上様の跡継ぎに色々献上してみたぜ

 さて、仲良くさせてもらっている親藩の若様や殿様への根回しが終わったら勘定奉行を通じて上様へ色々と献上しようか。


 そのためには権兵衛親方なんかに大車輪で働いてもらわないとな。


「親方上様のお子様のために乳児寝台とかをつくってもらえるか?」


 親方は苦笑している。


「はあ、やっと扇風機を作らなくて良くなってきて休めると思ったんだがでもまあ、上様のためなら頑張るしかないな」


 俺は乳児寝台ベビーベットやそれに付属する蚊帳や乳児回転玩具ベビーメリー、などをつくってもらうことにした。


「ううむ、流石にこの乳児回転玩具はからくり人形師でないと難しいぞ」


 さすがの親方でもぜんまいじかけのからくりは無理っぽい。


「分かった、ちょっとからくり人形師を探してみる。

 寝台に取り付けられるようにだけはしておいてくれな」


「わかったそれは任せておいてくれ」


 日本のからくりの歴史は意外と古くて、『日本書紀』の斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古のもの、多分これは方位磁針の原理を利用したものだとは思うがね。


 日本のからくりが大きく発展したのは戦国時代に入ってきた西洋技術、とくに時計によるところが大きい。


 時計というのはとても精密な機械なのだが、江戸時代初期からは機械時計に使われていたゼンマイやバネ、歯車などの技術を、お茶くみ人形を動かす装置として応用したからくり人形が作られ始めたのだ。


 それまでは糸を使って操っていたものが自立的に動くようにみえるようになったわけで、このあたりにも日本人技術の吸収力が見え隠れするな。


 もちろんからくり人形は非常に高価なもので現状ではまだまだ大名や豪商などの金持ちのみが持てる高級玩具ではあるのだが、祭礼や縁日などの見世物として一般の目に触れる機会も増えて、専門の職人も現れている。


 そして元和6年(1620年)には、東照宮祭の山車に初めて牛若弁慶のからくり人形が載せられると、中京圏を中心としてからくり人形を載せた祭礼の山車が広範に普及していくことになったのだ。


 もちろん江戸にもからくり人形を制作できるものはいる。


 そして俺は人形師のもとに向かった。


「お前さんが絡繰人形師の竹田清房さんかい?」


 竹田清房は後に竹田近江を名乗って官許を得てからくり仕掛けの芝居を興行した人物だ。


 本来ならばもう上方にいっているはずなのだがまだ江戸に残っていたらしい。


「ああ、そうだが、何のようだね?」


「上様のお世継ぎに送る物を前さんに作ってもらいたいんだがどうだろう受けちゃもらえないか?」


「受けるも何も何を作れと言うんだ」


「ああそれはな」


 と俺はぜんまいじかけで回る大雑把な姿かたちを記したベビーメリーの図面を見せた。


「ふん、要はゼンマイをもちいてここが回るようにすればいいのか」


「ああ、できれば音を鳴らすことが出来るようにもしてほしい」


 とついでにオルゴールが内蔵できるとたすかることを伝える。


「ふむ、面白そうだな、やってみよう」


「たすかるぜ手付で5両、成功したあと5両出す。

 よろしく頼むな」


「分かった任せておくがいい」


 とりあえず音の出るゼンマイ式ベビーメリーは注文できた。


 後は絵本だな。


 俺は俺と提携している浮世絵師の菱川師宣に挿絵を頼むことにした。


 菱川師宣も遊女の浮世絵、扇絵や屏風絵などでだいぶ有名になってるぞ。


 ちなみに彼は史実においても草双紙と呼ばれる挿絵付きの本の赤本と呼ばれるたとえば昔話の桃太郎・さるかに合戦・舌切り雀、花咲か爺などの昔話の子供向け絵本や赤小本あかごほんとよばれる幼児向け絵本を本文も一緒に書いていたりする。


