存外綺麗な方だろう


黎明館 食堂




「お断り致します」


丁寧な口調だが、はっきりとした拒否。

結祈は目の前の男に怯むことなく、冷ややかな視線と共にそう言い放つ。


「お前の意見など聞いていない。私の書物が消えた。探せ」

「どうやら言い方が悪かったようです。ご自身で失くされたものでしたら、ご自分で探すのが妥当かと。こちらも暇ではありませんので」


余裕の笑みを浮かべ、悠然とした態度を崩さないジョエル。

対して憤りを感じながらも、あくまで平然を装う結祈。

普段は穏やかな食堂も、今は彼らから生み出される冷ややかな空気に包まれ、張り詰めたような空間になりつつあった。


「たかが掃除だろう」

「普段から整理整頓をしない貴方には分からないでしょうね。一人で掃除をするのに対する館の広さが」


結祈は誰よりも早く起床し、朝食を用意する。

そして全員が食事を取ったことを確認すると食器を洗い、そのまますぐに掃除を始める。洗濯物が溜まっていれば洗濯を間に挟む。

それがここ数年の彼の日課であり、故にその時間を邪魔される事は、彼にとって腹立たしい事でもある。


「もう掃除に戻ってよろしいですか。一番手間の掛かる三階が、まだ残っていますので」

「三階は私の部屋と、お嬢さんの部屋だけだろう。何に手間取る?」


その言葉に、結祈はこれでもかと言わんばかりに呆れた表情を浮かべる。


「何を言うかと思えば……貴方の部屋が一番汚れているんです。いい加減、自覚して下さい。私が毎日掃除しているというのに、何故あんなに散らかす事が出来るのでしょうか。こちらからすれば、非常に理解し難いです」


言い終わると同時に、ジョエルは鼻で笑う。



「フッ……汚いなど、随分とはっきり言うのだな。確かに書物で溢れ返ってはいるが、存外綺麗な方だろう」

「そう悪ぶれる事なく言い切れる貴方の感性を疑います。付け加えて言わせて頂きますが、書物は今朝叩き起こされて、探したかと思われますが?」


毎朝午前五時に起床をしている結祈だが、書物を失くしたジョエルにより、今日は午前四時に起床していた。

振り返ってみれば、今日は運が悪いと結祈は思う。

皆が朝食を取ったのを確認し食器を洗った後、いつもと変わらず食堂、図書室、廊下の順で掃除をし始めた。

しかしその合間に、ジョエルを始めとする大人達に、特にジョエルに至っては妨害に近い呼び出しを幾度となくされ、廊下の掃除がままならず、思いのほか掃除の時間が延びてしまっていた。

休憩を後回しにし、早急に事を終わらせた結祈は、せめて昼食を取ろうと食堂に向かった。

そしてそこで、運悪く呑気にコーヒーを淹れているジョエルに出くわし今に至る。



「それは自室にある。私が言っているのは“異能者見聞録”だ。見つけたのはいいが、図書室で複数の書物を漁っていたら、いつの間にかどこかに消えてしまってな」

「はぁ…それは消えたのではなく、紛失したの間違いかと…………え?」


何かに気付いたのか、結祈は思わずジョエルの顔を見る。


「何だ?」

「大した事ではないのですが……その書物は確か、異能者の歴史書ですよね?」

「そうだが?」

「貴方に必要な書物ではないかと思いまして」


“異能者見聞録”

それは著者不明ではあるものの、異能者の歴史が、書かれている貴重な書物である。

古代から近現代に至るまで存在していた異能者達の生き様が事細かに記されている。

特に古代の異能者まで記されている書物は、現代では極僅かであり、尚且つ重要書物として厳重に保管されているものが大半である。

この書物はその時代を生き抜いた異能者達が次代に繋ぐためそれぞれ綴った合作と推測されており、大変貴重な書物の一つである。

しかし長年培ってきた知識と経験を持ち合わせている彼には、今更必要なものではなかった。


「ああ。大抵の内容は頭に入れてあるからな」

「……あかね様ですか?」

「フッ……どうやらお嬢さんは、異能者について知っておきたいそうだ。随分と悠長なことだ」


見下したような物言いには関心しないものの、ジョエルが何故知っているのかが疑問だった。


「全く。いくら慣れているからとは言え、むやみやたらと共有させるのはいかがなものか。こちらの負担も考えて欲しいものだな」


独り言のように呟くジョエルから察するに、その情報は恐らくアーネストからもたらされたものなのだろう。


「奴は昔からそうだが、あまり人の事情を考えない癖がある」

「それは貴方も同じかと」

「何か言ったか?」

「いいえ。何も」


結祈は静かに溜息を吐いた。


「……あかね様に必要な物であるならば、断るわけにはいきませんね」

「物分かりが良くて助かる。それは母親譲りか。それとも--」

「長年の経験と知恵かと思いますが」


言葉を遮りながら答えれば、ジョエルは愉しげに笑った。

その瞳はサングラス越しから、しっかりと結祈を捉えている。

この男は始めから分かっている。

どう言えば、自分の思い通りになるのかを。


「貴方には望んでもいないのに、様々な事を体験させられ、あげく余計な知恵まで身に着けられましたからね」

「おや、そうだったかな?」

「ええ。貴方が忘れても自分は忘れません。決して」

「……ならそういう事にしておこう。お前は私にとって必要な存在。機嫌を損なわせてしまったら恐ろしい事この上ない」

「…………」


結祈は何も言わず沈黙を貫き、ジョエルもまたそれ以上の言葉を掛けることなく、彼の横をすり抜けて背を向ける。


「では頼んだぞ」


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