江ノ島参りに行こう、ちなみこの時代の海水浴は医療行為なんだけどな
さて、吉原に戻ってきて藤乃のご贔屓さんの相手もある程度終わったら江ノ島詣でに向かうことにする。
「海水浴もするからなー」
藤乃がうなずく。
「了解でやすよ」
「清花も楽しみだよな」
「あー」
今回は妙や清花や乳母さんも含めて三河屋のみんなで行き、その後に十字屋、西田屋、その他の施設の半分、残りの半分という感じで行こうと思ってる。
ただ俺がいないときの見世の面倒は母さんに頼もうと思ってる。
なにもないとは思うけど万一何か有った時に対応できるようにしておきたいしね。
「母さんごめんね。
今回は十字屋の面倒を見ててほしいんだ。
三河屋の他のみんなと一緒に行けないのは残念かもしれないけど」
「全くしょうがない子だね。
大丈夫だよ、十字屋のみんなと行くときはあたしも一緒に行くんだろう」
「うん、十字屋のみんなを連れてくときに母さんにも一緒に来てもらうよ」
「はいはい、じゃあその時を楽しみにしてるさね」
三河屋の人間だけが行くのもなんだしな。
予め休みについては通達をしておいて当日の朝から出発だ。
桃香達禿も含めて今日は遠足だな。
遠足というのは遠歩きのことで乗り物を使って、遠くに行くのは厳密には遠足じゃないんじゃないかな。
「じゃあいくぞ」
「あい行きやしょう」
吉原をでたら徒歩で日本橋へ向かいそのまま東海道の海沿いをてくてく歩く。
まずは品川宿に到着。
この頃の品川は厳密には現在の品川駅のある場所よりも南にあって北は京急本線の北品川駅周辺から南は青物横丁駅周辺までだな。
現在の品川駅は港区だから北品川駅のほうが南にあるという不思議な状況になったりもするのだが、本来は目黒川の北が北品川宿、南が南品川宿なのだ。
でもともと目黒川河口の品川湊の港町市場町であった品川は宿場町伝馬町に組み入れられることによってより発展しているわけだ。
桃香が感心したように言う。
「ここはなかなか大きな建物が多いでやすな」
俺はうなずく。
「宿以外にも休憩用の茶屋なんかもたくさんあるし商店や市場もあるからな」
「なるほどでやすな」
そして妙が言う。
「ちょっと休んでいきませんか」
桃香たち禿たちにはちょっとしんどいだろうし休んでおいたほうがいいだろうな。
「ああ、そうしようか」
青物横丁というのは青物つまり野菜を近郊の農家が持ち寄って市を立てていた場所であるし、品川沖は有数の漁場でもあったから、新鮮な魚介類が市場で売られてもいた、猟師が撃った猪や鹿なども市で売っていた、そして飯盛り女を抱えた飯盛旅籠や春を売る水茶屋も結構あるのだがまあそこまで説明することもなかろう。
このあたりは武蔵野台地になるので目黒川や立会川流域の平坦地には水田があったが、大部分が台地になり水を十分得られず畑地が多かった。
なので麦や蕎麦・稗や粟などの穀物、大豆や小豆などの豆、青菜・大根・蕪・茄子・瓜・葱などの野菜が多く作られていたのだな。
無論水茶屋では普通に休憩をすることも出来る。
ここでは
この寺は真言宗の寺で弘法大師空海が大同年間(810年頃)に創建したという江戸でも最も古い部類に入る由緒あるお寺なのだ。
「弘法様、どうか文がうまくなりますように」
「お、偉いぞ桃香」
「えへへ、弘法様にお願いしたらきっともっと文が上手くなりんすな」
「ああ、きっとうまくなるぞ」
他の禿とか見習いの新造たちも一生懸命お祈りしてる。
遊女にとって文は最も大切なことの一つだからな。
「清花が無事健やかに成長しますように」
妙はそうお祈りしている。
「清花が健やかに美しく賢く成長しますように」
「あらあら、欲張りすぎですよ」
妙はそう言って笑っていた。
品川を過ぎたら次は川崎。
梅の季節なら途中の梅屋敷に立ち寄っていくところだが今回は素通りだ。
「長い橋でやすな」
桃香が感心したように言う。
「そうだな、作るときも大変だったらしいぞ」
多摩川の河口にかけられた六郷大橋は江戸近辺でも最も大きな橋であるがたびたび洪水で流されている。
そして渡し船によって川を渡るようになるのだが橋を維持し流されたらかけ直すというのは大変なのだな。
神奈川宿を抜けて程ヶ谷宿で今日は一泊だ。
吉原からは十里(40km)くらいなのでまずまずだな。
程ヶ谷は21世紀では保土ヶ谷と書かれてるがここは東海道の他にも金沢鎌倉道や八王子道・大山道などが分岐している交通の要衝だ。
「さてゆっくり休むとしようか」
俺たちは当然のことながら飯盛り女のいない平旅籠に泊まるのだが、比較的簡単に泊まれた事を考えても飯盛旅籠に比べると人気は落ちるらしい。
「人気が欲しくて皆飯盛り女を雇うことになるというのもわからんでもないがな……」
旅籠も遊郭と同じように間口の大きさによって大旅籠・中旅籠・小旅籠に分かれる。
そして旅籠の宿泊料金は、一汁二菜か三菜の食事が付いて、規模によるもので100文から300文程度で平均は200文程度。
これも旅籠の大きさや場所などによるけどな。
ちなみに木賃宿だと食事は持ち込んだ米を自炊ないしは宿の人に預けて炊飯してもらうため燃料の木賃だけという意味だが寝具も持ち込みが基本その代わり代金は16文とかなり安い。
