29日は静かに過ごし30日の大晦日は徹夜で騒いで過ごすのが江戸時代

 さて、28日を過ぎて29日になると江戸の町もだいぶ静かになる。


 歳暮周りは昨日で終わり、21世紀などでは29日は”にくのひ”として焼肉が安く食えたりするが、江戸時代には牛馬を主とした獣の肉は表立って食べられるものではなかった。


 まあ、昨年まではそこら辺の野良の犬猫を斬り殺して鍋にして食っている奴も多かっただろうけど、野良犬は人糞や疫病で死んだものの肉などを、野良猫はネズミやゴキブリなどを食ってる可能性も高いので食わないに越したことはないよな。


 まあ21世紀であっても中国や韓国の市場では棒につながれた赤犬は市場の店頭で売られていてその場で〆て犬肉として売られていたりもするがこれは食習慣の違いというものではある。


 最も動物愛護団体はそれをなぜ訴えないのか不思議ではあるけどな。


 それと9は苦に通ずということで験を担ぐ武士などは皆静かに家で過ごしているはずだ。


 町人はのんびりと松飾りやしめ飾り、しめ縄などの正月飾りの飾り付けなどをしていたりはするけどな。


 何かあれば命をかけて戦わないといけない武士は大変だよな。


 験担ぎなんてと笑うかもしれないが、ベトナム戦争でも兵士はラッキーストライクは運悪く死ぬかもしれないと吸わなかったりするくらいだからな。


 そして大晦日の30日になる。


 この時代の大小暦だと30日までしか無いからな。


 大晦日には1年の間の溜まった罪や穢れを祓うために、大祓(おおはらい)が宮中や全国の神社で執り行われる。


 21世紀でも神社にお守りを持っていって焼いてもらったりするだろ。


 そして21世紀の人間はテレビで年末恒例の番組を見て、年越しそばを食べ、除夜の鐘を聞きながら、終日走ってる電車に乗って何処かに初詣に出かけるというのが定番だろう。


 まあ、正月も仕事なんだけどもという人間も居るだろうけどな。


 年中無休24時間営業のコンビニとか牛丼屋とか。


 江戸時代もまあ似たようなものだ。


 まずは吉原の劇場での大見世対抗歌合戦からだな。


「よーし、お前ら準備はいいか!」


 俺は三河屋の遊女達の前で聞いた。


「あい、わっちらの準備は万端でありんすよ」


 無論どの見世もそのメンツにかけて負けられんと考えているだろう。


 客席は超満員で、大見世の太夫の馴染みの客などが別れて陣取って居るようだ。


 なにせ遊郭の太夫はこの時代におけるトップアイドルスターみたいなものだからな。


 そしてこの時代では最新鋭の楽器である三味線に合わせて遊女が歌い舞い踊るステージは熱狂の渦に包まれたさ。


「ああ、いい感じだな。

 春を売るのではなくて技芸で人が集まってくるのは」


 島原遊郭に近い存在に江戸の吉原遊郭もしたいと思ってる俺だが少しずつそれはできていると思う。


 で、まあ、結果から言うと三河屋の藤乃は3位だった。


 1位は三浦屋の高尾、2位は山崎屋の勝山だったんだな。


「うぐぐ、くやしおすな」


 その結果に藤乃は本気で悔しがっていた。


「まあ、入場券の大名買いは禁止したし仕方ねえな」


 大名や豪商など金のあるやつが人気投票券になる入場券を多量に買って集中的に特定の見世の遊女に投票するのはやめさせたんだ、それは本当の人気投票とは言い難いと思うからな。


 水戸の若様を始めとした徳川御三家や親藩の殿様達などの藤乃の馴染みの客が入場券を買い占めればぶっちぎりで一位になることもできたろうけど、それってなんか権力で人気を買い占めさせたみたいに思えるんじゃねえかなそれ。


「まあ、お前さんは頑張ったさ。

 来年はもっと頑張ろうぜ」


 ぐっと拳を握って藤乃は言ったさ。


「そうどすな、来年こそ優勝でありんすよ」


 うん、こんな感じで毎年盛り上がればいいな。


 それにまあ、なんとか3位以内に入ったことで一応主催者のメンツもたったと思うんだが。


 流石に最下位とかだと俺の立場もねえからな。


 さて江戸時代では、1日は夜から始まり朝に続くと考えられている。


 なので、大晦日は既に新しい年が始まってるのだ。


 もっとも、掛売りのつけの取り立ての期限は元日の朝日が昇る明け六つ(午前6時頃)までなので、そういった家の前は今頃長どすを持った怖いお兄さん方がズラッと並んでいたりするんだけどな。


 それこそつけの取立てのために大店の商人たちは紋付の丸提灯を手に、大晦日が完全に終わってしまうまで徹夜でつけの取り立てに奔走しこの日ばかりは武士よりも商人のほうがよほど怖いといわれ彼らは「債鬼(さいき)」と恐れられたりもする。


 大晦日の箱提灯を持つ武士は怖くないが紋付の丸提灯を持つ商人たちは鬼となったわけだな。


「大晦日首でも取って来る気なり」という借金取りと「大晦日首でもよければやる気なり」と逃げ回ったり、隠れたり、最後には開き直る借り方との夜が明けるまでのやりとりが繰り広げられるわけだ。


「おお、こわいこわい。

 つけ払いなんてするもんじゃねえよな」


 最もつけの取り立てを逃れても、当然ながら信用を失ったそこからはつけは一切効かなくなる。


 なので金がなければ年頃の娘がいれば娘を、娘が居なくても妻がいれば妻を女衒に売ってなんとか食っていくことになるが、娘も奥さんも居ないとそれこそ川に身投げでもしないといけなくなっちまう。


 つけ払いがきくくらいなら大体は妻子は居るけどな。


 さて大晦日の夜には餅などをお供えし、歳神様を家にお迎えするわけだ。


「今年の年神様今までありがとうございました。

 来年の年神様また今年もよろしくお願いいたします。


 こうして今年の年神様と来年の年神様が入れ替わるわけだな。


 ゆく年くる年というのは本来は年神様のことだったわけだ。


 でまあ、この日はみな揃って夜は縁起物である鯛のお頭付を用いた年取り膳や雑煮や蕎麦などをみな揃って食べる。


「よしみんな、今年一年お疲れ様。

 来年もよろしく頼むぜ」


「あい、わっちら頑張りんすよ」


 遊女たちの表情は皆明るい。


 こうして皆で食事を摂ることを「年越し」といい後々は江戸では年越しには蕎麦を食べる風習が定着するんだが現状では年取り膳のほうが主流だな。


 年越しの夜は除夜ともいい除夜は歳神様を迎えるため一晩中起きているのがあたりまえだった。


 この夜に早く寝ると歳を取ってしまい白髪になったり皺ができたりするといわれているから遊女たちはもちろん寝ない。


「わっちらなんか皺ができたら大変でありんすよ」


「ほんにでやんすなぁ」


 特に桜や藤乃などは大年増といわれる年齢なのでピリピリしている。


 この除夜の行事は古くから行われていって、始まりは奈良時代とも平安時代ともいわれている。


 やがて”ゴーン、ゴーン”と浅草寺の除夜の鐘が鳴らされ始めた。


「おう、もう除夜の鐘が鳴ったか」


 除夜の鐘が人間のもつ108の煩悩を1つ1つ取り除いて、清らかな心で正月を迎えよう言う理由でついているのに、音がうるさいと文句をいうやつがいた21世紀はどっかおかしいと思うんだがね。


 後は朝になって日が出るのを待つだけだな。

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