どういう事です?


扉が閉まる音を背で聞きながら、結祈はただ立ち尽くしていた。


「………」


――今回も出来なかった。

――いつも丸め込まれて、良いように動かされてる。

――分かっている。

――ジョエルにとって、自分はただ都合の良い存在で、それ以上でもそれ以下でもない事を。


彼の見ているものは変わらない。

自分に関心すら抱かない相手の言う事など、聞く耳など持たず、突き放してしまえば良い。

頑なに信じていた愚かで恨めしい幼少期ではないのだ。


――そう思うのに。

――そう思うのに、それが出来ない。

――自分の性質を知り尽くしてる、あの男に振り回されてばかりだ。


そうした時、再び扉が開く音が聞こえる。


「結祈ー」

「…陸人さん。どうかしましたか?」


ジャージ姿に裸足。

朝食の時と格好が変わっておらず、今の今まで寝ていたのだろうかと思いながら、笑みを貼り付けて迎える。


「えっとね、ボクのクマちゃん知らない?」

「クマちゃん?部屋に置いてあるぬいぐるみの事でしょうか?」


陸人はそうそう。と頷く。


「それなら洗濯する予定でしたので、洗濯場に置いてあります」

「あっそうなの。じゃあ洗い終わったら実家に送っといてくれる?」

「ご実家ですか?」

「そう。昨日は一応は了解したけどさ。ジョエルの提案なんて受け入れるわけないし。しばらく実家に帰るよ」

「えっ…!?」


思わず声を上げる結祈。

一方で陸人は気にする様子もなく、冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。


「待って下さい。どういう事です?」


唐突に告げられた言葉に、溢れ出る焦燥感を抑えながら冷静に問いただす。


「どうもこうも、ジョエルの思惑通りにはさせないってこと」

「ですが……それでは、あかね様が」


分かりきっている答えを言われてもなお、結祈は食い下がる。


「あかねちゃんね。悪い子じゃないのは分かるんだけどさぁ……なんだかね。信用していいか分かんないんだよねー」

「そんな――」

「結祈はさ、あかねちゃんの事すっごく気に入ってるみたいだけど、得体の知れない子だってちゃんと理解してんの?」

「得体の知れない?そんな事は」


ないはずだ。

彼女は由緒正しき純血の娘である。


「ああ、素性のことじゃないよ。見てわからない?彼女ってボク達と同じ異能者で、しかも純血なのに全然それらしくない。むしろ一般人を見ている感覚に近い。つまりそれって、異能者であることに悩みもせず、そこら辺にいる一般人のようにのうのうと今まで生きてきたっていう何よりの証拠だよね」

「それは……」


何か言おうとするが、言葉が見つからず言い淀む。


「そんな子をあの用心深いジョエルがリーデルに推薦するなんて、あまりに不自然過ぎる。退屈しのぎなんて絶対ウソ。何か彼女をリーデルにしたい思惑があるはずだよ」


まるで確信しているような陸人の物言いに、否定する事さえ出来ない。

的を得すぎているのだ。それも的確に。

普段は自己中心的見える彼だが、洞察力に優れているのも事実であった。


「結祈のひたむきなまでに従順なところ?ボク嫌いじゃないけどさー……もう少し人を疑う事も考えたら?」

「……」

「それとも結祈は、ジョエルの言いなりとか?」

「ッ。そういうわけでは……」


否定しようと言葉を繋ごうとするが、どことなく歯切れの悪い結祈。


「ふぅん?まぁいいけど。このままだといつまで経っても、ジョエルの都合の良いお人形さんだよ?」


何気なく言い放った言葉は、結祈に容赦なく深く突き刺さる。



「ッ…僕は……」


顔を歪め動揺する彼を見て、陸人は少しだけ気まずそうに視線を逸らして、小さく溜め息をつく。


「……変な事言っちゃった。まぁ自己中我儘独身男の戯言だから、あんま気にしないで。んじゃあ、もう行くよ」


陸人は手に取った牛乳パックを持って通り過ぎる。

ドアに手を掛けて開けば、帰宅したばかりであろう朔姫と鉢合わせる。


「あ、朔姫じゃん。おかえりー!」

「ただいま帰りました」


陽気に迎えれば、朔姫は軽く微笑んで会釈をする。

顔をあげた彼女の視線は、片手に持つ牛乳パックを捉える。


「あの……牛乳を持ってどちらに?」

「部屋だけど?あ、そうそう!折角会えたし朔姫にも言っておこ」

「?」


陸人の言葉に朔姫は首を傾げる。


「僕ね、しばらく実家に帰るから」

「ご実家ですか?」

「うん。まぁ色々あってね」

「そうですか。お気を付けて」

「ありがとー」


朔姫の頭を軽く撫でて食堂を後にする。

その後、何を思ったのか朔姫は陸人の背を見つめていたが、彼の姿が見えなくなると出て、無言のまま食堂に足を踏み入る。


「おかえりなさい。朔姫」


結祈は笑顔を作って、穏やかに朔姫を迎える。


「ただいま」

「今日のはどうでしたか?」

「楽しかった。クラスメートとも仲良くなれて、寄り道もしてきたわ」

「それは良かったですね」


普段と変わらない他愛ない会話。

そのはずなのに、どこかぎこちなく気まずく感じてしまう。

遂には会話まで途切れてしまうが、今の結祈には打開する気すら起きなかった。


「あの」


しばらくして口を開いたのは朔姫だった。


「どうしました?」

「桜空さんの事なんだけど…」


結祈は静かに言葉を待つ。


「今日はデートで………帰りが遅くなるって」

「……そうですか。あかね様も年頃ですからね」

「じゃあ私は部屋に」

「はい。夕食の用意が出来ましたら、お呼びしますね」


食堂から出て行く朔姫にそう伝えて、結祈は自分の作業に戻っていく。

拭いきれない不安や苛立ちを抱えながら。



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