桜の花嫁修業
ある日のこと三河屋の若旦那の戒斗坊ちゃんが私の部屋にやってきて私に告げたのです。
「桜、邪魔するぜ。
お前さんもそろそろ本格的に花嫁授業が必要だろうから今日からは昼見世に移って昼に予約が入ったとき以外は裁縫や料理、洗濯、買い物なんかの花嫁授業に専念していいぜ。
まずはうちの下女たちに色々教わるといいんじゃねえか」
こういう若旦那の心配りは嬉しいねぇ。
「ああ念の為に言っておくが禿への芸事を教えたり、遊女手習いをしたり仕事の予約が入ったらそれはちゃんとやってくれな」
私はうなずきました。
「はい、わかってやんすよ」
とは言え今時は昼に来る客はそれほどいません。
ですから実際には花嫁修業にほとんど専念できるようなものではあります。
禿へ芸事を教えたり、遊女手習いの師匠をするのは見世にそのままいる以上は部屋代、食事代、衣装代、炭代などを払うのに当然でありますね。
本来であれば炊事、洗濯、裁縫、買い物といったことは家で母と一緒にいることによって実際に行う作業を見ながら少しずつ自分も手伝うことで覚えていくものではありますが、禿になれるほど若いうちに売られた私にはそういった記憶はほんの少ししかありません。
でも少しだけ覚えていることはあります。
私の一家は家具職人である父と母、兄が一人に私というごく普通の家庭でした。
家具職人と言うのは箪笥や長持などを作る職人ですが、それなりに儲けのある仕事です。
家具を持って江戸にやって来る人は少ないですからね。
そして母が家のことは全てやっていたのです。
炊事、洗濯、裁縫、買い物、掃除などのすべてをやっていた母。
ですが父が病に倒れ働けなるととたんに生活は苦しくなったのです。
そして私は吉原に売られました、風で聞いた話では私を売ったお金で薬を買うことで、父の病も癒えて、また働けるようになったということですので今頃は兄が後をついで家具職人となって父は楽隠居をしているくらいでしょうか?。
仮に身請けなどの話がなく、父などの家族のもとに戻りたいとおもってももう私の居場所はないでしょう。
女は嫁に行くのが普通ですからね。
今から家事を一通り覚えるのは大変ですが、下女を雇う余裕などは当面ないでしょう。
私が家事の変わりに覚えたのは読み書き算盤に三味線や長唄、源氏物語などですがその殆どは今後はたいして役に立たないでしょう。
なら家事を頑張って覚えるしかありません。
そして今は洗濯するために糸をほどいた衣服を仕立て直したところなのですが……。
衣服を見た下女が苦笑いしながら言いました。
「うーん、桜太夫。
服はもう少し丁寧に縫い合わせないと駄目ですね」
はい、ダメ出しが出てしまいました。
たしかにこれを来て表に出たりお客さんの相手をするには見栄えが悪いですね。
「うーん、そうですよね……」
きれいに見えるように衣服を縫い合わせるというのは意外と大変です。
「おっかさんも大変だったんだねぇ」
思い起こせば暑くなったときに衣を単に縫い直したり、擦り切れたとことに布を当ててそれをなるべくわからないように縫ったりなど、家族全員の分の衣服のすべてを母は全て一人でやっていたのでした。
当然それは炊事、掃除、洗濯などとは別にやっていたのですからね。
「わたしも頑張って人前に出ても恥ずかしくない衣服を縫い直せるようにならないとね」
炊事も今までやったことがないので大変です。
「米を洗う時はたっぷりの水で手早く!
そうしないと匂いが米に入っちゃいますよ」
飯炊き女にそう言われて私は慌てて米を研ぎます。
「う~冷たい」
大きめの桶に水を張り、米を入れて、素早く2~3回かき回したら、さっと水を捨てる。
米を先に入れず水のなかに米を入れることで、米についている表面のチリやホコリが取れるのだそうです。
もう一度水をたっぷり入れて、再び素早く5~6回かき回し水をさっと捨てる。
これを繰り返すと水を入れても水が濁らなくなってくる。
両手で米をすくい上げて、手のひらですり合わせるようにもみ洗いをして水を流します。
こうして米の表面に傷をつけると、水をよく吸うようになって、柔らかく炊き上がるそうですね。
そうしたら蓋をしてそのまま3刻(6時間)ほどおいて米に水を吸わせる。
そしてお釜に米を移し水をいれます。
玄米の場合水は多めの1.5倍位なのですが、お米の古さや気温などによっても少し違うそうです。
「なのでまあ、最後は勘ですよね」
これは何度も試してみて覚えるしか無いですね。
ここで塩と油を少し加えるとより美味しく炊き上がるそうです。
そして火にかけるのですが”始めチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、赤子泣くとも蓋とるな、最後にワラを一握りパッと燃え立ちゃ出来上がり”というのが大切なのだそうです。
始めチョロチョロは、最初っから強火にすると釜の底の一部分だけ先に熱が加わってしまい釜の上のほうがちゃんと炊けないので最初は釜全体を温めるために中火で炊きはじめ中パッパは強火でしっかり沸騰させる必要があるということですね。
ジュウジュウ吹いたらは水がなくなったらまた中火もどして底の焦げを押さえないといけない、赤子泣くともはその状態で蓋を取ってしまうと、蒸気が逃げた上に冷めてしまうので、絶対に駄目。
最後のワラは釜のなかに残った余分な水分をもう一度加熱して飛ばすのに必要なのだそうです。
そして火からおろしたら蒸らしを行い蒸らしが終わり、完全に炊き上がったら上と下を混ぜ合わせることで、ごはんは初めて全体にふっくらするのです。
そうしてようやく炊きあがったので食べてもらいました。
「どうかな?」
「水が少ないせいで芯ができてますね。
これじゃお客様には出せませんよ。
まあ、楼主様はうまいうまいと食べてますけど」
「ううー、若旦那は味音痴だからだいたいのものは美味しいって食べるんでしょ」
「まあ、そうですね」
飯炊き女のように美味しいお米をたける様になるにはまだまだ時間がかかりそうです。
「いい奥さんへの道は遠いですねぇ」
下女はそんな私を生暖かい目で見ています。
「まあ、はじめはしょうがないですよ。
頑張って幸せになってください」
「うん、そうよね、頑張るしか無いのだもの」
家事の練習ができるだけ私はだいぶ良かったと考えましょう。
まだ時間はあるのですから。
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