第4話:七郎の投資と七郎商会設立1(1980~1990)

 1974年まで、サンノゼ州立大学で電気工学のソフトウェアを勉強していた。

 その頃、日本語熱が米国でも盛んになり日本語教師の家庭教師を掛け持ちで行いながら、学生生活を送っていたので食費、遊興費、本代などを賄うことができて、リチャードの入学祝い金を使わずにすんだ。サンノゼでの4年間は学校の勉強と家庭教師で忙しく過ぎ去っていった。印象に残ったのは大学のパーティーが派手で、美人が多かった事。同じクラスのロサンゼルス富裕層の日系人のお宅で、お寿司や日本料理を行った事。その他は、米国人に柔道を教えた事位だった。その後サンノゼ州立大学の電気工学科を留年しないで卒業し1974年(22歳)に日本に帰る事にした。

 羽田空港からリチャードの所に電話すると君の部屋は、そのままにしてあるから、帰ってこいと言われ戻った。リチャードが七郎を見て、すっかり逞しい青年になったと目を細めて喜んでくれた。大学での話、その後、アップル入社、ソフトウェアの話などをした。


 1974年11月、突然、七郎の父で友人の大手商社の役員、山下真一から電話があり東京で会った。喫茶店でスイスのピクテ銀行の書類を見せてもらうと金地金144kg保管してあると書いてあった。大正バブルの末期、まだ軍部の統制が厳しくない頃に木下家の東京の広大な土地と大きな屋敷、別荘、車などを売却し密かに大手商社の役員、山下真一に依頼して全部、安全資産の金に変えたらしい。山下真一が帰り際に必要な時に指示してくれれば、日本円か米ドルに換金できると話してくれた。

 木下家の全員が亡くなり全部、七郎さんの財産となったと話してくれた。

 何か、きつねにつままれた様な感じで、にわかに信じられなかった。山下真一は用件を言うと名刺と渡してくれ私も65歳を越えた、そこで、もし私に何かあれば息子の山下洋一(35歳)に、この件は話してあるので彼と話してくれと言われた。同じ弁護士事務所か、家にいるから、いつでも連絡がつくと言った。重大な事を話ししてくれ、ありがとうございますとお礼を言って失礼し鎌倉のリチャードの家に戻った。


 木下家の遺産の事をリチャードに話すべきか考え悩んだがリチャードは七郎を我が子同様に可愛がってくれ家も金も貸してくれた。やはり秘密を明かす事を心に決め、木下家の全財産がスイスのピクテに3215トロイオンス(144Kg)の金地金があり、家族が1959年の飛行機事故で全員亡くなり、相続する事になったというと、目を丸くして本当かと何回も聞いた。本当だというとリチャードが七郎の家系は日本の財閥の関係かと聞くので徳川家の親戚と伝えると江戸幕府の徳川かと聞き直した。そうだと言った。七郎の才能が木下家の小さい時の英才教育のお陰げだと納得した。リチャードは、七郎を、以前にも増して好きになり頼もしく思った。

 今度はリチャードが有名な大富豪ファミリー・RCH家の子孫だと打ち明けた。

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