素人のど自慢と歌声茶屋 歌はいいねえ、人間文化の極みだよ あと藪入りにはちゃんと休もうか

 さて、吉原を総合アミューズメント施設化させる計画を俺は進めているがその中の1つをこれから進めようとしよう。


 ”求む、のど自慢!

 如月1日吉原歌劇にて素人のど自慢大会開催!

 参加希望者は吉原総会所までおいでください”


 このような告知を吉原の劇場や門外店などの壁などに張って参加希望者を募集する。


「さて、それなりに数の応募があるといいんだがな」


 一緒に張って回っている妙が笑っていう。


「大丈夫ですよ、江戸ッ子は皆お祭りが好きですから」


 俺も笑って返す。


「まあ、そうだな」


 これは要は21世紀のテレビ番組なんかで割りと人気の素人を集めて観衆の前で歌わせるあれだな。


 上手ければ”キンコンカンコンキンカンコンキンコンカン”となるし、下手だと”カーン”としかならないあれだ。


 なんだかんだで人前で歌うというのが好きなやつは多い。


 まあ人前で歌うのが苦手なやつも多いが。


 それと一緒に旅籠の昼間の座敷の一部に、専属の三味線などの演奏者をおいて楽器を演奏させ客が歌う「歌声茶屋」を設置する。


 まあ、カラオケの生演奏バージョンみたいなものだが、もともと酒席の余興という位置づけとして遊女屋や芸者ではなく客が歌を歌ったり踊ったりすることは珍しくない。


 ただ遊女屋で宴席を開くのは結構な金がかかるから、それを比較的安価で歌をうたうことを専門にできるようにするわけだ。


 料金も一部屋一刻100文と手軽に使える料金にする、そんな感じだから演奏者はまだ客を取る前の見習い新造とかだが十分演奏はうまい。


 飲み物や食べ物の持込みは自由としよう、無論酒や茶や食い物の注文があれば部屋へ持っていけるようにもするが。


 カラオケというのは集団がコミュニケーションを取る手段の1つとして割りと優れていると思うし、実際学校や会社などの懇親会などでもよく使われていた。


 まあ、俺は学生時代歌にほとんど興味がなかったので会社に入ってからカラオケを歌うのに結構苦労したけどな。


 それはともかくカラオケというのは酒が入る入らないにかかわらず一人が歌ってそれに合いの手をあわせたり、皆で合唱したりすることで一体感が出るのだろう。


 皆が知っているような曲であれば共感も得やすいしな。


まあ、そのせいでアニソンとかボカロ曲とかしか知らないといざという時大変だったりするんだけどな。


 そう言う趣味の仲間で集まってオフ会をする時とかは別にいいんだがな。


 まあ、アニソンも有名歌手が歌ってるやつとかだとそんなに問題はなかったりもするけど。


 そして幸いなことに素人のど自慢の方もぽつりぽつりと参加希望者が現れてくれた。


 老若男女に関わらずいろいろな待ち人が参加を表明してくれた。


「ああ、ノリのいい江戸ッ子に感謝だぜ」


 ちなみに素人のど自慢大会には参加費は取っていない。


 単純に吉原に人がきやすい雰囲気を作るための開催だからだ。


 歌声喫茶もそう。


 吉原は高い金を払って宴席を開くか女を買う場所というイメージを崩すためにも今まで色々してきた。


 女性向エステとしての性格が強い美人楼、脱衣劇でない吉原の歌劇もそうだし、もふもふ茶屋から花鳥茶屋になった動物などと触れ合える茶屋もそうだ。


 歌舞伎も、もともとは女歌舞伎が踊りとともに春を売るものであって、それが若衆歌舞伎から

 野郎歌舞伎に変わったが、男色が好きなやつや金がある後家さんなどの相手をしている場所でもある。


 だから歌舞伎座も最終的には浅草にまとめられるんだけどな。


 それから一月十六日は藪入りで、吉原もこの日は休日とした。


 藪入りは、住み込み奉公していた丁稚や女中など奉公人が唯一実家へと帰ることのできた休日で、1月16日と7月16日の2日がそうだ。


 7月のものは後の藪入りとも言う。


 藪入りの習慣が江戸などの大都市の商家に広まったのは江戸時代からで、本来この日は嫁が実家へと帰る日だったらしい。


 ともかく江戸時代の藪入りの日には、店の主人や女将は住み込みで働いている丁稚や手代、女中などの奉公人たちに着物や履物、小遣い更には実家への手土産を持たせて送り出した。


 実家では両親がごちそうを作って待っていて、その日は一日中親子水入らずで年一度の完全な休日を楽しんだ。


 とは言え帰ってこないと困るんで丁稚奉公して3年間は実家に帰してもらえなかったんだが。


 また、遠方から出てきたものや成人したものには実家へ帰ることができないものも多く、そういった者たちは連れ立って芝居見物や買い物などをしてのんびり休日を楽しんだ。


「というわけで今日は休みだ。

 実家に帰れるやつはかえって親子水入らずでのんびりしてきてくれ。

 妙もたまには実家でのんびりしてきていいぞ」


 そんなわけで遊郭の針子や飯炊き女、風呂焚き女などとして働いている下女に着物や履物、小遣いや土産物になる食べ物などを手渡して俺はそいつらを実家に帰らせてやった。

 若い衆ものんびりできるように小遣いをやる。


「では私も今日は実家に帰らせていただきますね」


「ああ、たまにはゆっくりしてきてくれ」


「ほんとう、たまにはゆっくりしてくださいな」


「こいつは一本取られたな」


 妙とそんな遣り取りをしたあと、やはり着物や履物、小遣いや土産物を持たせて俺は妙を見送った。


 今日は吉原は門を閉ざして全部休み、惣名主付き秘書たちも休み、俺も休みだ。


「たまには一日中ごろごろしてるのもいいよな」


 正月はなんだかんだで動き回ったしたまにはのんびりするのもいいよな。

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