歌舞伎の弾左衛門の支配からの脱出はそう簡単じゃないかも

 さて、寛文7年(1667年)に能の金剛太夫、すなわち大和猿楽四座の1つである金剛流宗家の氏正が幕府の許可を得て大規模な勧進能の興業を行ったが、その際弾左衛門に事前の断りを入れなかったため、これを不当として弾左衛門が、配下50人を興業の場に乱入させ桟敷を打ち壊した事件のだいぶ前の話だ。


 寛永7年(1630)に江戸浅草で金剛大夫が幕府よりの上意を受けて勧進能を開催したが、その時には伊達政宗が観覧しており、開催された能が不出来であったため、政宗が”何にてももう一番を所望する”と言ってやり直しを命じた。


 しかし金剛大夫は、勧進能の例として、囃子やワキ・狂言などの役者は自らの出番が終わり次第帰っており、最後の祝言能をつとめる役者しか残っておらず、上演はできないと断った。


 すると政宗は大いに怒り、”足軽は太夫をはじめ一人も残さす叩き殺せ”と命じ、幕府公認の勧進能として、警固のために遣わされていた松平右衛門佐正綱の目付である花房勘右衛門も”うむ、御腹立はとうぜん”と政宗に同調し、同心たちに「召し取引き出せ」と命じ、金剛大夫が折れて、帰った役者たちを連れ戻して能が演じられることとなったが、その間に、政宗は酒肴を観客に配ったため、上を下への大騒ぎで、能が始まっても見るものもいなかった。


 伊達政宗がこのような態度をとったのは、伊達家が金剛大夫以下の代表的な出演者に扶持を与えていたこともあったようだが、この時期の幕府の将軍や有力な諸大名の間で能が愛好されていることをかさに着た能役者たちの奢った態度が、一部で問題視されつつあったという背景もあったらしい。


 が、一般常識に照らしてみれば異常なことではあったらしいのだが、戦国の生き残りの政宗と戦乱を知らない多数では常識的行為も違うのであろう。


 とはいえ、この頃の能役者が侍のごとく従者に槍を持たせて街道を往来することすらあったと言うのは、やはり大名としては許せないことであったろう。


 そういった事もあって老中の酒井忠世が将軍である徳川家光へ、あまりにも驕りの甚だしい能役者を見せしめのため流罪とすることを提言したが、家光はそれに対して消極的で結局何もしなかったのだが、酒井忠世が批判の槍玉にあげていた能役者の中には、家光が寵愛していた者たちがいたようなんだな。


 まあ男色趣味の将軍様ならそういう事もあっただろうし贔屓もしただろうから、それでよけいつけあがるやつもいただろう。


 猿楽については室町幕府が愛好していたこともあって、豊臣秀吉も愛好し役者に知行・扶持・配当米を与えて保護したが、その際に宇治猿楽や丹波猿楽の役者を大和猿楽四座にツレや囃子方として所属させたため、それらの諸座は解体され、大和猿楽のみが命脈を保つこととなった。


 江戸幕府も秀吉の政策を継承し、四座の役者に知行・扶持・配当米を与えて保護したが、金剛流から分流した喜多流にすら扶持で負けていたりするのは度々に起こしたトラブルによるものではないかと思う。


 そういった事もあって寛文7年(1667年)に金剛太夫と弾左衛門のトラブルは老中は弾左衛門側を支持し、金剛太夫側の非が注意されたわけだ。


 もっとも弾左衛門は、並の旗本よりもでかい屋敷に住み、上級旗本の格式で生活して、その財力は小さな大名や旗本より上だったから、宝永地震や宝永大噴火の翌年の宝永5年(1707年)の頃には幕府の財政が目に見えて悪化しつつあるのにそれは許せんと言うのも弾左衛門が小林新助との裁判で負けた理由でもあったろう。


 いずれにせよ奢った態度をとっていると思われて幕府に目をつけられるのは得策じゃないんだが、金剛太夫のような先代将軍家光に贔屓にされていたことで、まだおごってる連中がいると猿若勘三郎一座なんかも同じように取られかねないんだよな。


「うーん吉原の中はともかく浅草の中の養育院とか品川だと弾左衛門に横槍入れられそうなんだよなぁ……」


 安房で行われた大名向けの猿楽ですら弾左衛門に有利な裁定が出る時期に、武家向けではない大衆向け芝居なら余計に弾左衛門の統制を受け入れろと言われそうなんだが……なんとかならんだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る