第2話:横浜の外人学校へ入学1
翌年、横浜の南部に引越し小学校に入学したが、彼は、既に簡単な英語、
ドイツ、フランス、スペイン語を話し、数学も中卒程度までマスターしていた。
そこで横浜の外人学校(Saint Joseph :SJIS)のスカラーシップ試験に合格して学費無料で入学できた。ジュニアハイスクールに入学し、多くの友達を持った。
その中でも、特にティムとは親友になるまで多くに時間ががかからなかった。
いわゆる馬が合ったのだ。ティムは、RCH家の血筋を引く名家の出であり、頭脳明晰な子供だった。一方の七郎は、冒険大好き、芸術、文学、音楽大好き、直感力に優れた行動派と言った感じであり、全く、異なった性格の持ち主。二人とも、それぞれの個性を尊重しあいながら、充実した学校生活を送った。ティムは、テニス部、七郎は柔道を横浜の道場で習い、学校ではラグビーを楽しんだ。七郎は、この頃には、日本人の友人よりも外人の友人の方が多くなり、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語の語学力を向上させていった。中でも特に理系の才能に優れており、暗算の早さ、正確さは目を見張るものがあった。もちろんジュニアハイスクールでは、学年で常に上位の成績だった。この頃にはティムの鎌倉の家で、夕飯に招待されるようになった。ティムの父のリチャードは、こんな七郎に惚れ込んでいった。七郎はリチャードの家に入り浸るようになり、自宅の借家には、めったに帰らなくなった。
そんなある日、リチャードは、七郎にうちに来ないかと誘った。借家の契約を解除してリチャードの大きな屋敷の2階の1部屋を無料で使っていいと言ってくれた。たまに、リチャードが七郎を横浜のYCACに連れて行き、ラクビーをさせるようになった。ラグビーの練習後、シャワーを浴びた後に、食堂で大きなビーフステーキをご馳走になり、世の中には、こんなに旨い食べ物があるんだと驚かされた。七郎が外国人と話すことができ、更に、日本の柔道ができるので、回りの人達も興味を持ってくれ、ラグビーの練習に行った時は、声を掛けてくれるようになり、YCACでも人気者になった。その後も、横浜の柔道場に週3回、放課後、練習に出かけていた。
それはリチャードが仕事の接待でお酒を飲んで帰ってきた日の晩の出来事だった。七郎を部屋に呼んで、日本は敗戦で、経済も悪く、食糧事情も良くない。そこで、日本を捨てて、米国人にならないかと言いだし、米国の国籍を申請したらどうかと提案してきた。それに対して、七郎は、確かに今の日本の現状が欧米、西欧諸国に劣っていて、憧れもあります。しかし日本には、欧米にない、良い伝統、文化があり、それが大好きだといい、だから、日本を見捨てるわけにはいかないと、大人びたことを言った。リチャードは、驚いたように、本当に日本が、欧米に追いつけるとは思わないがと、意地悪そうに言うと、そんな事はない、日本人の勤勉さと、正直さ、結束力で、きっと10年、20年後には追いつくと思うと言った。その為に七郎は、頑張って勉強していきたいと言い切った。リチャードは、更に、七郎、冷静に見て、君は家族を亡くして1人ぼっちだ。それで何ができるとい言うのだと、意地悪そうに言った。七郎は確かに、今の自分には、その通りで、何もできないかも知れないが、頑張ると意地を張った。
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