第8話:イランイラク戦争と投資(1980-1990)

 チェルノブイリ原発事故のような、大災害が追い打ちを掛けるように世界の不安の増大と共に、経済も音を立てて崩れおちてきた。翌年1987年10月15日にはイラン・イラク戦争のアーネスト・ウィル作戦で米軍の護衛を受けていたタンカーがイラン海軍の攻撃を受けミサイルを被弾する出来事があった。米軍は報復として当日未明、イランがペルシャ湾に持っていた石油プラットフォーム2基を爆撃「ニムバル・アーチャー作戦」し市場参加者の間には原油市場に対する不安が沸き起こっていた。


 七郎は嫌な予感が心をよぎった。1987年「34歳」翌日、ソニー株、トヨタ株を全株、成り行きで売った。ソニー株とトヨタ株32万株ずつ合計64万株で合計19.2億円で売れ、資産合計が19億3600万円。


 ただし、日本経済は、依然、好調なので下げたところを買う心づもりで市場を見ていた。1987年10月19日のブラックマンデーの当日は、ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下がった。この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった、1929年の暗黒の木曜日「ブラック・サーズデー、下落率12.8%」を上回った。これを見て、七郎は震え上がった。そこで、リチャードに相談すると、米国市場の混乱は1年くらい続くかも知れないが、日本の景気は良いから、一気にさげるであろう明日か、もう一段さげたところを買うか、上げ始めたところ買い始めるか、この3つのどれを選ぶかだと思うと言った。


 七郎はその意見を聞き、1987年10月20日が開く前に、ソニーとトヨタ株を10万株合計20万株、成り行きで買った。米国での株安を受け、日本では1987年10月20日に、日経平均株価が前日比で 3837円安「-15%」という大きな下げを記録した。更に1988年があけて、1月にソニーとトヨタ株を成り行きで25万株ずつ合計50万株を6億円で指値を入れ買った。この時点での残金1億11840万円。


 やがて1987年も終わりを告げて1988年の新春を迎え、1988年から、日本株は再び急上昇し初め、1988年8月には、40%も上昇した。1988年末から、再び、日本株が上昇を始めた。1989年1月から上昇が加速していった。1989年11月も急上昇したので、ピークが近いと考え1989年末に高値売りを狙い、12月の最終日にソニーとトヨタ株を25万株ずつ計50万株、13億円で売却し、資産合計が14億1840万円となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る