本の大賞の結果発表を行ったぜ

 さて、1月も終わりに近づき、親藩の殿様や将軍様が揚屋にやってきて赤小本のそれぞれの特別賞の最終選定をすることになったが、特別賞を増やした時点で大方予想はついていたが各藩の殿様の選んだ赤小本は自分の江戸藩邸の奥向きで書かれたおそらく正妻である方が書いたんだろう赤小本だった。


 こうなった理由はそれぞれの藩のメンツというものもあるだろうし、どいつもこいつも親馬鹿ばかりというのもあるんだろう。


 とは言えもうすぐ子供が生まれる俺にもその気持はわかるし、子供が生まれたり生まれるだろうとなれば愛おしくなるものなのだろう。


 そして親藩の殿様達は吉原の大事なスポンサーでもあるし宣伝塔でもあるから、それぞれが選んだ赤小本を特別賞にするのは問題はないと思う。


 やはり公家などの出身であると言うのは教養に触れる機会も多かったんだろうことからレベルは十分高いものだった。


 赤小本の将軍賞は御台所様の作品でやはり決まりだったけどな。


「では将軍様の賞は御台所様の赤小本”生まれてきてくれてありがとう・私に抱かれてくれてありがとう”で決定ですな」


 上様は嬉しそうに頷く。


「うむ、問題ないぞ」


 現状の上様である徳川幕府四代目の徳川家綱公は既に名君との名声を確立しつつある。


 明暦の大火の後の江戸の復興の速さに加えて本来であれば五代目綱吉公が出すはずの生類憐れみの令の発布と旗本奴の壊滅により江戸の治安はかなり良くなったし、幕府の政策として捨て子や病人、野犬や野良猫に対する対策を行っているのも評価が高く、鎌倉時代以来の暴力で揉め事を解決し命を軽く見る風潮を江戸では上様が一気に改めたとみられているのだ。


 焼けた江戸の復興策として玉川上水などの上下水の整備を進めて江戸市民の飲用水の安定供給を進め、両国橋などの橋の開通により交通の利便性も良くなった。


 御三家による交易を開始したことで本来ならば商人や加賀前田藩や薩摩島津藩などの密貿易で独占された蝦夷から琉球への交易の利益を御三家が得ることにより御三家の経済状況は好転したし、長崎の商人が得ていたオランダや華僑との貿易の利益を江戸の商人が得ることでその運上金を幕府は直接得るようになった。


 大奥や奥向きでは新しい衣服を買って着るくらいしか暇つぶしの方法がなかったのだが、文を書いたり絵を書いたりなどの他にも様々な娯楽を大奥や奥向きへ持ち込むことで大幅な経費削減も成功しているという。


 さらには先代では中々子供が生まれずヤキモキしていたが、現状の上様は宮家の正室との間に世継ぎができたということも相まって困窮している宮家に対しての経済支援も見込まれることから、京などの上方からも支持する声が高まっている。


 更にはジャガ芋や水戸芋のような救済作物の普及にも上様並びに親藩普代の諸藩が勤めていることで農民の生活も安定し、寛永通宝の普及により可能になった米ではなく銭での俸給の支払いと江戸の治安維持要員として浪人を新たに俸禄を与えて召し抱えるようにしていることも有って、武士の生活も安定させたとこれ以上なく有能な方と思われているのだな。


 ご本人は「左様せい」で決裁していたことから「左様せい様」とも呼ばれているようだがこの方が人格的にとても穏やかで人命を尊重する良い方であるのは間違いがない。


 そして農民や町人のような一般庶民にせよ武士にせよ生活が安定して治安が良くなるというのは非常に大事なことだから支持を受けるのも当然だな。


 会津の保科正之公のような名君が政治を補佐しているのも大きいのだろう。


 知恵伊豆こと松平信綱公あたりとはぶつかることもあるのだろうけど阿部忠秋あべただあき公あたりとはうまく折衝してるんだろうな。


「我が藩の赤小本とそちらの赤小本を交換してみましょうか」


「うむそれも良いですな」


 殿様達は上機嫌でそんなことを話しているが、特別賞が各藩で平等に受賞となったことで面目も立ったことから場の空気は明るい。


 この時代は格とかにやたらとこだわるのでどっかが落ちてたりしたら下手すれば刃傷沙汰とかもあり得るから怖いよな。


 赤小本の大賞は”みんな笑顔”で決まった。


 やはり単純であっても母子を笑顔にさせる内容であることは素晴らしいと俺は感じたし妙なども賛成してくれた。


「私もお腹の赤ちゃんに”ニッコリ”って言ってあげると、赤ちゃんが喜んでくれてる気がします」


「ああ、やっぱりいいよな」


 一方三河屋の定本は”義経の蒲冠者退治の巻”になった。


 内容は平家を追討した源義経が蒲冠者こと源範頼の讒言によって追放され、範頼は頼朝すら蔑ろにして天下人を名乗ったことから頼朝の密命で義経が範頼を討つという話。


 何故か江戸時代では範頼は大悪人扱いされて討伐されたことになってるのだがこのあたりは武家の事情というものと一般市民の判官びいきが合わさったものだろう。


「蒲冠者よ、ここで会ったが百年目、潔く我が太刀にて討たれるが良い」


「何を小癪な、者共出会え出会え!」


 というシーンのあと義経と弁慶が範頼の郎党をバッタバッタと切り倒していくというのが中々清々しい。


 やはり強いものがバッタバッタと悪人の配下を倒していくというのは爽快だ。


 しばらくが歌舞伎で人気なのも時代劇で助さん格さんや上様などが侍をバッタバッタと倒していくのも観客がそれを望むからなんだろう。


 とりあえずは成功と言える結果になってよかったぜ。

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