桃香は引っ込み禿として立派に成長している

 さて、今年も無事に年末年始を過ごし年が明けた。


 正月は吉原でも休日で元日は仕着日しきせびだから例年通り遊女や見習いの禿に新たな小袖を贈る。


「あけましておめでとう。

 桃香もだいぶ大きくなったな」


 俺がそういうと桃香はニパッと笑う。


「あい、みんな戒斗様のおかげでやすよ」


 河岸見世の遊女だったらしい母親が病で死に行き倒れになっていた桃香を拾って2年半以上が過ぎた。


 拾ってきた時はろくに飯を食っていなかったのもあってガリガリのヒョロヒョロだった桃香も2年半で背丈も伸びてふっくらした女らしい体つきになってきた。


「小袖の寸法はちゃんと合うか?」


「あい、大丈夫だと思いやす」


 他の禿や遊女たちも食事と睡眠の改善によって疲れた表情をしているものもいなくなり、そのために接客の評判も上がったし、売春をしている水茶屋を潰したこともあり吉原から水茶屋に流れていた客も吉原に戻ってきたし、一度ついた客がもう一度同じ遊女に文を送ってきて再度遊ぶようにもなってる。


 もちろん全員がリピーターになってくれるわけではないけどな。


 基本的に大見世の遊女と遊んで盃を交わした後は浮気は禁止が建前だが同格の大見世じゃなく中見世などに行くのは禁じられない。


 客には高い金を出させるのだから十分に満足させリピーターをつくらないとやはり厳しいからな。

 だから食事や睡眠の改善をやったのはやはり正解だったと思う。


 ちなみに江戸時代の服装は、基本的な形は大人のものと子供のものに差異はないが、3歳までは布一枚で仕立てる「一つ身」なので縫い目を意図的につくってやることになり、3~7歳では身丈の3倍で仕立てた「三つ身」、さらには7歳から13歳頃の成人の間までは、身丈の4倍ほどの布で仕立てる「四つ身」という着物を着させ、それを少し大きめに作っておいて腰や裾などをあげて体が大きくなってもずっと着られるようにするのが普通だし、小さくなって着なくなった物はいれば下の子供や近所の子供にお下がりとして着せるのも普通だ。


 この時代の着物は高いからな。


 なので遊郭のように毎年新しい衣装を与える事ができる環境はかなり珍しいほうだが遊郭の場合は流行の柄とかをおさえたりする必要もあるんで毎年買い与えるわけだ。


 毎年ずっと同じ柄の着物を着ていたら流行遅れになるしな。


 新しい小袖を嬉しそうに眺めてる桃香に俺は聞いた。


「藤乃の教えは厳しいか?」


 エヘヘと笑いながら桃香は言った。


「そうでやすけど、それだけ藤乃様に期待もされてるってことでやすし、それだけ頑張りがいもありんすよ」


「そうか、本当はもっと俺が教えられればいいんだがな」


「戒斗様にもいろいろ教えていただいてやすしそれだけで十分ありがたいでやすよ。

 戒斗様はいろいろお忙しいようでやすし」


 桃香はそう言うが藤乃を俺の両親が育て上げたように、容貌に優れ性格や物覚えの良い将来は太夫になりうると判断された禿は、楼主と内儀が教養や技芸を教え込むのが本来なんだが、俺にも妙にもその教養技芸が十分でない。


 母さんは桃香の面倒を見ないと一度言ったことでその態度を変えるつもりはないようだしそうなると藤乃に頼むしか無い。


 しかし、藤乃もそろそろ年季が明ける歳になってくるし、身請け話があれば誰かが藤乃の名前をついで二代目藤乃太夫としてふるまわなければならない。


 鈴蘭と一緒に権兵衛親方に見受けが決まってる茉莉花をその地位に持っていくわけにもいかないしなかなか頭が痛いことではある。


 ちなみに禿から新造になったり、新造から太夫などになったときに誰かの名を引き継いで名前が変わることもある。


 だから桃香がいずれは藤乃の名を引き継ぐことも十分あり得るわけだ。


 今は日本一となった藤乃がいるからと言ってうかうかとしてもいられん。


 鈴蘭のときのような店かえは両者の合意があれば出来るが引き抜きはご法度だからな。


 それから藤乃のもとへも新しい小袖を持っていく。


「あけましておめでとう藤乃」


「あい、おめでとうござんす」


「去年の島原での囲碁大会の後は客が増えて大変だったな」


「そうでんな、まあ、客として相手し続けてもええ方はけっこう少なかったでっけど」


「藤乃の客の規準はなかなか厳しいよな」


「日本一の太夫はそう安くありんせんえ」


「まあそりゃそうか、ところで桃香は藤乃から見てどうだ?」


 藤乃はふむと考えたあとで答える。


「ああ、あの子はとてもええこでやすな。

 物覚えも良くて飲み込みも早い、雑用を言いつけても嫌な顔や他の娘の陰口を叩かずにちゃんとやりやすし。

 後はもうちょっと自信を持てばもっと良くなりそうなのでやすけどね」


 藤乃に言葉に俺はうなずく。


「自分が買われたのではなく、拾われたというのが棘になってるんだろうな。

 そんなことは関係ないんだが」


「まあ、こういった場所では叩きやすいものが叩かれるものでやすからな。

 けど、心折らずにようやってるとおもいやすえ」


 禿は太夫や格子太夫、格子などの現役遊女の下で様々な雑用をしつつ遊女として必要なことを盗み取ることも必要だ。


 遊郭における妓楼のしきたりや芸事・教養、日本全国の様々な土地の客の使う方言を覚え廓言葉を学び話せるようにならなければならない、やらなくてはならないことや逆にしてはならないことなども覚え接客を出来るようにならなくてはならない。


「ああ、桃香は頑張ってるよな」


「ふふ、桃香ではなく紫と名付けていてもおかしくない入れ込みようでやすな」


 藤乃がなんか不穏なことを言ってるな。


「おいおい、俺は桃香に手を出すつもりはないぞ。

 大体そうすると藤壺はおまえさんってことになるんじゃねえか。

 それに俺が面倒を見てるやつにはみんな不幸ではなくなってほしいと思ってるし、実際そうやってるつもりだがな」


「確かに皆を不幸にしないようにはしているようでやすが、それが平等ではないことに不満をもってる禿もいるようでやすよ」


「俺は桃香には太夫になれるだけの容貌や才能と雰囲気があると思ってるからそうしてるだけなんだがな」


「そうやもしれませんが、桃香が引っ込みになったのは楼主様に目をつけてもらってるからと思ってるもんもおりやす。

 それが人間というものでやすしな」


「そうだな、才能に対して扱いを変えるのは公平だが平等なことではないし、なかなかうまくはいかんもんだな」


「何れにせよわっちが預かった以上はわっちの名を貶めるような遊女にさせるつもりはありまへんし、そのあたりは安心してようござんすよ」


「ああ、すまないな。

 桃香のことをよろしく頼むよ」


「お父上にも戒斗坊っちゃんのことを頼むと言われておりんすからな。

 もっとももわっちがいられるのもそう長くありまへんが」


「それまでに俺も父さんや母さんと同じくらいにならないとな」


「あい、その意気でやすよ」


 藤乃がいつまでも三河屋にいるとも限らないし俺も頑張っていろいろ覚えんとな。


 自分の手で太夫を育てられるように。

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