この世に悪の栄えた試しなし
さて、札差の越後屋等の情報収集に関しては真田の殿様の配下の忍びの皆さんに頼み、清兵衛の身の安全に関しては佐々木累に用心棒を頼んである。
「まあ、とりあえず越後屋に断りを入れるとするか」
越後屋が与力を伴ってまたやってきた時、俺は越後屋に告げた。
「身請けの話だが、申し訳ないが断らせてもらうことになった」
越後屋はやれやれと言った風に左右に首を振った後言った。
「まさか1000両では足らぬというわけではないでしょう」
俺は頷く。
「ああ、そもそも年期明け間際の桜に1000両という金額はむしろ高すぎると思うぐらいだが
桜にはもう先約が入っていてね。
俺はそっちを優先させてやりたいし桜もそう思ってる。
なんでここは引いていただきたい」
当然越後屋や与力は面白くなさそうな表情だ。
「その方は私より高い金額で桜太夫を引き取ろうとされてるので?」
俺は首を横に振る。
「いや、そうじゃねえが、めぐり合わせが悪かったと思ってもらいてえ」
越後屋は風とため息を1つついてから言った。
「いやいや、誠に残念です。
まさか、吉原惣名主ともあろう方がこれほど愚かとは思っておりませんでしたよ」
俺はその言葉に肩をすくめる。
「まあ、1000両の儲け話をわざわざ投げ捨てる俺がおろかとか馬鹿と言われてもまあ仕方ねえが世の中カネが全てじゃねえと俺は思うんだよ」
越後屋はフッとせせら笑うように言った。
「いえいえ、世の中は金と権力が全てですよ。
あなたもそう思うからこそ色々なさったのでしょう?
そしてその地位を手に入れた、違いますか?」
「あんたの言うことも間違っちゃいねえ。
大勢の人間にたいして影響を持つにはたしかに金と権力は必要だ。
だが、すべての人間がそれを望んでるわけじゃねえ」
「まあ、いいでしょう。
桜太夫の身請け話はなかったことになりますがきっと後悔すると思いますよ」
結局越後屋と俺の話は物別れに終わった。
・・・
しばらくして真田の殿様から越後屋についての話があった。
しかも、水戸の若様や紀伊の殿様なんかも一緒にきている。
真田の殿様が重々しく告げた。
「うむ、越後屋だが、困窮した禄の少ない武士の娘を返せない借金のかたの代わりと口入れ屋を通して名目上妾とさせその娘達を与力などに抱かせることで便宜を図っておるようだ」
水戸の若様が続ける。
「ふむ、それが真なら札差ごときが武家の娘を借金のかたと好き勝手に弄んでおるということになるのですが真ですかな」
真田の殿様が頷く。
「ええ、間違いありません。
札差から金を借りて首が回らなくなっております武士も今では少なくないようです」
水戸の若様が言う。
「これは掃除が必要なようだな」
紀伊の殿様も言う。
「ええ、大掃除が必要ですな」
まあ、俺も越後屋とやってる事自体はたいして変わらねえが、こっちはちゃんと許可を受けてやってるしな、貧乏武家の女を借金のカタにと無理やり妾として手元においておいてそれを与力共に抱かせることで商売などの便宜を図るってのはちょっとばかしやりすぎだと思うぜ。
・・・・
一方、そのころ、米屋の丁稚に清兵衛は使いを頼まれ、精白した米をお得意さんに納入した帰りだった。
日が落ちて暗くなり人の往来も少なくなってきたところで、人相の悪い男が清兵衛の行く手を阻んだ。
「おっと、お前さんが米屋の清兵衛だな」
「あ、あなた達はいったい?」
「ああ、悪いがあんたは偉い人の不興を買っちまってな。
悪いがここで死んでもらうぜ」
「そ、そんな覚えは……」
「うるせえ、死ね」
人相の悪い男が長ドスを抜こうとしたところで、その男の足元に苦無(クナイ)が突き刺さった。
そして上の方から声がかけられる。
その人物は全身真っ白の装束に白い覆面をしていた。
「待てい!」
人相の悪い男たちはその声の方を見上げた。
満月に映る人影は言葉を続ける。
「金をもって絆を壊さんとするものよ。
権力で欲をみたさんとするものよ。
その行いは醜いものとしれ!
