鶏卵を見世などの献立に本格的に加えるようにしようかね、桜にも卵料理を覚えてもらおうか

 さて、秋の紅葉狩りも終わると日常が戻ってくる。


 春や夏、初秋に比べると晩秋から冬にかけては行事はぐっと少なくなるのだ。


「そろそろ鶏卵を各見世や切見世の食堂、万国食堂の献立に本格的に加えるとするかね」


 鶏卵と言えば21世紀では物価の優等生と言われ日本人はほぼ1日一個を食べている計算になるそうだが、鶏卵が広く食べられるようになったのは江戸時代くらいからで、その前までは鶏卵を食べると殺生をしたことと同じで罰が当たると信じられていたらしい。


 鶏が家畜化されたのは、9000年ほど前の東南アジアでその元になった野生種はセキショクヤケイと呼ばれる、飛べないもしくは飛ぶのが得意でないキジ科の野鶏であるらしい。


 最初は肉や卵を食べるのではなく朝に鳴くことで時を告げる能力が珍重されていて、それは弥生時代に中国もしくは朝鮮半島から日本へ渡来した後も同じだったようだ。


 これはアマテラスの天の岩戸の話の中に鶏が時告げ鳥として出てくることからもわかるな。


 まあ、中国では普通に食べられていたようだが。


 その後日本では天武天皇や聖武天皇により肉食禁止令が出され、牛・馬・犬・猿・鶏と鶏卵を食べることが禁じられた。


 これはこの時代の日本において強い勢力を持った渡来人への弱体化策という説もあるが、聖武天皇は本気で仏教を信じ殺生を戒めようとした可能性も高い。


 まあ、牛馬に関しては畑作や荷運びに必要な家畜であるという正当な理由も在るので明治時代まで積極的に食べる風習はおこらなかったし、平安貴族は鳥の卵を食べると祟りが起きると真面目に信じていたようだ。


 その後、室町時代ぐらいになると武家が主流になっても名目上は鶏を食べることはあまりなかったが武士の間では卵は貴重な薬として食べられるようになったようだ。


 最も”雉肉”であるという名目で鶏肉を食べることは結構有ったようだがな。


 江戸時代になると無精卵が孵化しない事が広く知られるようになり、鶏卵を食しても殺生にはあたらないとして、ようやく食用とされるようになり、採卵用として養鶏が盛んになった。


 その前に戦国時代に日本へやってきた南蛮人が卵を使った料理を作って食べていてもなんともないというのも理由の1つのようでは在るのだがな。


 そしてチャボ、烏骨鶏のような品種が輸入されて入ってきたのも江戸時代からだな。


 江戸時代には棒手振のたまご売りは、生たまごやゆでたまごを売り歩くようになるのだがゆでたまごは一個二十文(おおよそ500円)ほどして、かけそば一杯や湯屋の入浴料よりも高いが、卵は食材というより薬と考えられていた。


 なんでそんなに高いのかというと21世紀の品種改良された鶏と違って江戸時代の鶏はそんなに卵を産まなかったからだな。


 5日に1個ぐらい産めばいいほうだし、夏や冬には卵を産まない。


 卵を温めている間も卵を産まない。


 なのでこの時代に鶏卵というのは貴重で高価なものでもあったのだが、鶏卵が薬とされる理由は鶏卵が完全栄養食であって、良質なたんぱく質や脂質、各種のミネラルやビタミンなど人間が必要とする栄養をほぼ全て含んでいるからだな。


 特に鉄分やカルシウムの多さは肉などよりもずっと上だったりするし、免疫力をアップさせる必須アミノ酸や細胞の再構成に関係するらしいレシチンなども含まれている。


 コレステロールが多すぎというのも実は問題はなかったりする。


 まあ、鶏卵にはビタミンCや食物繊維は含まれていないので鶏卵だけでは生きていけないんだけど。


「というわけで、見世の献立や切見世用の食堂、万国食堂なんかでも卵を使った献立を増やそうと思うんだがどうだろう?」


 俺は妙に聞いて見る。


「はい、とてもいいと思いますよ。

 そうすれば皆さんもより健康になれるのでしょうし」


「じゃあ、さっそく養鶏をしてる農家と契約を結ぶか」


 俺は浅草近郊の養鶏をしている農家と契約を結んで鶏卵を優先して卸してもらうようにした。


「へえ、こちらとしてもまとめて引き取ってもらえれば助かりますわ」


「ああ、じゃあこれからよろしく頼むな」


 合鴨のように田んぼを使った農業の役に立つというわけではないが鶏はさほど広い場所を飼育するのに必要としないのはいいよな。


 そして俺は桜に日本の卵料理の代表の1つを教えようとしていた


「というわけで、桜にはぜひ茶碗蒸しの作り方を覚えてほしい」


「茶碗蒸し、ですの?」


 俺は頷く。


「出来れば5日に1回位は卵を食うようにした方がいいと思うが月に1回位でもいい。

 とりあえず一番簡単なのはゆで卵なんだが、ちょっと手間を掛けて出してやれば旦那も喜ぶだろ」


「それはいいでんな」


 海老・銀杏・百合根などの定番の具を用意し、ダシとして昆布と鰹節を用意する。


 鰹節と昆布のだしを取ったら、煮沸消毒したサラシで漉して、そこに塩、たまり醤油、みりん、酒を加えて混ぜ溶かし、布をかけてしばらく放置して、出汁が十分に冷めたら、よく溶いた卵へだし汁を入れてまんべんなく混ぜ合わせる。


 茶碗蒸しの黄金比率はたまご1個に対しだし汁の割合が1:3~1:4。


 ちなみに海老・銀杏・百合根・鶏卵はそれぞれ薬効があるんだぜ。


 出汁と溶き卵が均一に混ざったのを確認したら、再び煮沸消毒したサラシで漉し、茶碗蒸し用の器に下ごしらえしておいた海老・銀杏・百合根を入れ、そこにダシとまぜた溶き卵を泡を立てぬよう静かにそろそろ流し込み、表面に泡が出来た場合は爪楊枝で全てつぶす。


「こうしないとスができるからな」


「そうなんどすか」


 で器ににフタをして、沸騰済みの蒸し器へ入れて、最初は強火で2~3分蒸し、表面が固まり始めたら弱火で10分ほど蒸していく。


 蒸し上がれば出来上がりだ。


「まあこんな感じだな、ちょっと食ってみてくれ」


 漆の匙で茶碗蒸しを救って口にする桜。


「ああ、ふわふわでうまいですわ」


「まあ、具を入れずに砂糖を入れればプリンだが冬場は茶碗蒸しにした方がいいと思うぜ」


 桜はコクリと頷く。


「あい、わっちもやってみんすよ」


「おう頑張って作ってみてくれ」


 桜は悪戦苦闘しながらも茶碗蒸しを作り上げた。


「じゃあちょっと食べてみようか、うん、うまいと思うぜ」


 桜が疑いの眼差しで俺を見てくる。


「ああ、いやいや、ほんとに十分うまいと思うぜ」


 茶碗蒸しが失敗する理由は色々あるが、レシピをきちんと守ればそこまで失敗はしない。


 桜は格子太夫になれたくらいだから物覚えも良いし性格も割合素直だ。


 だから桜はいい嫁さんになれるんじゃないのかね。

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