吉原の遊女やなじみ客をホタル舟に乗せて品川に向かいながら蛍狩りをやったぜ

 さて、初夏から秋口にかけては水の近くでホタルが飛び交うのは、この時代では日本中どこでも見られる風景ではあるが、江戸における吉原と品川はどちらも江戸の外れであることもあって、特に夕涼みと共に蛍狩りを行うのに適した場所である。


 農薬が使われていない時代であればこそ、田んぼの用水路でもヘイケボタルがふわふわと踊るように光を放ちながら飛び回っているのだ。


「とーしゃー、えびじょー、キラキラキレー」


「おう、ホタルの光だがきれいだな」


「そうだねー」


 夕涼みのためにでかけた俺と清花と海老蔵でホタルが飛び回るところを見ていたが、今年は吉原から品川に向かっての蛍狩りをしようか。


「ホタルはなんでひかるのー?」


「ホタルには枯れた草の魂が宿ってるから光るって言うな」


「そーなんだー」


「そうなんですね」


「そうらしいぞ」


 江戸時代よりもずっと昔から蛍狩りは行われてきているのだが、蛍狩りを一般の民衆が行うようになったのは江戸時代で、この頃までは腐草為蛍くされたるくさほたるとなると信じられていたのだ。


 腐った草がホタルに変わるといわれ、ホタルには「朽草くちくさ」や「腐草くちくさ」などの別名があり、朽ちた草がホタルそのもの、あるいはホタルの放つ光のもとである、と考えられているのだが実際に源氏蛍ゲンジボタル平家蛍ヘイケボタルなどは、幼虫・成虫ともに水草やスイカのような香りがすることからもそう信じられていたのだろう。


 川の中流域に住む源氏蛍ゲンジボタル川螢カワボタルとも呼ばれているがこちらは江戸時代の5月から6月ごろの初夏に見かけられるのに対し、細流や水田などの止水に住む平家蛍ヘイケボタル米蛍コメボタルともいわれ6月から8月頃の刈り入れ前まで見られ、梅雨時からホタルの季節に突入し米が取れるまでそれは楽しめたのだ。


 何しろこの時代の灯りは油とかを燃やした炎くらいしかないのだが、蛍は熱くない。


 熱を持たずに輝くホタルの光は、不可解な存在であったわけだ。


 もっとも草が腐った後に微生物に分解され土壌に戻り、またそれが再び植物の根から吸い上げられ蓄積したリンなどが燃えることも実際にあったろうから、蛍がそれと同様の存在だと考えられてもおかしくはない。


 時代が下り電気というものの存在もわかってきた19世紀の江戸後期ともなるとその辺りは変わってきて蛍は出大中小の三品あり、皆水蟲より羽化して水より出て夏の後に卵を産み、再び水蟲となる。腐草が蛍となるに非ずと記されるようになるんだが。


 尤もホタルが何故光るかということがわかったのは20世紀も終わる頃なんで、そのあたりは長い間謎だったんだけど。


 そしてそもそも卵や幼虫の時代にはほとんどの種類の蛍は発光するのだが、発光することで目立ってしまうというデメリットもあるのになぜ蛍は光るのか?


 その理由ははっきりしないんだが”食べるとまずくてさらに毒があることをはっきりさせるためにわざと光っている”という説や夜行性の成虫は主に配偶行動の交信に発光を用いているので、”交尾のために発光能力を獲得した”と言う説も有力であるらしいが、多分最初は単純に警戒色として目立たせるためのものだったが、それがいつしか交尾のためのコミュニケーション手段になっていったんだろう。


 鳥の孔雀がやたらと派手になっていったのと同じようなものかもな。


 蛍は出大中小の三品あり、皆水蟲より羽化して水より出てとあるように蛍は三種類いると思われているのだが、南西諸島や対馬のような特殊な種類の多い島ではない本土の多くの地域で見られるホタルというと、源氏蛍、平家蛍のほかは本来は森林に生息しており、平均的に平家蛍より小さな姫蛍ヒメボタルか、湿地に生息しており、幼虫は普段は陸上で生活するが、摂食時には小さな湧き水や細流の水中に潜り、カワニナを捕食して食べる半水生ホタルの筋黒蛍スジグロボタルのどちらかかもしれない。


