第7話:チェルノブイリ原子力事故1(1980-1990)

 次に、七郎が、今後、日本円が、強くなるのではないかと言うと、その意見にリチャードも賛同した。日本の優秀な電機製品、車など売れてるし、品質も良いので、ソニー、パナソニック、トヨタ、ホンダなどの株を買っても良いかも知れないと言った。1979年ソニーを2万株、1600万円で購入した。トヨタ株2万株、1600万円で購入した。残り資産が1600万円となった。そこで、スイスのピクテに連絡して、七郎の金地金144kgを日本円に変えたいので、金価格を注視するように指示した。1982年末に4300円/gの高値となり、金地金144kgを6億円で売却した。1982年末(30歳)の資産が6億1600万円。1985年の9月22日のプラザ合意で、急激な円高と日本株高で、日本株を買うべきか、円を買うべきか迷った。どっちを買うか1日かけて、考えて、株の変化の方が大きいと考え、残金1600万円を残して、大勝負に出た。ソニー株を30万株で3億円とトヨタ株30万株3億円の合計6億円で購入した。予想通り1986年(33歳)から日本株が一気に上昇してきた。日本株上昇と共に、日本円も高くなってきた。


 その年の4月26日、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所4号機で発生した史上最大の原子炉事故。 原子炉が暴走し、炉心溶融に続いて水蒸気爆発が起こるなどして、原子炉や原子炉建屋が破壊され、大量の放射性物質が国境を越えて拡散した。 爆発や急性放射線障害などで31人が死亡、11万6000人が避難を強いられた。当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れこの事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。しかし、翌4月27日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にてこの事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が検出され、近隣国からも同様の報告があったためスウェーデン当局が調査を開始した。


 この調査結果について事実確認をスウェーデンがソ連に求めた。遂に、ソ連は4月28日に、その内容を認め、事故が世界中に発覚。当初、フォルスマルク原発の技術者は、自原発所内からの漏洩も疑い、あるいは「核戦争」が起こったのではないかと考えた時期もあったという。爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソ連当局は応急措置として次の作業を実行した。火災の鎮火と、放射線の遮断のためにホウ素を混入させた砂5000tを直上からヘリコプターで4号炉に投下。水蒸気爆発(2次爆発)を防ぐため下部水槽(圧力抑制プール)の排水(後日、一部の溶融燃料の水槽到達を確認したが水蒸気爆発という規模の現象は起きなかった)。減速材として、炉心内へ鉛の大量投入したが、実際には炉心には、ほとんど到達しなかった。次に、液体窒素を注入して周囲から冷却、炉心温度を低下させた。注入した時には既に、炉心から燃料が流出していた。この策が、功を奏したのか、一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動も、次第に落ち着き、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表している。


 砂の投下作業に使用されたヘリコプターと乗員には特別な防護措置は施されず、砂は乗員が砂袋をキャビンから直接、手で投下した。作業員は大量の放射線を直接浴びたものと思われるが不明。原子炉に近い、水槽(サプレッション・プール)の排水は、放射性物質を多く含んだ水中へとソ連陸軍特殊部隊員数名が潜水し、手動でバルブを開栓し排水に成功した。爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と呼ばれている。事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。


 避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故発生から1か月後までに原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したとソ連によって発表されている。事故処理従事者86万人中5万5000人が、既に死亡しており、ウクライナ国内(人口5000万人)の国内被曝者総数342.7万人(総数の7%)の内、作業員は86.9%が病気に罹っている。また、周辺住民の幼児・小児などの甲状腺癌の発生が高くなった。


 この時、九州の「通販生活」カタログハススという会社が「チェルノブイリ事故で苦しんでいる子どもたち」のことを紙面に掲載し、「チェルノブイリの母子支援募金」を募っている。1990年11月からスタートした募金は、年間4~5000万円が集まり、そのお金で医療機器やビタミン剤、医薬品、放射能測定器などを購入し、ベラルーシやウクライナのいくつもの病院に届けた。更に、モスクワに「チェルノブイリ救援連絡事務所」をつくっていて、ゴーリキー通りの日ソ合弁会社の一室を借り、8人乗りのワゴン車を二台とファクシミリ等を設置し、日本語もできる事務局員をおいた。発起人は、斉藤社長。チェルノブイリ担当の神尾さん(この会社の社員)というその若い女性は、市民グループの世話をしたり、一見、優しそうな感じの人なのだが、カタログ誌上の報告では、次のような厳しい文書を書いた。チェルノブイリ現地の医療器具の圧倒的不足について「人工衛星を一基とばす予算で、最新の医療器具がどっさり備えられたのに、ソ連の権力者たちは一体、市民の生命をなんだと思っているのだろう……」その後、広島大や信州大の先生をはじめとする医療専門家(小児の甲状腺癌など)や検査技師が集まって、各々の活動や調査、研究の報告を行い、情報交換しながら、今後のより有効な支援(救援)活動の方向を話し合い、小児患者の治療を最優先に実施していった。

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