第5話:七郎の米国留学と結婚1(1971ー1979)
リチャードが私も米国の大富豪ファミリー・RCH家の子孫だと打ち明けた。
七郎もリチャードがRSC家出身とは信じられないと驚いた。リチャードが笑いながら、これでEVENだなといった。RCH家もスイスのピクテ社に口座を持っていて大きな金をプライベートバンクで投資したりして資産を増やしていると言った。
木下七郎も弁護士からスイスのピクテに預けていると言っていたので七郎一人で管理するのは難しいから、よかったらRCH家グループのプライベートバンクに七郎名義の口座を新しく開いても良いよと言ってくれた。七郎は渡りに船とお願いした。
翌日リチャードがピクテの担当者に電話して財産の処理を依頼した。翌週、全部、完了したと連絡が入った。リチャードの息子と言う事でプライベートバンクに登録したようだ。リチャードが、これでピクテのプライベートバンクが節税や投資を指導してくれると言った。七郎はリチャードに礼を言った。リチャードが七郎も正式に私の息子になったんだと喜んでくれた。
七郎が。1979年、26歳の時、リチャードの古くからの友人の娘さんが日本に留学しているんだけれど、一度、会ってみないかと言われた。名前は、サリー・RCHと言う。彼女に七郎の事を話したところ本人から興味があるので是非、会いたいと言ったそうだ。日本の文化、着物、武道、武士道、日本の花、山、紅葉が好きで、現在、東京で英語学校の教師をしており24歳、UCLAを卒業して、すぐ日本に留学したそうだ。六本木のアマンドで会い七郎が流暢な英語で自己紹介をした。
お返しにサリーが日本語で自己紹介をした。七郎は聡明で明るく笑顔の綺麗な美人で一目で気に入ってしまった。帰る前、突然、会って欲しいと言って、ごめんねと彼女が言ったのには驚いた。なる程、日本が好きというのがよくわかる気がした。
サリーが七郎さんは柔道の黒帯だそうですねといい、その内、柔道着を着て、練習しているところをみたいわと言った。七郎が、たまに横浜の道場に行きますので良かったらどうぞと言い、また電話で、ご連絡しますとサリーに告げた。翌月、七郎がサリーに電話を入れて横浜の道場へ一緒に出かけた。1時間の練習を終えて汗びっしょりでサリーの所へ来るとサリーが柔道着をさわらせて言うので了解すると、帯や、袖、合わせなどを手で触ったり、両手で生地を引っ張ったりして、すごい頑丈で切れそうもないねと笑った。汗臭いだろうと七郎が言うと、その位の方が私は好きとサリーが笑った。
その後、何枚も写真をとった。3ヶ月が過ぎてリチャードが七郎にサリー、いい娘だろと言うと、照れながら七郎が最高ですと言うと、お互いに大笑いした。リチャードが結婚しろよと唐突に言うと七郎が恥ずかしそうに結婚したいですと言った。
じゃー決まりだな。サリーが七郎の柔道の練習を見て彼なら間違いないと言い七郎に結婚のことを聞いて欲しいと言われたとリチャードが白状した。1979年の紅葉の美しい鎌倉の鶴岡八幡宮でリチャードら数人が見守る中、神前結婚式を行い、夫婦の契りを結んだ。この2年後の春に子供ができ日米の架け橋のような夫婦が正式に誕生したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます