万治2年(1659年)

元旦はのんびり寝正月だ

 さて、大晦日は一晩中賑やかに過ごしながら朝を迎えると年明けだな。


 ちなみに江戸時代の正月は大体1月末から2月中頃の間になる。


 21世紀でも中国なんかは旧正月は2月だったりするが、江戸時代では立春に一番近い新月の日が正月になる。


 なので正月が迎春と呼ばれるのは立春に近いからなんで、21世紀の正月は新春と言うには寒すぎなんだよな。


 大小暦は月の満ち欠けの周期を用いた太陰暦だからそのひと巡りは29.5日なので29日までの月と30日までの月がある他に、365日の太陽暦と比べ11日短いから3年に一度、閏月として一年が13ヶ月ある年を設ける。


 こういった閏月が有った場合その閏月にも年中行事を行うかは行事の種類によったりする。

 たとえば1月に閏月が有っても年末年始の行事を2回やるようなことはない。


 逆に月見などは両方やったりもするが基本的には閏月には行事は行われないことが多いようだ。


 ちなみに大小暦のような太陰暦は農作業の開始の目安にするにはズレが大きすぎて実際に作物の実りの支障が出るので、農業では二十四節気という太陽暦を使っている。


 二十四節気は一年365日を二十四等分し、それぞれに名前をつけたもので二十四節気の変わり目は21世紀月換算だと半月毎になるわけだな。


「おお、朝日が眩しいぜ」


「ああ、これでしわが増えなくてすみますなぁ」


「白髪も増えんですなぁ」


 桜と藤乃がしみじみと言っているが、これは正月は年齢の上がる日でもあるからだ。


 また21世紀の正月名物の寺社への初詣は江戸時代初期には行われていない。


 正月は年神様を家に迎える日なので、寺社に詣でる理由がないからな。


 そして、年神様が新しい年の命を人々に与えると考えられていたので皆正月の元旦に一斉に歳をとっていたわけだ。


 なのでこの時代は誕生日というのはさほど重要視されないのだな。


 そして、大晦日に寝ると外見の歳を取り、初日の出を拝めれば逆に外見の歳を取らないで済むと信じられていたんだな。


「お前ら、気にしすぎだ。

 全然平気だから安心しろよ」


 江戸時代の遊女が早く老けていったのはタンパク質不足と睡眠不足のダブルパンチが原因だ。

 ちなみに白人が老けやすいのは食習慣でパンやシリアルなどの高温で調理された主食を食べてるせいでAGEs(エイジス)の摂取量が多いからだと思う。


 AGEは、Advanced Glycation End Productsの略で、「終末糖化産物」「糖化最終生成物」「タンパク糖化最終生成物」などと呼ばれる、食べ物の焦げでパンの皮や耳などの茶色い部分がそれだ。


 実際、バナナなどの果実しか食べないフルータリアンは白人であってもいつまでたっても若若しい。


 食べたものは消化する際に分解されるのでAGEsは吸収されないというのが以前の医学的見解だったけど、最近は食品からも吸収される事がわかってきた。


 なのでパンやシリアル、ベーコンやハムなどのようなAGEsが多量に含まれた食べ物を食べ続けると外見が老けやすくなる。


 日本人などの外見がなかなか老けないのは米という基本焼いたり揚げたりしないものを主食にしてるからだろう。


 なので白人でもパンではなくパスタのような茹でる食べ物を主食にしたほうが老けにくいんだな。


 逆にシリアルやドーナッツのような糖が多量に含まれてるものを揚げたものは最悪だ。


 そういう点では天ぷらなども老化という観点からは美容を考えるとあまりいいとはいえないかもな。


 で、初日の出を見たらその後はみんな寝る。


 大晦日につけの回収に走り回った大店の商店の若い衆も、つけの取り立てから逃げ回っていた町人も、家の中で一晩騒いで過ごした者も皆寝て過ごした。


 この日は商店も遊郭の見世も湯屋もどこも空いていない。


 また、元日には掃除もしない、元日に室内で箒使うと福もでてしまうと信じられていたからだ。


 で、昼過ぎまで寝て皆起きたら井戸から若水を汲んで、年神様へ若水と年末についた餅をお供えし、その若水の水や餅を使って雑煮を作る。


 そして正月は楼主が遊女の位に応じた小袖を与える。


「よし、じゃあ藤乃から、今年も頼むな」


「あい、わかってやんすよ」


「桜もあと少しだが頑張ってくれな」


「あい、わっちもまだまだ頑張りんすよ」


 この小袖は特別なものなので特に大事な客への贈り物に使われたりもする。

 そして、庭にしつらえたかまどで雑煮を作ってみんなで食べるのだ。



 ちなみにこの時代の鏡餅は黒米を使ってるので黒いもちだったりする。


「よし、ありがたくいただこうぜ」


「いただきやす」


 雑煮に関しては宮中行事などではなく武家の正月の儀礼用の料理であったらしい。


 室町時代の末期から戦国時代あたりにはすでに存在していたが一般大衆が食べるようになったのは江戸時代かららしいな。


 雑煮の具の内容は21世紀とあまり変わらず、焼いた角餅、鴨肉、小松菜、大根、里芋などが入ったすまし汁仕立てだ。


 まあ、雑煮の餅以外の具の内容や汁がすまし汁か味噌汁か、餅が丸餅か切り餅か、餅を焼くか焼かないかなどは地方によって違うので何とも言えないが食事に雑煮が出ると正月って感じだよな。


 とは言え、正月の松の内の7日までは、ずっと雑煮というのはちょっと飽きるっちゃ飽きるんだが。


 ちなみに正月と言えばおせち料理だよねという感じがするが、江戸時代には21世紀のようなおせち料理はない、子供にお年玉として金を渡す習慣もないし、年賀状のようなものも基本はない。


 人手でごった返す初詣もないから、江戸の町の元旦や2日は割と静かでのんびりしてるんだな。


 最もこれは町人地の話でお武家さんは卯の刻の明六ツ(おおよそ前六時)に江戸城で将軍さまへ挨拶をしないといけない。


 そしてその後藩主は江戸の藩邸に戻って家臣の挨拶を受け、他の藩への挨拶回りに回ったりしないといけないからお武家さんは大変だ。


 ちなみに藩主が地元に帰っていて江戸にいない場合でも江戸に残っている人質代わりの正室や嫡子、江戸留守居役に対して挨拶に行かないといけないから挨拶回りは結局しないといけない。


 大晦日寝ずに過ごしてその後そのまま朝から挨拶回りをしないといけない武家は大変だ。


「もっとも、浪人はもっと大変なんだけどな」


 主君がいない浪人は当然ながら挨拶回りは必要ないが、収入がないのだから暮らすのは大変だ。


「まだまだやらないといけないことはたくさんあるな」


 妙が頷く。


「少しずつ進めていけばいいのではありませんか。

 焦らずに一つずつ」


「ああ、そうだな」


 妙の言うとおりで焦っても吉原の状況や浪人などの困窮している人間の暮らしが良くなるわけではない。


 俺のできる範囲で少しずつ改善していくしか無いだろうな。

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