やっぱり3月といえば花見だよな

 さて、寛文2年(1662年)の春3月。


 三河屋から藤乃が年季明けによって引退したが、彼女はその後も三河屋には芸事教養などの師匠として残ることで教養や芸事の指導に専念できるようになった。


「母さんと藤乃がいてくれるのはとても助かるよな」


 苦笑しながら妙が答える。


「そうですね、たしかにありがたいことです」


 なんせ俺や、妙には大見世の太夫に必要な教養や芸事についての、深い知識や実際に身についている技術はない。


 なので俺や妙はそういった芸事教養に加えて、母さんや藤乃に女衒によって連れてこられる禿候補の良し悪しを見分ける目なども現在叩き込まれてる最中だ。


「将来売れる様になるかどうかを、ちゃんと引き取るときに見極められるかどうかは大事だからね」


 母さんがそういうのに俺はうなずく。


「まあ、そうだよな。

 禿の教育も少なからない金がかかるわけだし」


「お前はあちこちから女を拾ってくるから余計心配だよ」


「それはちょっと人聞きが悪いと思うんだが…」


 そこにクックと笑っていう藤乃。


「まあ、それは事実でやすしなぁ。

 でも、坊っちゃんはええ目してるとおもいやすよ」


「まあ、穀潰しになるようなのは確かに連れてきてないとは思うけどねぇ」


「そりゃ俺だって雰囲気とか言葉遣いとかちゃんと見てから連れてきてるさ」


 21世紀の風俗嬢、特に出稼ぎで給料保証がある連中はひどいやつも居たからな。


 そして、楓も見習い扱いの振袖新造から正規の遊女である格子に昇格して、歌舞音曲や教養を馴染み客から求められる機会が増えてるので、タップリ藤乃にしごかれている。


「そこ、違いやすよ! 右手は先に上に上げる!」


 藤乃が舞踊に関して細かく楓の所作をチェックしてるな。


「あ、は、はい、申し訳ないでやす」


「じゃあ、最初からやり直しだよ」


「はい、わかりました!」


 こんな感じで楓も一人前の格子にふさわしい芸事教養を身につけるために一生懸命頑張ってる。


 新造のうちは見習いとして多少の失敗も目をこぼしてもらえるが、正式に格子になるとそうも行かないからな。


 もし藤乃の名前を楓に無理やり継がせていたら、今頃はその名跡としての名前の重さや周囲から求められる芸事教養のレベルに対してのプレッシャーで潰れていたかも知れないし、俺ももうちょっと公正な判断をできるようにしていかないと駄目だな。


 そして、桃香はまだ禿だが二代目藤乃になった元紅梅のお付きとしていろいろ学んでる途中だ。


 そして張り見世に必須な清掻 すかがきに、必須な三味線や唄などに本格的に取り込んでいるようだ。


「戒斗様、わっちも三味線はだいぶ上達したでやすよ」


「おお、そうか、後4年もしたらお前も振り袖新造だもんな。

 頑張ってて偉いぞ桃香」


 俺がそう言って桃香の頭をなでてやると桃香は嬉しそうに笑った。


「わっちもいつか藤乃様のような立派な太夫になって、戒斗様に恩をお返しするでやす」


「お、おう、それは嬉しいがあんまり無理しなくてもいいぞ。

 根のつめすぎも良くないからな」


「そうでやすか……」


 俺がそう言うと桃香はちょっと沈んだ表情になってしまった。


 俺が桃香を拾ったのは確かに売れっ子の雰囲気を感じたからだけど、あんまり根を詰めすぎて体を壊しては何にもならないと思うんだよな。


 頑張るのは大事だが自分の体も大切にしてほしいと思う。


 そして三月といえば何と言っても桜の花見だな。


 俺が目覚めたばかりは吉原の外に遊女が出られる機会は殆どなかったんだが、内証の花見ということで遊女たちの周りを若い衆で取り囲んで逃げ出さないように見張りながら、遊女に馴染みの客を呼ばせて、金を払ってもらって一緒に吉原の外の桜を見に出かけたが、現在では遊女が吉原の外へ出るのもそこまで仰々しいことをやらずにすむようになってる。


