第18話:東日本大震災と募金活動開始(2011-12)

2010年は恩師リチャードの死と七郎商会の解散と続き悲しみのうちにくれていった。七郎商会は、七郎の給料を貯めたお金から5人の退職金合計1億円を渡し残りの再就職策を世話して退職してもらった。七郎は、その後、夫婦で、個人的に日本の製品を海外に売る貿易の仕事を再開した。その後、貿易の仕事を奥さんの恵子に任せて、知り合いの会社を回り、貿易の手伝いをしていく事にした。そして、2011年があけ、初詣で、貿易商の繁栄を祈った。


 その年、2011年3月11日14時47分、東北太平洋沖を震源とする、マグニチュード9.0という、とてつもない大きな地震が起きた。東京、横浜も震度5の大きな揺れに見舞われ、電気、ガスが止まった。その後、電気が復旧すると、東北沿岸の大津波の映像が映し出されて、まるでパニック映画のワンシーンを見ているかのような錯覚に陥った。しかし、これは、映画ではなく、実際に起きているんだと、思うと背筋が凍る恐怖感に襲われた。こう言う大災害の時は、人間の力のなさを痛感した。東京では、交通網が麻痺状態になり仕事から帰る人々の長い行列が国道を埋め尽くしていた。七郎も奥さんも、今後の事など考えられず、呆然と立ち尽くすだけだった。時間だけがむなしく過ぎていくうちに、東北での津波、港の石油コンビナートの大火災などがテレビに映し出されると絶望感が増し不安な気持ちをかきたてられた。その晩は、夢遊病者の様に、ただ、テレビを見て、眠れない夜を過ごした。家族の安否を確認するのが精一杯だった。


 翌朝、パソコンを開くと、RCHの関係者からのメール、息子のジョージ、友人のティムからの安否確認のメールが入った。彼らに自分たちの無事を返信した。ティム、RCHの関係者からは、経済的支援するからとも書いてあったが、その必要はないと答えた。


 半日経って、その後3月17日の、東北電力福島第一原子炉のメルトダウンという未曾有の大事故が起きたのだった。その時は、ショックのあまり、茫然自失という大人、子供達が多く、特に、関東以北の人達は大きなショックを受けた。翌日から、ガス、水道、電気が復旧し、家にも帰れるようになった。


 その後、七郎は元RCH家のメンバーとして政治家、財界人、芸能人ともパイプできたので大きなチャリティー組織をつくって、被災地の救援大きな募金の和を日本に作り上げ様と思いついた。最初、震災孤児1698人の進学のために七郎基金を1億円で立ち上げ、顔見知りの財界、芸能界、米国の財閥、富裕層に会い寄付を募った。


 またインターネットでも募金を要請した。RCH家の関連の米国の富豪達にも、この事を知らせた。七郎が私費1億円を拠出し日本での募金活動で10億円、米国から1千万ドル(8億円)の合計18億円の基金となった。まず2011年夏に震災孤児1698人の進学のために1億円を寄付した。その後、毎年3月に1億円ずつ募金した。2012年で14億円になり、その年七郎基金で合計24億円を寄付した。この事業で七郎の全資産8億円のうち5億円を寄付、従業員の退職金1億円を使い2億円となった。自分たちの将来を考えて2012年、SP500に1億円投資し全財産が1億円となった。

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