第10話:ソ連崩壊と阪神大震災(1980-1990)

葬儀の翌日、横浜の道場へ行って、練習で汗を流し、葬儀を終えた事を恩師の先生に報告した。恩師の先生から、人間はね、こう言う試練、悲しみを越えて、強く、優しい人間になっていくんだ。七郎、これからの人生を平常心を持って、精一杯頑張って行けよと言ってくれた。葬儀の後、息子のジョージに、君はどうしたいと聞くと、今の横浜のインターナショナルスクールを出たら、米国の大学に通いたいというので、了解し、一生懸命、スポーツ、勉強を楽しんでいくんだぞと言い、金が必要なら、送るから言ってくれと言った。


 1991年、11歳になったジョージは、理数系よりも文学、音楽、絵、芸術の才能がある様だった。バンドを組んでトランペットを吹いていた。スポーツはテニス楽しんだ。成績は優秀であり、理数系が弱いので七郎に教えてもらう事もあったが、徐々に成績を向上させ、全額給付のスカラシップで英国留学をめざしていた。


 この頃、1991年には、ソ連邦が崩壊して、ロシアとなり、その後、ウクライナをはじめ、旧ソ連邦の多くの国が独立していった。そして、米国との冷戦時代が終わり、世界の経済にとっても、平和にとっても、良い時代が来ることが期待された。しかし、期待とは裏腹に良くなる事はなかった。


 1995年、七郎の息子のジョージは、15歳になり、横浜のジュニアハイスクールの成績も、初めて学年トップになった。ジョージの口から、スカラシップを取って、お父さんのように、自分の力で、自分の将来の道を切り開いていくと聞かされた。また、自分自身は、音楽、美術といった芸術系が好きだが、生活のためには、やはり技術、特にコンピュータの時代なので、ソフトウェアの勉強をしていくと言った。七郎は、ジョージから、この話を聞いて、独立心のある逞しい子に育って、非常に喜んだ。


 そんな時に阪神大震災が起きた。1995年1月17日の早朝、七郎は、いつもの様に朝5時に起き、ニューヨークからの経済情報を見ていると、NHKの緊急放送が放映され神戸の駅周辺でビルが崩落しパニック映画の1シーンをも見ているようだった。アナウンサーも事情がわからず、何か大きな火災が神戸の市街地で起きていますとただ放送するだけだった。


 その後、神戸周辺で大きな地震が起きて、木造の家が押しつぶされて死者が大勢でている、一部のマンションが倒壊して、阪神高速も倒壊したようだとのニュースが入り、断片的にコンクリートの建物が倒壊しているのが写り、神戸駅までの大火事の画像が流れて、事の大きさを知った。死者:6,435名、行方不明者 : 2名、負傷者 : 43,792名。住家被害:全壊104,906棟、半壊144,274棟、全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、一部損壊390,506棟。地震当日に死亡した5036人の76%に当たる3842人は地震から1時間以内に死亡しており、このうちの9割が圧迫死(圧死、窒息死など)だった。多くは木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられる。何か不吉な前触れのようで嫌な年になった。

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