 明暦の大火で停止していた大名の参勤交代も復活し、大名が地元から江戸へ上がってくるときに、桜を持ってくることも増えて、桜の品種の交配なども進んでいたりするので、花見は桜の品種を増やしつつの大名の交流の場ともなってきている。


 そして吉原の見世でも墨田川堤に桜の植樹を進め、それは吉原百本桜として親しまれ始めている。


 遊女たちが個人が寄進したものには遊女の自筆の札が、見世の寄進によるものは店の名前の札が下がっていたりして、桜の花と見世や遊女の筆を眺めて楽しんだりもしている。


 もちろんこれは宣伝も兼ねたものでその費用は安くはないが元も取れる。


 で花見の日当日は、桜と清兵衛達に花見の席で食べるための桜餅を100個作るようにさせて、毎年恒例の花見を開くことを俺が持ってる遊郭の見世やその他の店や吉原旅籠や工場の女工たちに伝える。


 もちろん全部いっぺんは無理だから何日かに分けて花見はやるんだけどな。


 無論他の大見世などでも花見をするのは現在では恒例行事になりつつある。


 当然今年も3月の一日から月末までの間は、吉原の仲通りには、箕輪や駒込の植木屋に取り寄せさせた桜が道の真中などに植えられて吉原を春色に彩ってるぜ。


 大見世では部屋の床の間などに切見世では庭先などにも桜の鉢植えは飾られていてどこでも桜を眺めることができるようになっている。


「さて、今年も吉原全体で盛大に花見会を催すぞ!」


 桜の姿がなくなってしまったのは少し寂しいが、まあ、良いことだ。


 俺の言葉に藤乃が頷く。


「あい、今年はのんびり過ごせやすな」


 二代目藤乃である紅梅がちょっと不安げに言う。


「その分わっちの責任は重大でやすな」


 それに対して俺は言う。


「そんなにかしこまる必要はないさ。

 花見なんだしパーッと騒いで馴染みに要請があれば踊りでも三味線でも碁打ちでもやればいい」


「はい、頑張りやす」


 鈴蘭と茉莉花も楽しそうだ。


「お姉ちゃん、親方にも今日は楽しんでもらわないとね」


「ああ、そうだね、いつもお世話になってやすしな」


 まあ、親方の鈴蘭たちの身請けも、今年のうちにはできそうだし、いろいろ大変だったこの姉妹も幸せになれそうでよかったぜ。


 まあそんな感じでいつものごとく遊女たちは馴染みの客を呼び、金を払ってもらって一緒に吉原の外の桜を見に出かけるわけだ。


 皆が思い思いに着飾って行列で大川こと隅田川の堤へ向かう。


 大川の堤の桜の樹の下に幔幕まんまくを張りめぐらせて、その中に緋色の毛氈もうせんや床机を敷いてあとはどんちゃん騒ぎだったり、静かに踊りを踊ったりと、客によって遊女の対応も様々だ。


 そしてそのうち清兵衛と桜と桜に背負われた桜の子供がやってきた。


 大八車に箱を載せているからあれが桜餅だろう。


「毎度三河屋さん、頼まれました桜餅100個お持ちしましたよ!」


「おう、毎年ご苦労さん!」


「いえいえ、毎年助かってますよ」


 桜餅はお得意様の大名様だけでなく各藩邸の奥方や女中、禿や養育院の子どもたちも美味しそうに食べている。


「とーしゃこれなに?」


 清花が早速桜餅を見つけてワクワクしてる。


「おう、これは桜餅だ、食べてみるか?」


「あい、たべたいでし」


 餅を喉につまらさないように小さく手で切り取って清花の口に桜餅をいれてやったらもぐもぐと口を動かして満面の笑顔になった。


「とーしゃ、おいちーよ」


「おう、それはよかったな」


 清花の満面の笑顔はやっぱり嬉しいな。


 それはともかく吉原に関してはもうあまり問題はないと思うが、品川や内藤新宿などの飯盛り女や水茶屋の娘たちの生活もなんとか改善していきたいものではある。

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