 筋黒蛍は一番早く成虫になり源氏蛍より少し先の4月下旬から5月上旬頃に見られるのだな。


「皆で蛍舟に乗って品川まで行き、新鮮な海の幸をたっぷり食べるぞ」


 俺がそう言うとみなは嬉しそうだった。


「それはえらいたのしそうでやすなぁ」


 先代藤乃なども嬉しそうにしてるな。


 蛍舟その名前の通り舟に乗って川の上からから蛍を観賞するための船で宴会もできるようになってる。


 俺は皆へつづけて言う。


「客を呼ぶ呼ばないは自由でいいぞ。

 できれば連れてきてくれるとありがたいがな」


 俺がそう言うと二代目藤乃が言った。


「ほんにそれでええんです?」


「ああ、客を連れてきてカネを出させるのは強制じゃないさ」


「まあ、わっちは連れてこないとまずいですやろな」


「まあ、流石にお前さんはな」


 そして遊女や禿たちは蛍を捕まえるための先に葉を残した竹竿や笹の竿、団扇や扇子、虫捕り網や、捕まえた蛍を入れる虫籠を嬉しそうに用意している。


「これを持っていくといいよ」


「あいあとー」


 桃香が清花に団扇を渡してるな。


「ありがとな桃香」


「いえ、ちっちゃい子の面倒を見るのは当然でやすよ」


 夕方薄暗くなってくる前に参加する見世は共同でなんだかんだで遊女たちがそれぞれ馴染みの客を呼び、客に金を払ってもらって一緒に吉原の外の船宿へ出かける。


「まあ、客を連れてくるのも見栄を張るには大事だしな」


 惣名主の方の業務に携わってる秘書や美人楼、万国食堂やそこの託児所などの従業員、養生院などの医者、養育院の子どもたちなども皆連れ立って移動する。


 今日は関係した見世などは皆休みだ。


 水戸藩や尾張藩、紀伊藩、館林藩、会津藩、仙台藩から殿様や女中なんかも来てるし当然彼らの警護の武士も居る。


「よし! じゃあみんな、船へ乗って品川へ行くぞ」


「あーい」


「わかりやしたー」


 以前は浅草の近くの谷中宗林寺の近くの蛍沢の池へ行っていたが今回は品川を絡めるために船で行くが、山谷堀や大川(隅田川)にも蛍はたくさんいる。


「きれいでやすなー」


「ほんとうきれー」


 川の周辺を飛び交う蛍の光が川の水にも写って反射する姿は本当に美しい。


 そして晴れ着に着飾った遊女たちが、連れてきた客に酒の酌をしたりしている。


 舟遊びは大名が好んで行う娯楽であるし、うまい物を食べ、酒を楽しみながら川辺で涼を取るというのはなかなか合理的でもあるのだな。


 各藩邸の奥向きから来た奥女中の女たちなども一緒になって楽しんでる。



「ほう、ほう、ほたる来い。

 あっちの水はにがいぞ。

 こっちの水は甘いぞ。

 ほう、ほう、ほたる来い」


「ほー、ほー、ほーたる来い」


 桃香が童歌を歌いながら団扇を出して止まった蛍を捕まえているのを、清花が真似している。


「うむ、蛍の光は美しい」


「全くですな」


 そんなことを言いながら殿様連中も一緒になって蛍を捕まえるのに夢中になっている。


 童心に帰るのもたまにはいいものだよな。


「戒斗様、蛍いっぱい取れたでやすよ」


「とれたー」


 そう言って虫かごにホタルを入れた桃香と清花は二人共にニコニコ笑顔だった。


「おお、どうだ楽しんだか?」


「あい、とっても綺麗で楽しかったです」


「たのしかったー」


 妙も母さんも藤乃も、今日は楽しんでいるようだ。


 そして俺はと言うと、氷室から出した氷を使って冷たい素麺やざるそばを出している。


「暑い夏に冷たい素麺を食えるとは豪勢よのう」


「ええ、氷室から出してきた氷を使いました」


 いつも通り笑顔な水戸の若様は冷たい素麺に満足なようだ。


 とはいえそろそろ彼の父の徳川頼房も隠居の時期だし、正式に水戸藩主になればこれからはそんなに来てもらえなくなるかもしれないのだが。


 をして素麺自体は室町時代からあったようだが、それが21世紀のような夏の風物詩となったのは江戸の半ば頃で、盂蘭盆の贈答品として珍重されたようだ。


 それを茹でたあとで冷たい井戸水で冷やして食べるようになったのは18世紀頃であったらしいので時代の先取りだな。


「うむ、ざるそばも冷たくてうまい。

 冷たい蕎麦というのも悪くないものだ」


 真田信政がそう言って蕎麦をズルズルすすっている。


 彼の父真田信之はさすがの高齢のためもうなくなっているが彼はまだ元気だ。


 そばを竹ざるに盛って出すようになったのも実はもうちょっと後だったりする。


 もりそばも本来は温かいままもられて温かい汁をつけて食べたんだな。


 ちなみに明治になって、ざるそばに海苔がかけられるようになっていき、それと当初はざる汁という、もりそば用の汁とは違うコクの深い汁を使ったのだが、だんだんとざるそば専用のざる汁を作る店は少くなってもりそばはのりがないもの、ざるそばはのりがあるものという違いだけになったらしい。


 この辺は詳しくは知らないんだけどな。


 そして品川についたら、食材を補充して今度は新鮮な海産物の刺し身だ。


 皿にもられた鯵や烏賊などの刺し身にワサビ醤油をつけて食べればやっぱりうまい。


「うむ、世は満足だそ」


 水戸の若様もにっこり、遊女たちも皆うまそうに食べてる。


 これが終わったら次は品川から吉原に旅籠の飯盛女龍などを連れてくるとしようか。

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