしないでもないが。


 あれ。ひよっとして俺にとっては、こいつの方が迷宮より危険なんじゃないだろうか?


 思わず、無邪気に寝ている竜の顔に、うーんと考え込んでしまう。

 

 けれど、腕を組んだ時、ふと皮袋についているはずのお守りの石がなくなっていることに気がついた。


 ――しまった! どこかで落とした!?


 いや、確か一階で階段に飛び込んだ時には、手に引っかかった感触があったから、まだついていた筈だ。


 ――だとしたら、さっきゾンビに襲われた部屋。


 俺は今来た階段を振り返ると、まだ側で眠っている竜の寝顔を確かめた。


 小さな息をこぼれさせて、穏やかに眠っている。


 ――起こしたら可哀想だよな……


 そうじゃなくても、俺を乗せてアストニアの東から遥か南の砂漠。そして今度は隣国キルリードの境にあるシャンセリ山脈のこの迷宮に来ているんだ。いくら竜でも疲れない筈がない。


 だから、俺は竜の穏やかな寝顔を確かめると、音をたてないようにそっと階段を下りた。


 そして静かに、竜を起こさないように気をつけて、さっきの部屋の扉を開ける。中は今も真っ暗なままで、階段を下りるのも一苦労だ。けれど、記憶を頼りに闇の中を歩いていく。


 ――確か、さっき戦っていたのがこの辺だから。


 咄嗟に皮袋を投げたのは、左のこの辺りのはず――


 暗い床に蹲って、手のひらで心当たりのある周囲を隈なく撫でてみた。


 けれど、さっきまでいたゾンビが本当にまた出てこないか、後ろが気になって仕方がない。


 ――まさか、もう出てこないとは思うが…… 


 慎重に暗い周りに気を配りながら、手のひらで床を探す。小さな石だ。いくら水晶みたいでも、光っているわけでもない。それをこの暗闇の中で探すのは、さすがに難しいかもしれない。


 もし、どこかに転がってしまっていたら――


 だけど、妹のユリカがくれたんだ。


 俺の額に焦りの汗が滲んだ時、けれど暗闇の中で探していた手のひらに固い感触が当たった。


 ――あった!


 覚えのある紐の感触のついたそれに、俺の顔が輝く。


 目の前に持ち上げて、確認するように指で触ってみてほっとする。


 暗闇に慣れてきた目でじっと見つめると、闇の中におぼろに浮かんできたのは、よく知っているお守りの石の形だ。


 ――よかった……


 ユリカが俺の為に用意してくれたお守りなんだから。たとえ、効力を間違えたのだとしても、魔物に襲われる縁がなくなるようにだとありがたく思っておこう。


 ――もっとも、魔物より、変で厄介なのに懐かれた気はするが。


 というか、どう考えても、今の俺に一番危ないのはあの竜な気がする。いっそここで寝かせたまま、先に進んだほうが、安全なのだろうか。


 うーんと、暗闇の中で、思案するように首をひねった時だった。


 突然、迷宮の空気を切り裂くような悲鳴が聞こえたのは。


 ――なんだ! 竜の声!?


 まさか俺が置いてきた、この僅かな時間に何かに襲われたのか!?


「竜!?」


 けれど、急いで踵を返して、扉に駆けのぼった俺の視界の向こうでは、竜は辺りを見回しながら、絶叫をあげていた。


「嘘! ない、いない! そんな――!」


 ――竜!?


 その顔は、これまで見せていた甘えん坊な顔ではない。


 まるで気が狂ったように、辺り中見回して必死に探している。窓のような岩の外まで覗いて叫んだ。


「いない! 飴もない!」


 それに、俺は思わずよろめいて、壁に体をぶつけてしまった。


 ――そんな半狂乱になるほど飴が好きだったのか!?


 なんだ、馬鹿馬鹿しい。心配して駆けつけて損した。


 だから、ぶっきらぼうに声をかけようとした。


「おい、りゅ――」


 けれど、竜はまだ涙を流すと、必死に岩の隙間まで指を入れて探している。


「嘘だ! やっと見つけたと思ったのに! まさか、また夢だったの!?」


 ――うん? なんのことだ?


「嘘だ! やっと、やっと兄さんを探し出せたと思っていたのに――! 嘘だ! まさか、飴を買ってもらったことも一緒に戦ったのも全部夢!?」


 悲鳴に近い竜の叫びに俺の呼吸が一瞬止まった。


「いやだ! ずっとずっと探して、やっと見つけたと思ったのに――! きっと僕が知らない罠が、寝ている間に動いたのに違いないんだ!」


 たがら、何かあるはずと、さっきまで俺が座っていたところの岩の隙間に爪を入れている。そして、力任せにその岩を持ち上げようとした。


 おい、何を無茶しているんだ!


