そろそろ照明を行灯からランタンに置き換えていこうかついでにガラスの鏡も手に入れよう

 さて階段の工事はあっという間に終わった。


「おお、やっぱり二間階段だと降りる時の安心感が違うな。

 しっかり掴まれる手すりもあるし」


「へへ、まあ俺がやればこんなもんよ」


「ああ、親方の作業の速さはいつも助かるよ。

 また頼むぜ」


「あいよ」


 こんなことなら家の建て替えのビフォーアフターをもちっと真面目に見ておけばよかったかな。


 とは言えこの時代で同じことができるかどうかはまた別の問題だが。


 それにしても腕の良い職人や大工がほぼ専属で働いてくれるのはホント助かるぜ。


 さて後は安全性というとやはり照明や暖房だが、特にこの時代における照明の行灯はかなり危ない。


 油の入った皿を紙と木で囲ってるわけだから倒れた時だけでなく芯が飛んだりしただけで周りが燃える可能性もある。


「やっぱ燃えにくいもので周りを覆ったほうがいいよな」


 となると西洋のランプやランタンのようなガラスで覆った照明がやはりいいだろう。


 とは言えガラスは日本や中国では手に入れるのが難しい。


 ガラスそのものの誕生は実はかなり古くて、そもそも黒曜石に代表される打製石器の材料は天然ガラスだったりする。


 だから割ると鋭い刃になるわけで人間が打製石器を用いるようになった時代からガラスを用いていたと言ってもいいわけだ。


 もっとも人工的にガラスを作るとなると砂状の石英が砂状になった珪砂や天然ソーダが多量かつ楽に手に入ることと高温を維持できる炉が開発されている必要があるわけで、金属器の生成の過程で偶然できたというのが定説らしい。


 そして東洋でガラスがあまりつくられなかったのは西アジアからモンゴルにかけては大昔はテーチス海があった地域なので天然ソーダが多量に手に入るが中国や日本などはそうではないゆえに天然ソーダの入手が難しく、そのかわりとして陶器や漆器が発達したからであるようだが。


 ま、そのおかげで農業の塩害や塩辛い井戸水に苦しまなくてすんでるんだけどな。


「ふーむ、ガラスを買うとしたら伊豆大島でオランダ人から買うのが一番早いと言うかランプやランタンを買い付けたほうが安いか?」


 石鹸の材料である植物の灰の中の炭酸カリウムもアルカリなのでそれを使ってガラスは作れるし実際ボヘミアガラスなどはそうやって作っているんだが、そのためには大量の木の灰が必要で効率は良くない。


 あとアルカリとともに珪砂を熱すると融点が下がるがそうでないと超高温が必要になるのでほぼ珪砂だけが原材料のシリカガラスはこの時代では作れない。


「まあ、ガラスのコップとかも有ったほうが便利ではあるんだけどな……」


 とはいえそもそもギヤマン(ガラス細工)は日本ではまだ「ご禁制品」だったか?


 ギヤマンことガラスが禁制になった理由は教会の窓にステンドグラスにつかわれてたからのようだが。


 もっともギヤマン製の「江戸簪」は藩邸奥でこっそり大名の奥方娘が身につけていたり、薩摩藩や松前藩、対馬藩のような貿易港を持ってる藩は堂々と密造密売をやってるらしいけど。


「お奉行様に確認しておいたほうがいいか」


 というわけで俺は町奉行所に言って江戸ではギヤマンの扱いがどうなってるか聞くことにした。


「お奉行様、今現在伊豆大島の紅毛人からギヤマンの明かり”洋灯”を買おうとしたらそれは禁制に触れますでしょうか?」


「むむ、南蛮明かりであるか?」


「はい、紅毛人は”らんたん”と言うそうでございますが木と紙の行灯よりは火事を起こしにくくなりそうでございますので遊郭の明かりにつかいたのです」


「分かった。調べてみるのでしばし待て」


 お奉行様は禁制品の目録を調べているようだ。


「ふむ、現状ではキリスト教と関係ない品であれば問題ないようであるな」


「なるほど、ありがとうございます。

 それなら鏡も大丈夫そうですね」


 これで吉原の行灯をランタンに置き換えたら禁制を破ったと言われて捕まるとか言うことはなさそうだ。


 ついでにこの頃西洋では既にガラス鏡が有ったはずだからそれも買うとするか。


 青銅の手鏡に比べればずっと写りが良いはずだし。


 早速大島に渡ってランタンとガラスの手鏡を買うことにする。


 オランダ語はわからんので通訳は島で雇う。


「ああ、すまないがランタンを売ってくれるように通訳してもらえるか」


「わかりました」


 通訳とオランダ人商人がやり取りしてるがなんか安く値切ってる感じはしないな。


 ・・・

(以下はオランダ語でのやり取り)


「なに、ランタンが欲しいだって?

