江戸時代の師走半ばの名物は餅つきに浅草寺の観音市

  さて、煤掃が終わり、見世もすっかりきれいになった。


「うむ、これで年神様を安心して迎えられるな」


 妙もニコリと頷いていった。


「はい、これで安心ですね」


 翌日14日は一休みして15日になったら江戸の町では餅つきや松飾りが始まる。


 街角で掛け声をかけながら餅をつく様子は年末の風物詩だ。


「こうなると本当に年末って感じだな」


 妙が頷いていった。


「ほんと速いものですね」


 最も吉原の餅つきは20日からで、世間一般よりは少し遅いのだが。


 まあそれは、自分たちで餅をつけるからなんだがな。


 自分たちで杵や臼、蒸籠や釜、米餅などをすべて用意して餅つきをできるのは寺社や武家、大店の商家、大工の棟梁など使用人や見習いなどの人手がたくさんある所、もしくは農家などでは自分たちでもち米を蒸して餅をついた。


 まあそうでないと余ってしまうというのもあるんだろうけど。


 年末の餅つきに必要な道具や人員を確保できるのはそれなりに金がある奴だけだってことだな。


 其れができない小店の商家などは米屋に出張餅つきを依頼することがおおい。


 米屋が年末だけの臨時業務としてやっている「引きずり餅」と呼ばれるこの出張餅つき屋は餅をつくための臼や杵、もち米を蒸すための蒸篭(せいろ)や釜、薪などを餅つきに必要な道具をあるいは担いで、あるいは引きずって運び、多くは依頼人の店の前で威勢よく掛け声をかけながら餅をつくんだ。


「よいさ」


「ほいさ」


「よいさ」


「ほいさ」


 その他には普通にもちを買う場合もあって、12月15日の前までに普段は団子などを作ってる菓子屋で年末だけ作られる「賃餅」とよばれる餅を予約して買うか、神社の境内で行われる「歳の市」で買うかだな。


 いずれにせよ餅を作る米屋や菓子屋は12月の後半は大忙しで、江戸の町人町では15日から昼夜を問わず餅をつく音と掛け声が響き渡るんだぜ。


 そして12月の17日18日は観音市、浅草寺の歳の市が行われる。


「じゃあ、飾り付けなんかに必要なものを買いに行くか」


「ええ、そうしましょう」


「じゃあ、私も行くよ」


「わっちも行きたいでやんす」


「了解、じゃあみんなで行こうぜ」


 歳の市に行くのは俺、妙、母さん、桃香、後荷物持ちの若い衆。


 正月用品などを売る「歳の市」はつい昨年から始まったばかりだ。


 そして一番最初にはじめたのは浅草の浅草寺なんだな。


「それにしてもすごい人でありんすな」


 桃香が感心したように言う。


「まあ、年神様を迎えるにあたって新しい飾りを買うのは大事だからな」


「そうなんでやんすな」


 浅草で始まった歳の市は江戸時代の中ごろまでは浅草に限られていたが、徐々に江戸各地に広まっていくのだな。


 その始まった理由は明暦の大火で家を焼かれて家財などを失った人々が、神棚、注連縄、しめ飾りと言った祭具、羽子板、凧、独楽等の正月用遊具、餅、海老、昆布、鯛、橙(だいだい)といった食料品など正月に欠かせない正月用品を求めていたが其れを一番最初に大規模にうりだしたのが浅草寺というわけだな。


 その他にもまな板、包丁、釜、桶、笊などの台所用品や着物、鎌や鍬などの農具、鉢植えの植物など売られているものは様々だ。


「ちょいと、その桶を1つ貰おうかね」


 母さんが新しい桶を買い求めている。


「へい、ありがとうごぜえやす」


 ちなみに桶は若水(わかみず)と呼ばれる元日の朝にその年初めて汲み神前に供えるために新調する。


 神様に備えるための神聖な若水をくむための桶は当然神聖な桶でなくてはならないから毎年新調することになるのだ


 その桶を一年の間大事に使い、また来年の歳の市で買うわけだ。


 もちろん古い桶は薪などにするから無駄も出ない。


 まな板や包丁などの調理道具を新しくするのも同じような理屈だな新たに神様を迎えるために清潔なまな板を買い求めるわけだ。


「あ、綺麗な羽子板でやんすな」


 桃香が羽子板を見てそういうのを聞いて俺もいう。


「ふむ、見世同士で羽子板の対抗戦をやるのも面白いかもしれないな。

 いくつか買っておくか。

 桃香はどれがいいんだ?」


「わっちが選んでいんでやんすか?」


「ああ、いいぞ」


「じゃあ、わっちはあれがいいでやんす」


 桃香が選んだのは割とシンプルな板だった。


「よし、じゃあ、親父これとあれとそれをくれ」


 俺は羽子板を幾つか買い求めた。


「へい、ありがとうごぜえやす」


 当然吉原もこの日は賑わう。


 ちなみに羽子板は女性の正月遊びとしての羽根つきに実用されたほか、魔除け・厄除けとして飾り物としても重宝されているんだな。


 その他にも新しい神棚、注連縄、しめ飾りなど必要なものを買って、俺達は見世に戻り、門松などとともに年神様を迎える準備を進めていくのだ。


「ああ、わっちも歳の市に行きたかったでありんすよ」


「ほんまですわぁ」


「……わたしも行きたかった」


 藤乃や桜、桔梗などに恨みがましくいわれて、俺が彼女たちを引き連れて、翌日もう一度歳の市に向かったのは言うまでもない。


 まあ、去年までを考えれば遊女が自由に吉原の大門を出入りし、寺社の祭りや市に参加できるようになったのは大きいと思うぜ。


「まあ、だいぶ環境は良くなってきたよな、吉原はだけども」


 遊女が自由に買い物をできる様にしてやるのも大事だよな。


 金銭感覚は大事だからな。

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