第6話:七郎の遺産と投資開始1(1980-1990)
その晩、七郎がリチャードにコンピューターのソフトウェア分野でもRDB(リレーショナルデータベース)に興味を持っていると話すとリチャードが驚いていた。
1979年が終わりを告げ1980年の新春を迎えた。日本でもパーソナルコンピューター第1号PC8001というパソコンが発売され早速、購入、その数年後、本格的なPC9801も購入。アメリカ時代の友人に連絡するとデータベースⅡと言うリレーショナルデータベースのソフトを送ってくれた。それを使い模擬データベースをつくり、ソフトを試し始めた。この話をリチャードに話すと面白いシステムでRCH家の財産管理のデータベースをつくってくれと言われ作成したところRCH家の財産管理の仕事をやって欲しいと言われた。その後、数年後、コンピューター作業スタッフ男性3人と受付女性1人を雇い事務所を借りてアメリカのRCH家から送られてくるデータに日本での毎日のRCH家の株式、為替、貴金属、原油の取引記録を書き加えて午後4時までにイギリスのシティのRCH家のデータセンターへ送る業務を始めた。
数年後、日本では1982年にNECからPC9801が発売されて本格的なパソコン時だが幕を開けた。その後、1984年にアシュトンテイトからdBASEⅢver2.0JというMSDOS版の本格的データベースソフトが発売された。リチャードから、財産管理だけでなく、顧客管理なども作成する様に依頼され、仕事をする事になった。ネット通信費、事務所費、コンピュータ購入費は、全てRCH家支払いで、別に給料として、200万円/月を支払うと言われ、数年後から、RCH家の仕事を始めた。その後、データベースソフトDBⅢが廃れて、マイクロソフトのACCESSに代わっていった。
将来は大型コンピュータの時代からパーソナルコンピュータの時代になると七郎は考えていたが、まさに、その時代がやってきたのである。データベースと共に、学生時代研究していたのがネットワークだった。一方、日本では、1984年に東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を実験的にUUCPで結んだ“JUNET”が誕生した。リチャードは、学費を出すから、慶応義塾大学に研究生として入り込んで、勉強して欲しいと言われ了解した。早速、手続きを取り、慶応大学の工学部、電気工学科へ入り込んだ。サンノゼ州立大学で電気工学科卒業と言う事で研究室では有名になった。
その頃、七郎は、リチャードに言われて、RCH家の資産運用の経理担当会社として、正式に七郎商会を1985年(32歳)に設立した。NYのRCHから送られてくる、事業、投資活動の経理情報をまとめて、データベースを、NYの仕事が終わるNY時間の午後5時:日本時間午前5時(夏時間)午前6時(冬時間))に、NYでのRCH家の取引と取引後のデータを七郎商会に送信してきて、続いて日本時間午前9時から始まる日本市場での取引と取引後のデータ記録を記入しして、日本時間午後4時から始まる欧州市場を記録するため、ロンドンのシティにあるRCH家のオフィスに送るのである。つまり、世界中の市場でのRCH家の取引データを更新しながら、NY→日本→ロンドン(シティ)→NY・・と世界中、ほぼ切れ目なく、24時間連続でRCH家では大きな取引をしていると言うことである。その売買高も、非常に大きく、世界の市場に大きな影響を与えている。そこで生じた利益をスイスのピクテのRCH家のプライベートバンクに定期的に送る仕組みになっているのだ。
七郎商会では、コンピュータの入力、管理スタッフを七郎を含め男性4名と、パソコンを使える秘書兼、受付嬢、女性2名の合計6名で立ち上げた。そして、3交代制で、日本、欧州、米国の経済状況を24時間態勢で見ていき、ジュネーブのピクテのRCH家のプライベートバンクと情報を共有して、金、原油を初めとした商品市場、米ドル、ポンド、日本円、スイスフラン、など為替、先進国の株価の変動を見逃さないようにして、24時間、ベストの状態で投資活動をしていくのだ。この仕事で、七郎商会には、給料を含めて、RCH家から年間1億円の利益がもたらされるようになっていった。
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