木賃宿はどちらかと言うと民宿みたいなもので空室を貸しているという程度だったりもするのだけど。
湯屋で皆汗を流して旅籠の座敷で膳の夕食を取る。
飯櫃から茶碗に米をよそって膳に置く。
「ほう、なかなかうまそうじゃないか」
切り干し大根の味噌汁に筑前煮のような煮物、鱚(きす)の膾(なます)、きゅうりの香の物にお福餅となかなか豪華だぞ。
300文の大旅籠に泊まったかいが有ったな。
「ではありがたくいただこう、いただきます」
「いただきます」
まあ、三河屋で普段食べてる食事も栄養価を考えれば別に負けてはいない、見た目や内容で負けるのはまあしゃあない。
で一泊したら朝食はやはり煮物に鮎の焼き物、茄子の香の物、青菜の味噌汁となかなかだった。
清花にお乳もやって
「よし、では出発するぞ」
戸塚宿は健脚なら日本橋から一日で歩いてこれる場所にあるそうだが吉原からで女子供連れだとやっぱ辛いが意外と栄えてるようだ、で藤沢宿についたら江ノ島へ向かうわけだが……。
「おいちゃん、おかさんたいへんそうだし牛に乗せてあげない?」
と子供に声をかけられた。
牛に背中には鞍が据え付けられていて座りやすくなってるようだ。
「ふむ、江ノ島までいくらだ?」
「ここからなら江ノ島まで一里だから50文(およそ1250円)でいいよ」
「50文か、妙、牛の背中にのってくか?」
「いいのですか?」
「ああ、構わんぞ」
「ではお言葉に甘えて」
俺が銭を渡してやると、牛追いの子供も嬉しそうだ。
子供の小遣いといっても牛を飼うのも大変だろうからな。
「ありがとう、じゃあ早速乗ってよ」
「はい」
妙が牛の背に無事乗ってゆっくりと江ノ島を目指して歩く。
牛の歩みだとか牛歩戦術と呼ばれるようにその歩みは遅いが歩きの人間と一緒に移動するにはむしろちょうどいい。
牛の背中に乗るのはこの時代籠と共によく使われる交通手段だ。
まあ、安くもないのでみんなが使うかどうかと言うと結構微妙だが、辻駕籠と共にこの時代のタクシーみたいなものだな。
「藤乃も牛の背に乗るか?」
「大丈夫でやすよ、道中に比べれば楽なもんでやすからな」
ま、太夫道中のくそ重たい高下駄に比べれば草鞋で歩くのは全然楽なんだろうな。
そして海の向こうにきれいな富士が見えた。
「お、富士がきれいに見えるな」
「ほほほ、そうでやすな」
藤乃も確かにきれいで人気の太夫だがそろそろ身請け先を考えておかんとな。
そんな事を考えていたら小さな裸の子供が5人くらいで群がってきた。
あんまり食えてないのかな結構みんな痩せてる。
「おいちゃんぜぜちょーだい」
「ぜぜちょーだい」
俺は牛追いをしている子供に聞いてみた。
「こいつらはお前の兄弟なのか?」
子供はうなずく。
「そうなんだ、ぜぜに余裕があったらわけてほしいんだけど」
「ふむ、まあ袖すり合うも他生の縁と言うし茶屋によるか」
「わーい」
「わーい」
浜辺の茶屋によって牛追いの子供や裸の子供のぶんを含めて団子を頼む。
「こいつらの分をふくめて茶と団子をくれ」
「わかりました」
この子どもたちも皆が無事成人できるのかどうかわからない、だが流石にそこまでは面倒見れないがまあちょっと団子を食わせるくらいはしてもいいだろ。
裸の子どもたちはうまそうに団子を食ってる。
「おいちゃんありがとー」
「あいがとー」
「ああ、お前さんたちも大変だな、がんばれよ」
茶屋で休憩したら子どもたちと別れて、江島神社に詣でて、その後神社の建物を借りて着替えを行って海水浴だ。
といってもこの時代の海水浴は
だから皆が身にまとっているのは白装束だ。
「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
「弁天様どうかわっちに才をお授けください」
神聖な海水で身を清めて穢れを祓うとされるが海水に身を浸すのはノミ・ダニ・シラミなどの寄生虫を殺すし皮膚病の治療にもよいのは事実だ。
ついでに言えばお肌もすべすべになるぜ。
潮垢離を終えれば境内の井戸で塩気を流して服装を旅装束に戻して、海岸沿いを歩いて鎌倉に向かい鎌倉の手前で旅籠に泊まる。
ここは鰹の刺身がうまかったぜ、夏といえば鰹だよな。
で翌日に鶴岡八幡宮を参詣した後、切り通しを抜けて北条氏の一族である
蔵書は鎌倉時代に比べるとだいぶ減っているらしいし、いずれ寄贈させてもらおうかな。
その後北へひたすら歩いて神奈川を抜けたらその日は川崎宿に宿を取って、最後の日は平間寺こと川崎大師を参詣したら江戸へ帰るのだ。
「はあ、あちこちのお寺をお参りしてなかなか楽しかったな、疲れたけど」
妙は嬉しそうに言った。
「そうですね、たまには遠出も良いものです」
「あー」
そして清花も嬉しそうだった。
うん、清花が嬉しそうなのが一番うれしい。
もちろん若い衆や禿、新造にとっても良い息抜きになったようだ。
次は十字屋だな、母さんにもゆっくり旅を楽しんでもらおう。
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