 「ばかっ! そんな岩を持ち上げたら、お前の爪が砕けるぞ!?」


 竜の爪の強度がどれくらいなのかは知らない。鉄より固いと言われているが、果たして何千年も大地で作られた岩よりも固いのか、どうか――


 けれど、駆け寄って腕を握った俺の顔を見るなり、それまで泣き叫んでいた竜の目が大きく開いた。


 そして、じっと見る。


「兄さん――」


 ふにゃっと例えればいいのだろうか。明らかに、緊張が解けて安心したように緩んでいく。


 竜の細くなった瞳には涙さえ浮かんでいるではないか。指で必死にぬぐっているそれに、胸が締め付けられる気がして、俺は竜の頭を抱きしめた。


「悪かった――」


 ――まさか、お前が、いなくなった兄を探す中で、こんなに傷ついているとは思わなかったんだ……


 どれくらいの間、こうやって泣きながら探していたのだろう。


 ――ごめんな。知らなかったんだ。


 だって、いつも明るく笑っているから。だから、きっとお前が話す通り、家出した相手を暢気に探しているのだと思っていた。


 人間の俺を、似ているだけで兄だと勘違いしてしまうほど。


 ――俺が、本当にこいつの兄だったらよかったのに……


 わかっている。そんな筈はない。俺には故郷のカルムの街に残してきた人間の父さんと母さん、それに妹のユリカもいる。


 ――そんな筈はないとわかっているんだけど……


「ごめん」


 なんで、俺はお前の兄じゃなかったのかな。俺が兄じゃないと気がついた時、こいつは今と同じように悲痛な声で泣くのだろうか。


 けれど、竜は俺の今の謝罪をほかの意味にとったらしい。


「ううん。いいんだ。ちょっと昔の夢を見たから、混乱しただけで……」


 えへへと泣きながら、俺の顔を見て笑っている。泣き笑いの顔の髪を、俺が静かに撫でてやると、少しだけ微笑んだ。


「悪い。さっきの階に落し物をしたから、取りに行っていただけなんだ」


「ああ。なんだ。そうか、ごめんね、慌てて――」


「いや、俺も寝ていると思って黙っていったから――」


 悪かった。こいつにとって、置いていかれることは、本当に怖くて恐ろしいことなのだろう。だから、髪を撫でながら約束をした。


「もう、一人で置いていったりはしないから――」


 この迷宮を攻略したら、一緒に兄の行方を探してやろう。


 竜のこいつが何年も探して見つからなかった相手だ。簡単に見つかるとは思わないが、それでも一緒に探す相手がいれば、気分が違うかもしれない。


 ――それまでぐらい、兄と呼ぶことは許してやるからさ。ごめんな、お前の兄じゃなくて。


「うん」


 まるで花が咲くような笑顔で笑っている。指で涙を拭う竜の髪を、もう一度わしゃわしゃとかき回して、元気づけようとした。


 ――うん。竜のこいつがあちこち探して何年も見つからないってことは、ひょっとしたら、逆に人間の近くにいるのかもしれないしな。


 帰ったら、学校にある近年の竜の出没記録を調べてやろう。そうしたら、何か手がかりがあるかもしれない。


 そう思うと、俺は皮袋を階段において、さっきの飴を取り出した。


「ほら。落ちそうだったから、布に包んでおいたんだ。そんなに不安になるのなら、このまま持っていろよ」


「ううん、大丈夫。それより兄さんが勝手にいなくならないでね?」


「それはいつでも、俺が飴を出してやれるようにか?」


 冗談をこめて、竜を見つめる。


「だって、飴より兄さんの方が好きだからさ――」


 ああ、まいった。なんで、こんなにかわいいことをこいつは言うんだろうな?


 ――本当に、お前地上最強生物か?


 もう一度、わしゃわしゃと髪をかき回して、俺は少しだけ竜に笑いかけた。


「さあ。じゃあ休憩もとったし、早く次の階に行くとするかー」


「そうだね。この上さえ攻略したら、後は、もうこの迷宮主のところに行けるからね」


 軽口を叩きながら、一緒に岩の階段を上っていく。竜の顔を振り返る俺の髪を、岩の隙間から吹き付けてくる爽やかな風がかき混ぜていく。


 少しきついが、気持ちいいぐらいの風だ。


「なるほど。後はそこを攻略したらこの迷宮の主に会えるんだな?」


「うん。僕が来た昔通りならその筈だけど――」


「ここより上はないし、そこまでは変わっていないんじゃないか?」


「だといいんだけどね」


 少し不安そうに考え込んだ竜に疑問を感じて、うんと尋ねるように竜の顔を覗きこんだ時だった。


 考え込んでいる竜に目を止めるよりも早く、竜の後ろの岩の隙間から見えたこの迷宮の入り口に、俺の視線が奪われてしまう。


 ――サリフォン!!


 だいぶ竜の翼で時間を稼いだはずだったのに。それなのに、サリフォンは今この迷宮の入り口に立つと、白金の髪を輝かせている。遠くに見える小さな姿に、俺はぎりっと唇を噛み締めた。


 ――時間がない!



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