4月の衣替えはみんなでのんびり針仕事だ

 さて、3月の花見は三河屋だけでなく俺が、抱えてる十字屋や中見世の伊勢屋、古店の椿屋、切見世や美人楼、万国食堂に花鳥茶屋、吉原旅籠、それに親分の工場、養生院で動けて病気の感染などの問題のないもの、養育院の孤児たちなど俺の抱えてる施設の人間は何度かに分けて花見を行った。


「やっぱりたまにはぱっと騒がないとな」


 花見のような特別に綺麗な晴れ着を着たり、この時代では特に神聖な食べ物である餅を食べたり、お酒を飲んで祝ったりする「ハレ」の日と言うのは、日常の中に存在すると非日常の日として大事であったりするのだ。


 で、3月の花見が終われば4月は衣替え。


 冬の座敷着で、表地と裏地の間に綿の入った綿入れから、綿を取り除いて袷に縫い直す。


「流石にもう綿入れじゃ暑いしな」


 そうなるとこの日は吉原の外から衣替えのために、を求める臨時の針子もたくさんやってくる。


 そもそも江戸時代では女子が第一にたしなむべき事は、裁縫で妻は夫や子供、舅や姑の衣類を仕立てて着せるのは、家の役目として一番大事なものとされている。


 ちなみに二番目に大事な仕事は、洗濯としわ伸ばしをきちっとやること。


 なんせ着ているものの洗濯をするときは、一回縫い目は全部切って外して布に戻し、洗濯してもう一度縫い直すわけで、西洋で言う高級仕立て屋のような、針妙しんみょうとか御物師おものしという、高級衣類専門の裁縫担当の女性もいたくらいだ。


 彼女たちは公家や上級武家、寺院の僧侶や、大店など金持ちの着物の最初の反物からの仕立てや衣替えのときに直しなどを担当する。


 そこまで行かなくともこの日は衣替えは一斉に行われるので世の中の奥さんやある程度の大きさの女の子は針仕事に追われることになる。


 何しろ人が見た時に着ているものの縫い上がりが雑だと、恥ずかしいと言われてしまうくらいだしな。


 なので裁縫は、見た目キレイに縫えるようになるのが、結婚できる一人前の女の基準とされ、13歳までは一通り縫えるようになっていなければいけなかった。


 なので庶民の農家であれば麻をつかって布地から機織りしたり、江戸の町人であれば安めに買える古着を売っている店から買うが、それが一部破れたりしたらそこを継ぎ接ぎしてきるのが普通。


 でも、本来であれば、遊女は文字の読み書きや九九といった算術の基礎、あちこちからくる武士にお国言葉の方言の聞き取り、三味線や踊りなどの芸事や教養を身につけるので精一杯で針仕事、洗濯や布のシワ伸ばしなんてのを覚える余裕はなかったりするが、それだから余計に身請けされる先が限られてしまったりするわけだ。


 しかし、桜が清兵衛のところに嫁に行く時にそれではやっぱ不味いということで、万治2年(1659年)から、最低限普通の男と一緒になった場合にも日常生活を送れるような花嫁修業はしてきたわけだが、やはりこういった日は自分で針仕事をやるのが大事だよな。


「よし、今年も衣替えは自分でやるぞ。

 まあ、母さんとか藤乃とか妙は針子にやってもらえばいいけど」


 ここで結構燃えてるのが桃香だ。


「あい、わっち頑張りやすよ」


「おう、桃香はなんにでも一生懸命だな」


「わっちはそれが取り柄でやすから」


 そしてなんか期待して眼をキラキラさせてるのが清花。


「ころがえ?」


「ああ、暑くなってきたから服の中の綿を抜かんといけないからな」


「あーしもやゆー」


 清花もやりたいみたいだけど流石に縫い針をもたせるのは不安だ。


「じゃあ、清花はまずは糸を切るのだけやってみようか」


「あーい」


 というわけでまずは和鋏で縫い糸を切ることから始めてみることにする。


「清花、絶対にハサミの間に指を入れないようにしろよ。

 とっても痛いことになるからな」


「あい」


「じゃあ、こうやってだな」


 と着物と和鋏を清花の手の上からかぶせて持って、糸に和鋏を入れる。


「こうやれば糸が切れる」


「あーい」


 糸が切れたことに清花はすごく喜んでる。


「じゃあほかも切っていくか」


「あい」


 ハサミをで縫い糸を切るだけでも新しい何かであることが清花にはとても楽しいらしい。


 まあ、見てる方は怪我をしないかと結構ヒヤヒヤするけどな。


 それはともかく清花が、楽しそうに糸切りをやってると周りの遊女たちもなんとなく楽しげになって来るから不思議だ。


「戒斗様、できやしたー」


「おお、ちゃんと見栄え良く出来てるな、偉いぞ桃香」


「えへへ、わっち、がんばりやしたから」


「これだけ針が上手なら将来も安泰だな」


「そうでやすか?」


「やっぱ針仕事は大事だからな」


「そうでやすよね」


 二代目藤乃こと紅梅なんかは結構苦労しているようだ。


「ううむ、針仕事というのは結構難しいもんでやすなぁ」


「うーん、流石にお前さんの衣装が縫い方が雑なのは不味い。

 後で神妙に縫い直させるとするか」


「あい、そうしてくださんせ」


 流石に三河屋一番の太夫の着ているものの縫い目が雑とかだと不味いからなぁ。


 まあ焦らんでもいいとは思うけど。


 鈴蘭と茉莉花の姉妹も相変わらずだ。


「針仕事は難しいでやすな、お姉ちゃん」


「じゃあ、お姉ちゃんがやりやしょうかね」


「あーい、お姉ちゃんありがとうでやすよ」


 うん、鈴蘭も茉莉花の世話を焼くのはいいが程々にしないとな。


 このままだと茉莉花は家事はなんにもできないままになっちまうぞ。

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