第11話:オウム真理教事件と円高不況(1984-1999)
更に、追い打ちをかけるように、1994年の6月のオウム真理教による松本事件、1995年3月20日の地下鉄サリン事件が発生。まさに、世紀末の悲惨な出来事に、憂鬱な気分にさせられる七郎だった。
投資の世界では、世界の株式は乱高下していた。1995年円高が加速、多分、円高が変転した時点で米ドルを買う事にした。1995年4月、80円で30億円で米ドル3750万ドルを買った。この時点の残金1億5600万円と3750万ドル。そんな中1997年、七郎の息子、ジョージは17歳、3回のスカラシップの試験を受けて、合格し、UCLA:カリフォルニア大学ロサンゼルス校の電子工学科に入学した。この時、七郎はジョージに合格祝いとして1万ドルを送った。
その後、1998年のアジア通貨危機と共に、円が急速に安くなっていき、反転したときに売ることを決めた。1998年8月に¥146/$で、3750万ドルで円を買い54億7500万円とした。1998年夏の資産合計が56億3千万円になった。
日本の経済界では、1998年11月13日に都市銀行の一角、北海道拓殖銀行が経営破綻、翌日に日本の4大証券の1つ、山一證券が経営破綻すると言う大事件が起きた。1999年まで、世界の株価が上昇を続け、好調を維持して、20世紀が終わりを告げ、21世紀を迎える事になった。2000年問題というコンピュータ誤作動によるパニックも起きずに無事に21世紀となった。
この頃には、七郎商会もデータベースを増やして、1989年、七郎商会を1985年に設立して13年で、会社の純利益35億円で、社長の七郎の累計収入、15億円と膨らんできた。仕事の量の増加と共、スタッフ男性8人、女性2人と増員し、最近では年間5億円/年の利益が出る年もあるほど順調に成長してきた。
リチャードが海外出張している時には、RCH日本支部代表・リチャードの代理として、日本の政治家、財界人、芸能人達とも会う事ができ、木下七郎の顔も売れてきた。七郎の資産は1999年末の56億3千万と給料の累計15億円の合計71.3億円になった。
1999年に、七郎の一人息子のジョージがUCLAから6月に帰ってきた。大学では、ソフトウェアの勉強しており、将来性のあるパーソナルコンピュターソフトに興味を持っていると言った。現在、マイクロソフトのエクセル、ワード、パワーポイント、アクセスを使っている。簡易プログラム言語のVBA(Visual Basic for Appication)を使い、特にアクセスVBAで簡単なプログラムを作るのが、特に面白いと言った。七郎が、今、会社でRCHの経理を任されているが、アクセス(MSのオフィスパック・プロに入っているデータベースソフト)を使いVBAでプログラムを組んでいるというと、まさに、それを大学で勉強していると答えた。七郎が笑いながら、ジョージに向かって、お前が、しっかり勉強して、俺のあとを継ぐかと言うと、それは、後で考える事で、今はわからないと回答した。
ジョージが日本にいる間に、実際に、データベースの更新の仕事の実際をみせると、興味深く見ていた。それくらいのことは、簡単にできるよと、七郎に言い返した。それに対して、そりゃー、大学で専門的に勉強してるんだから、当たり前だよと言い返した。8月下旬のまでの2ヶ月半、日本に戻って、旅行したり、日本の友人と遊んだりして、ロサンゼルスへ帰っていった。
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