吉原惣名主付き秘書・高坂伊右衛門の一日

 私は高坂伊右衛門こうさかいうえもん


 元は武蔵国高坂藩にて勘定方をしておりました下級武士であります。


 元の藩主は水野十郎左衛門らと徒党を組み、乱暴旗本の旗本奴として有名な加賀爪直澄様でありました。


 江戸の町で「夜更けに通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か」と恐れられたですが、つい最近その行状により目付けに捕縛されて切腹、改易となったのであります。


 そして、勘定方は藩の年貢や金銭の出納を担当しますので、仕事はそれなりにありますが、戦のない時代であればそこまで忙しいということもなかったのです。


 しかし、改易により失職し浪人となった私に再雇用の先はなかなかなかったのでした。


 なにせこの時代の浪人は50万人にもならんという数です。


 平和な時代となり、改易された藩も多く再仕官の道は非常に限られるようになっていたのですから、武士身分を捨てて商人や町人や百姓、虚無僧になる者もいたのですが、大部分は私のように浪人のまま困窮の中で暮らしております。


 無論、剣術、槍術、弓術など優れた技量をもつ浪人は武芸者として道場に入門しそこで武芸の腕を磨き代稽古、出稽古で生計を立て、師範代になり道場経営を覚え、独立する者も居ないわけではないですし、そこそこ腕が立てば商店や村の用心棒という生き方もあります。


 しかし江戸の街に出れば仕官先が見つかるのではないかと江戸に出てみたものの、なかなか見つからずに居たし、私は剣の腕はからきしだったから、武芸者や用心棒などは無理だったのです。


 結局、私は乞胸として日銭を稼ぐために、源平合戦や太平記などの軍記ものの講釈をしてなんとか食いつないだのでした、そして妻は往来に立ち春を売ったのです、そうしなければ食っていくのも難しい状態でありました。


 この頃の浅草には元は浪人であった長嶋礒右衛門という芸をして暮らしていたものが胸頭になり、非人頭である車善七の支配下に入る取り決めがなされ、乞胸をおこなうものに鑑札を渡し、18文ずつ毎月徴収するようになっていたのです。


 そして、鑑札を持つものは 乞胸の仕事をしている間だけ車善七の配下の非人扱いということになるのです。


 そして通常時の身分は町人とされ、この鑑札を持たなければ乞胸の仕事はできず、鑑札を持っている時には非人の支配を受け、月の上納金を上納するというおかしな二重の身分になっていたのです。


 ふだん暮らしているときは、住居は非人街でなくて良い、また身分としては町人になる、また仕事をしているとき以外は、ふつうに刀を差していても咎められない。


 幕府も浪人が増えすぎて苦慮しているのかもしれ無いのですな。


 そんな風にしてなんとか生活していたときに車善七を通じて声をかけてくれたのが吉原惣名主の三河屋の戒斗さんでした。


 俸禄は月三両に加えて吉原内の住居を無料でつかえるという条件。


 早速、会いに行き運良く私は惣名主付き書類担当秘書として採用されたのでした。


 妻も最初は切見世で働いて、三河屋が持っている劇場で人形劇などの講釈師をしていたようですが、今はその必要もなくなったので、妻には今は私の秘書の仕事を手伝ってもらっています。


「しかし、ここまで忙しいとは思ってませんでしたね」


 武士のころは、勤務は一勤一休で勤務は朝四つ(10:00)から九つ半(13:00)の昼すぎまでで終わり、仕事が終ったら、あとはのんびり過ごしていればよかったのでした。


 それでも私は忙しい方だったのですが。


 武士の中には城の警護番などで月に何日しか仕事が無いものも居たくらいですよ。


 しかし、今は決まった休みはないし、勤務も朝から夕までです。


 だが、金と住む場所に困らぬのはありがたいし給金もずっと高いのはありがたいですね。


 現在の私の仕事は吉原の中に住んでいる者全て、つまり遊郭の楼主などの経営者とその家族、そこで働く遊女やその見習い、下女、若い衆を含めた遊郭の人間や吉原内の湯屋、飲食店、畳屋、花屋などの商店の住人全ての人別改帳を作らせ不備がないか確認しなければならないが、今の吉原の総人口は数はおおよそ3000人ほど。


 そのうち家主が100人ほど、現役遊女が1000人ほど、禿が500人ほど、下女や若い衆500人ほど、残りが遊郭以外のその他の店の関係者だ。


「ともかく、急いでやらねばな」


 とは言え基本的な一日の過ごし方はそんなに大変なわけではない。


 まず明け六つ(6:00)に起床し、口をすすぎ、顔を洗い手水を使う。


 妻はすでに起きていて朝食の支度をしている。


 六つ半(7:00)には妻と一緒に朝食を取り、それがおわったら朝五つ(8:00)から昼九つ(12:00)まで仕事をし昼九つは昼食、九つ半(13:00)に仕事を再開し暮れ六つ(18:00)までは仕事です。


 一刻(2時間)ほど働いて途中で疲れたら適当に休憩を入れますけどね。


 その途中に三河屋の戒斗さんがやってくることも在る。


「おまえさん仕事の方は進んでるかい?」


「まあ、それなりに」


「そうかい、そうしたら次は各見世の料金と時間の取り決めを行ってそれを通達するつもりだからその準備もしておいてくれ」


「はあ、承知いたしました」


 どうやらまた書類仕事が増えるようですね、紙の山がまた高くなりそうです。 


 暮れ六つ(18:00)には仕事を終え湯屋に行って垢を落としたり、美人楼で体をもんでもらったりして軽く疲れを癒やし六つ半(19:00)に夕食を取り夜五つ(20:00)には寝ます。


 休みがもらえたら、その日はゆっくり妻と一緒に芝居見物や大川で釣りをしたりして暇をつぶすことも在ります。


 こうして私の平凡な一日は過ぎてゆくのです。

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