人其れを外道という」
人相の悪い男の一人が声を荒げた。
「何者だ貴様!」
「悪党に名乗る名など無い!」
そして屋根の上の人物は懐から苦無(クナイ)を次々と取り出し、其れを投げつけて人相の悪い男たちを倒していく。
「ぎゅあ!」
「ぐあっ!」
「く、くそ!高いところから一方的に攻撃するなど卑怯だぞ!」
「ふはははははは、大勢で罪もないものを殺そうとしたものに言われる筋はない!」
やがて、清兵衛を襲おうとした男たちはほうほうの体で逃げ出した。
清兵衛は生命を救ってもらった相手に頭を下げた後にきいた。
「あ、有難うございました。
よろしければお名前だけでも教えていただけませんか」
うむと頷く白覆面。
「私はこの世の闇を照らす月の光。
その名を月光頭巾!
さらばだ! とうっ!」
月光頭巾は屋根の上を跳躍してその場を離れていった。
「月光頭巾、一体何者なんだ」
呆然として清兵衛は呟いた。
そしてその場から離れた月光頭巾は息苦しい覆面を取った。
「やれやれ、まあこれなら身元もバレないで済むでしょうかね」
佐々木累はそういって一息ついた。
・・・・
一方その頃、札差越後屋の妾宅でも大捕り物が行われていた。
目付けと奉行が配下の者を率いてそこに踏み込んだ時、与力たちは一人の貧乏武家の娘を代わる代わる慰みものにしている最中であったそうだ。
その結果として越後屋は磔となり、その場に居た与力たちは切腹となったそうだ。
「この世に悪の栄えた試しなしってな。
まあ、越後屋あんたは運も悪かったよ」
もう少し時代が下れば追放刑くらいですんだはずだが、今の時代はまだ罪に対しての罰は結構重い。
夜間経営が禁止された後、湯屋の湯女に客をとられた吉原の遊女屋が暇になった遊女達を密かに湯女風呂へ派遣したことがバレた時は、派遣を行った楼主十一人が吉原の大門の側で磔にされたこともあるくらいだ。
まあ、普通であれば1000両の身請け金を提示されてその話を断る事自体あり得なかっただろうからな。
そして、話が解決したおりに俺はまた三河屋に来てくれた真田の殿様たちに礼を言った。
「今回のことはほんとうにありがとうございました。
これで桜達も幸せになれると思います」
真田の殿様は大きく頷く。
「うむ、結果としては現状におけるいろいろな問題もわかった。
その改善を上様に奏上するつもりだ」
俺は真田の殿様に
「はい、現状の町与力が50名、同心が200名では30万にならんとする町人に対してはその数が少なすぎるとおもいます。
そしてその人数が持つ権限に比べれば彼らの俸禄が低いのではないかと考えます。
そうであればこそ越後屋のような輩も出てくるのでしょう。
どうかそのあたりご考慮いただければ」
真田の殿様が頷く。
「うむ、与力や同心の禄の見直しや禄の低い武家や浪人を同心の下の町内の巡回員として正規雇用するべきであろうな。
そして札差の行っておる米からの換金も武家が行うべきであろう。
給金がもともと金であれば札差の出る幕もなくなるであろう」
「はい、わたしもそう思います」
支配者側である武家の娘が商人である越後屋に弄ばれていたというのは、やはり江戸幕府としても問題であると考えられたのだろう。
まあ後は俺の出る幕じゃないし、現状の上様であれば理解はしてくれるんじゃないかなと思う。
最も人を増やすとなれば新しく財源も必要になってくるかもしれないけど、今まで与力や同心、目明かしなんかに各自が個人的に付け届けとしていた分を税金として一度幕府に納めさせるようにした方がいい気はするんだよな。
それとは別に、遊女がその家事能力に低さや浮世離れした金銭感覚が故に、離縁されて家を追い出されて結局吉原に戻ってこざるを得ない状況になったりするのを防止するために、年季明けが近い遊女には”花嫁修業”をさせる施設も必要だろうな。
最低限普通の嫁がやる炊事、洗濯、縫い物、買い物などの家事や常識的な金銭感覚を身に着けさせないとせっかく身請けされたのにこんなはずじゃなかったとなるケースをなるべく減らしたいしな。
「というわけで、花嫁修業頑張れよ」
俺は桜に笑っていった。
「あい、わっち頑張りんすよ」
桜も幸せそうに笑った。
岩の方も順調に小さくなってきてるだろう。
半年後には無事に吉原を出られることを願うぜ。
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