今度は品川の旅籠の人間の慰労のために吉原観光をさせたぜ
さて、吉原から品川に向かって蛍狩りや料理を船で楽しむという試みは成功だったと思う。
「なんだかんだで舟遊びというのは楽しいものだからな」
母さんや、先代藤乃、二代目藤乃、桃香や清花なんかもみな楽しんでいたと思う。
「じゃあ次は品川の飯盛旅籠の慰労のため、吉原観光をさせるか」
俺は品川に赴いて品川の名主に話をしておく。
「今度ウチの旅籠は一日休んで吉原に観光させに行くんでよろしくな」
「宿を休みにするってのか?」
「ああ、一年に一度や二度くらいはそれでいいと思うんだ」
「休めばそれだけ金が入ってこなくなるだろう?」
「飯盛旅籠はうちだけじゃねえし、おじゃれや飯盛女、女中なんかが休みを楽しんで、そのぶんちゃんとした接待をして、もっと客にいい思いをさせられるようにしたほうが最終的には儲かるさ」
「そんなもんかねえ」
「そんなもんさ、じゃあ、そういうことで」
「ああ、わかった」
21世紀現代でも”社員研修”と称して、実際は社員同士の親睦を深めたりするために社員旅行などを行うことはよくある。
もっとも社員旅行を強制させられることにより、行き先やグループ分けなど自分で決められることもなく、旅行自体そんなに好きじゃないとか、土日まで一緒に居たくない会社の人間と一緒なのは意味がわからないとかで、旅行に参加したくないと考える社員も多いようだけどな。
「とはいえこの時代のお出かけは皆が楽しみにするもののはずだが」
毎日毎日同じ場所で同じことの繰り返しで、住居と職場も一緒でプライバシーはないに等しいことが多い、江戸時代の人間にとってはたまに遠くに出かけることは現代の人間が、思っているよりずっと楽しみなのだ。
というわけで俺は品川の三河屋分店の従業員を全員集めて言った。
「みんなで吉原に観光にいくぞ。
店は一日休みだ」
元の宿の主人が目を丸くしていった。
「へ、みせをやすみにしていいんで?」
俺はうなずいて言う。
「ああ、たまにはちゃんと休んで気分を高めるのも必要だからな」
「はあ、吉原の大店の主人さんはやることが違いますなぁ」
一方、おじゃれたちは単純に喜んでいるかというとそうでもない。
「そうすると稼ぎがなくなってしまうんですが?」
「ああ、大丈夫だ、休みでも飯はちゃんと出すし、借金が増えたりするわけじゃねえ。
旅に必要な路銀も俺持ちだ」
「それなら安心です」
まあ実際はみんなが稼いだ金を俺が集めてるわけで、それを一部戻すだけとも言える。
というわけで翌朝皆でお出かけの準備。
菅笠をかぶり、手ぬぐい、風呂敷、筆記用具、扇子、糸針、手鏡、日記帳、くし、鬢付け油、提灯、ろうそく、火打道具、麻綱、鉤などの荷物を入れた行李(紐で前後にポーチの様なものをたらすあれ)を肩に掛け、手甲脚絆をつけて、合羽を着て草鞋を履く。
水戸黄門の助さん格さんなどの格好を思い浮かべてみればいい。
「いや、たのしみですな」
「ほんとうですな」
早速、品川を出立して東海道を北上する。
21世紀なら品川から浅草まで電車や車で30分もあればつくが、この時代は歩きだから2時間から3時間はかかる。
徒歩で日本橋へ向かい、柳橋の船宿に向かって舟を雇い乗り込む。
「お船で吉原までとはありがたいですな」
「まあ、船に揺られるのもいいもんだ」
まだ午前中なのでホタルとかは見えないが、大川から吹き抜ける風が涼しくていいな。
大川から山谷堀にはいって吉原前で船から降りて、船賃に加えて祝儀代を別途わたして、土手道から曲がっている五十間道を歩いたら大門に到着だ。
「これが吉原大門ですか」
「そうだ、行くぞ、とりあえずまずは飯にするか」
「それがいいですな」
俺は吉原の中の万国食堂へ皆を連れて行く。
「適当な場所にすわって、好きなものを頼んで食ってくれ」
「あーい」
皆が思い思いに好きなものを頼み、それを食べ、なかにはお互いに食べてるものを少し交換していろいろ味わってるものもいる。
「おいしいですな」
「ほんとうですな」
飯を食って腹も膨れて一服したら、吉原音楽堂で公演してる猿若座の芝居を皆で観劇する。
猿若は豊臣の家臣名古屋因幡守の子である名古屋山三の下人の猿若が、主人にかくれて伊勢参りをしたため、主人の叱責をのがれるために、流行唄をまじえて道中の話を面白おかしくするというもので阿国歌舞伎の茶屋通いの場面なども取り入れられている。
「あーおかしい」
「ほんとうですな」
「ああー、あんなお客さんはほんとにいますよなぁ」
芝居観劇が終わったら、もう夕刻だから花鳥茶屋で軽く食事を取りながら動植物の鑑賞だ。
「兎はかわいいですな」
「バラもきれいですな」
そして、陽が沈んだら谷中宗林寺の近くの蛍沢の池へ蛍狩りへ出かける。
皆でワイワイしながら飛び交うホタルを捕まえたり逃したりしては、一喜一憂し、吉原温泉に入った後で吉原旅籠で一泊。
翌朝に目が覚めたら旅籠で食事をとって後は品川まで歩いて帰った。
「あー、たのしかったですな」
「ですです」
すっかりリフレッシュした飯盛り女達を見て俺は今回の旅行をやってよかったと思う。
「まあ、一年に一回か二回くらいはこういうことをしたいとこだな」
「ぜひそうしてくださいな」
「そのかわり、普段お仕事をもっと頑張ってくれよな」
「あい、わかりやしたよ」
まあ、一泊二日の小旅行でも気分転換になったなら十分だろう。
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