「お前さんにぜひ頼みたいことがあるんだがいいだろうか?」


 菱川師宣は怪訝な表情だ。


「なにか面倒なことを頼まれそうな気がするが聞いておこうか」


「いやいや面倒なことじゃねえよ。

 これをお前さんの絵できれいに描き直してほしいんだ。


 そうやって見せたのは俺の手作り絵本。


「これを?一体何に使うんだ?」


「ああ、上様に献上しようと思ってな。

 俺の絵じゃイマイチだしお前さんなら上手く変えると思って」


「おいおい、上様への献上品だって?

 そりゃ一大事じゃねえか。

 よっしゃ任せろきっちり仕上げてやるぜ」


 だいぶやる気のようだ。


 まあ上様の目に絵が触れれば菱川師宣の評判をさらに良くすることも出来るだろう。


「でな、評判がよかったら木版で刷って売ろうとも思ってる。

 そん時は売れた冊数に応じてお前さんにカネを払うから頼むぜ」


「分かった、そいつはいいな」


 まあ印税と言うか絵師料みたいなものだ。


 本来ならばこの時代の浮世絵師は全部自分でつくって自分で売るので本来は作品一つに対していくらとカネを払うんだがおれは月給を固定給として払いそれに売れた分を歩合で払うようにしている。


 それとともに呉服商に絹の中にたっぷり綿を詰めた産着をたっぷり発注した。


 乳児は筋肉が少なく体も小さいし、筋肉も少ないので体を冷やしやすく免疫が低下しやすい。


 なので清潔な産着をなるべくこまめに取り替えるのは多分大事だと思う。


 やがて親方に頼んだ乳児寝台(ベビーベット)やそれに付属する蚊帳は無事できあがり、竹田清房にたのんだ乳児回転玩具(ベビーメリー)や菱川師宣が絵を入れた絵本が完成し、産着も届けられた。


 早速俺は勘定奉行に献上と陳情を行うことにする、荷物を大八車にドンと乗せて勘定奉行所へ俺は赴いた。


「お奉行様においてはいつもお世話になっております。

 今回は上様のお子様にこれらを献上したくやってまいりました」


 勘定奉行はうむと嬉しそうに頷く。


「うむ、その方ら吉原の総意として受け取っておくぞ。

 上様もきっと喜ばれるであろう」


 俺は深々と頭を下げる。


「はい、そう言っていただければ幸いでございます。

 また、一つお願いがございます」


「ふむ、何だ申してみよ」


「はい、現状四宿は遊女の禁止令を守るように見せかけながら飯盛女に春を売らせ、水茶屋でも売春を行っております。

 俺たちにはそれを検挙する権限は頂いておりますが実際に江戸の街に花街が吉原一つでは遊び場として不足してきているとも思います。

 ですのでこの際は四宿を幕府公認の遊郭とする代わりに俺を四宿の目付けとさせていただきたいのです」


 勘定奉行はふむと少しかんがえてから答える。


「ふむ、それについては我が方だけでは判断しかねる。

 町奉行や寺社奉行、そして上様やご老中などにも話を通さねばならぬゆえ沙汰については後日連絡するものとする」


「はい、お手数をおかけいたしますが何卒夜よろしくお願い致します。

 これは奥方様への贈り物としてどうぞお受け取りくださいませ」


 俺は最高級の着物を勘定奉行へ袖の下として送ることにした。


 それとともに小判を10両ほど入れておくのも忘れない。


「うむ、その方の志、たしかに受け取ったぞ」


「ありがとうございます、それでは本日は失礼致します」


 吉原の直接的な上役である勘定奉行からの俺の送りものは上様や御台所様にも評判が良かったようだ。


 そして上様や御台所様の評判が良いとなれば他の大名家や豪商に対しても良いアピールになるはずだ。


 この時代では”大奥ブランド”は伊達ではないだろうからな。

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