第3話:横浜の外人学校へ入学2(1962-1971)

 リチャードが、自分で金を稼ぐというのは、並大抵の努力では、できない。

 相場という手強い相手と闘って、勝たなければならない。七郎、お前に、その覚悟があるのか、また勝てる自信があるのかと、すごい形相で言ってきた。

 それに対して七郎は勝てる自信があるのかと言われれば本当のところ、わからない、でも、勝つために努力する覚悟は持っていると開き直ったようにリチャードの眼を見て言うと、わかった投資の勉強をして早く金をつくれ、金がなければ、勝負にならないと言った。わかった、大金をつくるよと、七郎が、リチャードの手を強い力でがっちりと握り、リチャードが握り返した。話が終わると、あれだけ怖い顔をしていたリチャードの顔が、いつもの、やさしそうな顔に戻った。

 リチャードは七郎を抱き寄せてハグしながら、お前を見ていると昔の自分を見ている様な気がしてならないと急に涙を流し始めるではないか七郎も実の父親のように、しっかり抱きしめた。その後、リチャードが自分の持ってる、経済の本、投資の本をしっかり読んで勉強するよう言った。七郎は、まさに、むさぼるように、多くの本を読破して、内容を理解していった。約1年たった、ある日、リチャードが投資対象の10銘柄を提示して、君なら、どの銘柄に投資するか、また、その根拠はとたずねた。すると、A社、B社、C社を購入したいと答え、その利用として、A社は、収益率が良い点。B社は、着実で成長性は低いが割安、高配当。C社は、新しくて面白そうな事に投資しているので買いと答えた。この答えを聞いたリチャードはビックリして思わず、すごいと言い、よく勉強したなと、七郎の頭をなでた。


 ある時、リチャードが七郎に1万ドル投資するから増やしてみろ言った。

 その後、七郎に投資で、わからないことがあれば、聞いてくれと言った。翌年1965年ジュニアハイスクールに入学しラグビー部に入り毎日、グランドを走り回っていた。その他に、横浜の柔道場に週に2回、練習に通う、忙しい毎日を過ごしていた。そうして、あっという間に3年が経ち、大学受験の時を迎えることになった。

 投資開始から、翌年には七郎は資産を1万ドルから2万ドルに増やした。この頃にはリチャードが投資を考えている銘柄を毎週の様に、どう思うか七郎に聞いた。

 特に新しい事業をやり始める企業の将来性について七郎の意見を求めた。

 七郎も株投資を初めて3年目で、持ち金が2万ドルが3万ドルに増えてた。そこで、リチャードが、更に2万ドル渡し合計5万ドルとなった。リチャードが頑張って、増やせよと笑って言った。

七郎は言われた通りに、米国に上場してまもない株に投資していった。


 1970年になり、ハイスクールの3年生、進路を考え初めリチャードが、米国の大学のスカラシップ(無返却の奨学金)の情報をくれた。3つのスカラシップの試験に応募して、最初の試験を受けて合格して、学費は免除されることになった。サンノゼ州立大学に、スカラシップで合格して電気工学科に入学する事にした。リチャードが、これからは、コンピューターの時代が来るので、良い選択だと、七郎をほめて、カリフォルニアに送り出した。送り出す時に入学祝いとして、更に、1万ドルを口座に振り込んでくれ、合計6万ドルになった。

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