鍋の味付けが味噌ばかりなのは変えたいしポン酢でも作るか

 さて冬の時期にうまい食い物といえばやっぱあつあつの鍋だな。


 江戸時代初期でもあんこう鍋などはうまい食い物として水戸藩のあんこうが有名だったりする。


「寒い冬の鍋は本当うまい、とはいえ味付けが基本塩と味噌とたまりだけなのはちと味気ないな」


 清花を抱きかかえた妙が首を傾げた。


「そういうものではありませんか?」


 清花も妙の真似をして首を傾げている。


「?」


 そこへ桃香がぽんと手をたたく。


「戒斗様ならもっと違う、そして美味しい味付けのものを作れるんでやすな」


「お、おう、そうだな」


 きっと俺ならなんとかしてくれるに違いないという桃香のキラキラした瞳とその信頼がちょっと重い。


 まあ、俺なら砂糖に醤油や味醂などにくわえてレモンやライムのような果実も手に入れられる。


 江戸で濃口醤油が作られるようになったのはつい最近でその材料となる行徳から船橋方面にかけて存在した塩田の塩、関東平野の丘陵での大豆、それを集めてつくって運ぶのに適した水運の発展などにより醤油は比較的手に入りやすくはなってきてはいる。


 この時代でも下総国の野田の醤油が有名だが千葉県の野田のキッコーマンだけに限らず千葉県県下各地に小さな醤油工場が点在して醤油の生産地として現在でも残ってるのはその名残だな。


 そして醤油・味醂もしくは調理酒・水に出汁を加えればめんつゆだし、それに砂糖と味噌を加えれば割り下になる。


 そして鍋につきもののポン酢だがもともとはインドの数字の「5」を示す"パンチャ"と呼ばれるレモンやライムの果汁が含まれた5種類の材料を混ぜ合わせた飲み物を示していたが、大航海時代のヨーロッパにそれが香辛料などと共に伝わり、オランダ語ではポンス、イギリスではパンチと呼び方が変化して食前に飲むフルーツパンチなどが生まれ、その飲み物はオランダ人によって日本にも持ち込まれたのだが、日本には食前のドリンクという習慣がなかったので飲み物としては廃れた。


 だが、それを日本ではポンスの意味合いを主にレモン果実の絞り汁に変えてしまいポンスを酢に混ぜることでポン酢という調味料が江戸時代には魔改造で作られたわけだ。


 江戸時代の日本では金柑や紀州みかんの栽培はされているもののレモンやライム、すだち、シークヮーサーのような酸っぱい柑橘類はほとんど普及しておらず、金柑は薬用として用いられることも多いのが、これらの果実を絞ってジュースにしたりカクテルにしたりましてや調味料として使うことは考えられていないのだな。


「じゃあまた大島に行って材料を手に入れてくるか」


「はい、行ってらっしゃいませ」


「あー」


「はい、いってらっしゃいやせ」


 3人に見送られて俺は吉原の蕎麦の山谷堀から船に乗って伊豆大島へ向かう。


 そして大島に上陸したら通訳を雇って今日は食品を扱っている場所へ赴く。


 八百屋のような店では野菜とともにフルーツも扱われているな。


 オランダ人にとってもライムやレモンは重要なフルーツらしい。


「あー、レモンとライムを10個ずつ売ってほしいと伝えてくれるか」


「はいよ」


 通訳と店主がやり取りして麻袋にライムとレモンをいれてくれた。


 料金分の銭を払ったら、バターやチーズなどの乳製品なども買ってから、冬になると安く手に入るようになる鴨肉を買って今日は普通に吉原に帰った。


「戻ったぞー」


 部屋に戻ると妙と清花が迎えてくれる。


「おかえりなさいませ」


「ちゃー」


 桃香は藤乃の付き添いだな。


 なんだかんだ厳しくいろいろ教え込まれてるようだが、頑張っているな。


「さて、ポン酢を作るかね」


 作り方は簡単でレモンやライムを絞った果汁と同量の酢を混ぜるだけだ。


 ちょっとなめてみたけど果汁がフレッシュでなかなか美味しい。


「うん、これはいけるな」


 そして翌日は徳川紀州藩のお殿様が藤乃の所へ来てる。


 なんだかんだで紀州のお殿様なども来てくれてるのはありがたい。


 水戸の若様ほど毎回なにか呼び出しなどがあるわけじゃないので俺はあんまり会ってないけど、どちらかと言うと俺をよく呼び出す水戸の若様のほうが珍しいのだ。


 そんなことを考えていたら、今日は珍しく桃香がやってきた。


「藤乃様のお客はんが、戒斗様とお話がしたいそうでやすよ」


「おう、わかった、行くとするぜ」


 俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


「うむ、楼主よ久方ぶりだな」


 座敷では紀州藩主の徳川頼宣公がうまそうに鴨の水炊き鍋を食べていた。


 基本は昆布で出汁をとっただけの水に、大根・鴨肉・水菜・椎茸・長ネギ・平茸・豆腐などの具材が入った鉄鍋を火鉢で温めて煮ているだけのものだが、つけ汁にポン酢を使ってみたのが良かったのか。


「この鍋はとてもさっぱりしていて良い。

 尾張のように鍋にはたっぷり味噌をいれれば良いと思うものもいるだろうが私はそう思わないのでな」


 しれっと尾張の殿様をディスってますけどいいんですかね?


 どちらかというなら紀伊は古くからの熊野の影響もあって畿内同様にうすくちの方が好みだったのかもしれないけど。


「は、たまにはこういった味付けもよいかと試してみましたが気に入っていただけたようでございまして大変に光栄でございます」


「これは何を用いたものであるのか?」


「はい、伊豆大島の南蛮人が料理にふりかけることが多いれもんやらいむという蜜柑のような果実の絞り汁と酢を混ぜたものでございます、これに醤油を混ぜてもおそらくは美味しく召し上がれるかと」


「ほう、醤油を混ぜるとな。

 ならばそれも試してみたいな」


「では少々お待ちください、つくってまいります」


 俺はポン酢に醤油を足してちょこっとだけ別皿に移し味を確認してからポン酢じょうゆとなったそれを持って座敷に戻った。


「ポン酢に醤油を混ぜたものでございます、どうぞこちらもお召し上がりください」


「うむ」


 徳川頼宣公は十分に煮えた鴨肉をポン酢しょうゆにつけて口にした。


「うむ、これも悪くないな。

 太夫に付き添いのものたちも皆食べよ」


 その言葉に藤乃が答えた。


「まっことありがとうござんす。

 では皆でいただきやす」


「できればお願いがあるのですが」


「うむ、なんだね」


「琉球にはシークヮーサーと呼ばれる同じような果実がございますので、できれば琉球との交易の際に手に入れていただければと思います」


「なるほど、れもんやらいむは高価であるのか?」


「はい、南蛮の方でしか取れぬ果実でございますゆえ」


「うむ、わかった、そうつたえるようにしよう」


「ありがとうございます。

 では俺はここで失礼いたします」


 俺は座敷を退出したがその後は藤乃や桃香たちも加わって、なべを皆で囲んで箸でつついていたようだがやはり鍋は大勢でつついたほうがうまいし良かったんじゃないかな。


 藤乃は肉には手を出さないで野菜だけくったりしてるだろうけど、いつも冷めた膳ばかりじゃやっぱ味気ないよな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る