 貧乏人の使うものをなぜわざわざ

 金を持ってるやつが買いに来たんだ」


「この国だとガラスは殆どないらしいよ」


「じゃあ、ちっとばかり高く売っても平気そうだな」


 ・・・

 で通訳と商人が話し終わった。


「ランプ一個を銀50匁(おおよそ10万円)でどうかって」


「ランプ一個を銀50匁はちと高すぎじゃねえか?」


「でも、ランプは日本にはないんでしょうしガラスも作れないんでしょ」


 なんかだいぶふっかけられてるみたいだな。


 じゃあいいや。


「ん、じゃあいいや、俺が自分で作る」


「は?」


「珪砂と木の灰と石灰があればそれよりは安くつくれるからな。

 自分で作ったほうが安いなら買う意味はない。

 作るのは面倒だし買った方が安いと思ったんだが」


「ちょ、ちょっとまって」


 ・・・

(以下はオランダ語でのやり取り)


「自分で作るからいいって言ってるよ」


「なんだって、じゃあなんでわざわざ買いに来たんだよ」


「作るのは面倒だし買った方が安いと思ったんだって」


「それを早く言いやがれ」


 ・・・

 で通訳と商人が話し終わった。


「あ、なんか一桁間違ったみたいで一個が銀5匁(おおよそ一万)ならどうかって言ってるよ」


「一個が銀5匁かまあそのくらいなら適切な価格の範囲だな。

 じゃあ10個買おうか」


「10個だね、ありがとう」


 うん買わないと言ったら十分の一にまけるとかインドや中東の日本人観光客相手の土産物屋かーい。


 人によって値段をふっかけたり安くしたりすんなと言いたいが、まあ彼等からすれば売る値段が人によって変わらず同じ方がそもそもおかしいらしい。


 売る相手が身内や自分と同じ一族や知り会いで貧乏ならすこし安くする。


 同じ国でも金持ちなら少し高く売る、外国人の金持ちなら当然もっと高くする。


 それが当然らしいな。


 江戸時代でも21世紀でも金持ちだろうと貧乏人だろうと誰に対してでも商品の定価がある日本のほうが世界的に見ればむしろ異常な事らしい。


 ま、遊郭も基本料金はあるが宴会やら付け届け何やらで基本料金は名目だけっていう意味では人のことを偉そうには言えないけど。


「後は手鏡もほしい」


「鏡だね、同じく一個が銀5匁でどうかな?」


「ん、じゃあこっちも10個買おう」


「まいどありー」


 うん、なんかどっと疲れた。


 21世紀で風俗店員してた時に最安値のチケット持ってきた上で更にまけろと言ってくる一部の関西人を相手にした時くらい疲れた。言うだけただと思ってるんだろうけどホントイラッとするから値引き交渉はやめてほしいものだ。


 女の子の給料払ったら赤字になるような金額にするくらいなら入れるわけはねーだろ。


「ま、いいやとりあえずは三河屋で使ってみて評判が良ければまた買いに来よう」


 俺は伊豆大島から吉原に戻り部屋の行灯を天井から吊り下げるランプに置き換えていった。


「何やら面白い物をこうてきたようでありまんな」


 藤乃が物珍しそうにいう。


「ああ、この方が倒れないしちょっと明るいしいい感じだろ、後手鏡もきれいに映るし」


「ほんまでやすな。

 それにこの鏡はええもんです」


 ランタンはともかく鏡は三河屋の遊女たちみんなに好評だった。


「すご~くよく映るでやすな」


 桃香なども物珍しそうに鏡を見ていた。


「ああ、南蛮の方が優れてることも結構あるしな」


「そう、なんでやすな」


「ああ、でも日本だってすごいことはいっぱいあるぞ」


 そんな感じでガラス製品のランタンと手鏡は好評を博し徐々に行灯からランタンに青銅の手鏡はガラスの手鏡に置き換わっていくことになるのだ。


 とは言えどっちも安くはないから小見世や切見世で使うのはちょっとつらいけど。

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