江戸時代はオシメ離れは早くて乳離れはおそい

 さて清花もだいぶ大きくなってきた。


 江戸時代では子供を常に抱いていたり背負っていたりして、こまめに顔色を見ながら面倒を見ていることもあるし、さらしを巻き付けた布オシメが汚れると洗濯が大変なこともあり、子供がオシメを外すのはかなり早く、早ければ半年、遅くても一年でオシメが不要になる。


 実は昭和初期ぐらいまでは同じように半年から1年くらいでおむつは外れるのが普通だったが、戦後になって安価な紙おむつが普及しさらには核家族化が進むと子供の面倒を見るのが大変になったりもしたためおむつは2歳まで外れなくなり、21世紀では保育園の4歳近くまでむつをしている子供も少なくなくなったがこれはおむつの便や尿を吸収する能力が格段に上ったことも大きい。


 とはいえ21世紀でも布オシメやおむつなし育児は見直されてきていて、本来身につけているおしめやおむつの中に大小便をするのは赤ん坊にとっても気持ちが悪いものなはずだ。


 だが21世紀の紙おむつだとおしっこやうんこなどをしてもほぼ吸収されて気持ち悪くなることは少ないのが問題でもあるのだろう。


 だけど布のオシメだと濡れると当然気持ち悪く感じて、それが嫌で泣くことでオシメを交換をしてもらうことで快適になることを学び、おしっこなどをする時にオシメをしていないほうがもっと気持ちがいいことを早くから学ぶわけさ。


 だから布のオシメの中におしっこやうんこをすると気持ちが悪い状態になってしまうということを学ぶことは赤ちゃんにとっても本当は必要なことなのさ。


 である程度大きくなってくると気持ち悪くなる前に泣いたりしてそれを伝えられるようになるわけで……。


「あーん」


 清花が泣きそうになっているがそれを聞いて妙が清花を抱え上げる。


「はいはい、ちーですね」


 そう言って妙は厠に連れていってそこでオシメを外して排泄をさせている。


 場合によってはツボの中だったり庭先だったりすることもあるらしいがな。


 そしてオシメではなく厠で排泄した清花は当然お尻などに大小便で汚れることもないから軽く紙で拭くか軽くぬるいお湯で洗ってあげるだけでも大丈夫だ。


 まあたまに間に合わなくて床を汚すこともあるわけだがま、それはしょうがない。


「はい、よくできました」


「きゃはは」


 今回は無事に間に合って厠で”しー”させることが出来たようだ。


 無論貧乏な家では産着や布のオシメをつけられない子供もいて、赤ん坊にはせめて少しでも暖かくと藁を編み込んだものを身にまとわせたりもするのだが、そういう場合は小さな時は垂れ流しになったりするから余計に厠のしつけに敏感になるようだ。


 逆にこの時代の離乳食や乳離はかなり遅い。


「はーい、清花、お乳ですよ」


「あー」


 妙が乳房を出して清花がお乳をすっている。


 江戸時代には歯が生えたらお食い初めの儀式は行うが離乳食として重湯などを飲ませ始めるのは数えで2歳以降が普通で、つまり現代だと1歳以降にならないと離乳食は始めずかぞえで7歳くらいまでは乳を飲ませるのも普通なのだ。


 逆にそのくらい長く鉛や水銀を塗りたくられた乳母の乳を吸っている大奥などの将軍様の子供が水銀中毒になって夭折したりするのも無理はない。


 もっとも貝原益軒の弟子である香月牛山かつきぎゅうざんは”小児に食をあたえはじめるのは生後半年、または10か月くらいのころの生まれた子に歯が生え揃うのを待って、はじまりの食をあたえるときを定めるのがよい。


 これは自然のことであり、歯が生えるのは、子供がものを食べるためなのだから。


 二歳半のころまでは乳を多く飲ませ、食を少なくあたえ、三歳から四歳までは食を多くし、乳を少なくあたえ、五歳になったら乳を飲ませてはいけない”と言っているがそれでも乳離は数えで5歳満年齢で4歳だ。


 ちなみにこの時代の離乳食は最初は重湯すなわち多量の水分を加えてよく煮た薄い粥の上澄み液だが、それに含まれている糊状のデンプンは、消化がとても良く水分と糖分それに少量加えた塩分を効率良く補給できる優れものだ。


 そしてその後は、粥をやわらかく煮てそれをすり鉢でよくすりつぶしミルク状にしたつぶし粥になり、さらに水分を多く柔らかく炊いた米になっていったりするのだな。


 外国だとこれがオートミールの粥とかになったりフルーツの果汁になったりするな。


 ただ人間の消化器が一通り完成するのは2歳から4歳の間でその半分の期間で消化器が完成するゴリラが乳離に2年を擁することから人間は本来4歳までは母乳をメインで与えたほうが良いらしい。


 日本政府が教本とした『スポック博士の育児書』はうつ伏せに寝させて窒息死する赤ちゃんを大量に出したりもしているので実際問題が多いのだがそれを未だに手本としていたりするのも問題だったはずなんだがな。


 そしてこの本は最初離乳食としてハチミツを推奨していたが赤ん坊にはちみつを与えるとボツリヌス菌で死ぬわけだし1歳未満の赤ちゃんにとって離乳食としてふさわしくないものの名前が他にも挙がっていたりする。


 なのでスポック博士の育児書は改訂を重ねているとはいえ、その推奨される内容の多くが現在否定されており、それを母子手帳に取り入れているのは明らかにおかしいのだが、素晴らしいとされる書物が実際は悲惨な結果をもたらすこともある一例だ。

 

 とはいえ乳の出は個人差なども大きく更には母親の身体や精神の状態などでも出やすかったり出にくかったりもした。


 そのために母親が乳不足だったり乳が出ない場合には、乳母を雇ったり近所さん同士で貰い乳をしたり、寺社にたくさん母乳が出るようにと願掛けをするなどをしていた。


 一方乳が出すぎてつねにはって痛い思いをする女もいたからそのあたりはギブアンドテイクなわけだ。


 子供が生まれても1割は1歳以内に2割は乳離れ前に3割は成人前に死んでしまうという状況では子供を失ってしまった人間にとって他人の子供でも乳をあげて育児に加われるのは生きがいを再び見つけることが出来た場合もあったろう。


「そろそろ清花に重湯を試してみようか」


「まだ早いような気がしますけど」


「嫌がったら無理はしないよ」


 俺は米粥を煮詰めて重湯を作りそれをさじで掬って清花に差し出してみた。


「?」


「清花ちょっと飲んでみてくれるか?」


「んー」


 清花はさじをパクっと加えた後重湯を吐き出してしまった。


「やーん」


「ご、ごめんよ、清花にはまだ早かったかな」


「やっぱりそうみたいですね。

 はいはい清花いい子だから泣き止んでね」


「やーん」


 うーん、離乳食はまだ早いか、なかなか難しいものだな。

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