遊女の一日 引き込み禿桃香の場合

 わっちは三河屋の引き込み禿の桃香でありんす。


 今は太夫の藤乃様付きなので朝起きるのは朝四ツの巳の刻(おおよそ朝10時)です。


 まずは寝ていた布団を畳んで押入れに上げ、藤乃様のところへ向かいます。


「藤乃様おはようございます」


「ああ、おはよう」


 そして内湯で藤乃様や同じく藤乃様付き禿とお風呂に入ります。


 藤乃様はこのお店で一番凄い遊女なので一番風呂に入れるので一緒に入れるのです。


「やっぱ一番風呂はいいでありんすな、藤乃様」


 そういう私に頷く藤乃様。


「ああ、そうやすなあ。

 一番風呂はほんにええもんでやんすな」


 私たちは浴槽のお湯を湯おけでお湯をかぶって内湯に入っていきます。


 藤乃様が体を洗い始めたら、日毎の持ち回り当番で藤乃様のお背中を流します。


「藤乃様、お背中お流ししんす」


「ああ、頼むよ」


 私は藤乃様のすべすべの背中を液体しゃぼんをつけた手ぬぐいで洗い、洗えたら流しまた一緒にお湯に入ります。


「ふう、いいお湯でありんすな」


 そういう藤乃様にうなずきます。


「はい、なんかお湯がスースーして暖かいのに涼しいでやんすね」


「なんか坊っちゃんがハッカの油を入れてくれてるらしいねえ」


「戒斗様が?さすがでやんすなぁ」


 戒斗様は色々知ってるすごい人だし、私の命の恩人でも在る。


 どうにかして恩返しがしたいけど、いまの私に返せるものは何もない。


 だから、今は自分にできることを頑張る。


 そうすれば私も褒められるし、私を拾ってくれた戒斗様の評判も上がるはずだから。


 皆で風呂をあがると、私は藤乃様に湯上がりの茶を差し出し、他のものが扇で仰ぎながら、藤乃様の服の着付けを手伝う。


 藤乃様は先に自室に戻り、私は台所に向かう。


「藤乃様の膳をお願いします」


「あい、ちょっとまっててな」


 そして膳を渡されたらそれをもって藤乃様の私室に持っていく。


「藤乃様、失礼しんす、膳をお持ちしました」


 藤乃様が前を見てニコリと笑った。


「ああ、あんがとね。

 最近はどんどん飯も随分良くなってて嬉しいわ」


 私もその言葉に頷く。


「はい、そうでありんすね」


 私は膳をおいたら、一度藤乃様の部屋を出て、一階の広間に降りる。


「今日も美味しそうでやんすな」


 今日の献立はシジミとワカメと豆腐の味噌汁、麦と稗と玄米のご飯、焼き鰯、青菜のおひたし、それに納豆。


 おっかといっしょに米が食えればましだった頃を考えればすごくありがたい。


「ではいただきんす」


 まずは焼き鰯を頭から口にする。


「ん、美味しいでやんすな」


 次に味噌汁。


「んー、これも美味しい」


 食事を取り終わったら、藤乃様の私室に向かい、空いた膳を下げて台所に向かいます。


「藤乃様の膳です、片付けお願いします」


「あいよー」


 それから髪を結い、化粧を施し、歯を磨き、藤乃様と一緒に揚屋へ向かう太夫行列の準備をみんなでする、時間が空いたら部屋の箪笥の金具や鏡を磨く。


 そこへ戒斗様がやってきました。


「藤乃、今日のお前さんの指名相手は、加賀藩の第4代藩主で加賀前田家5代の松平綱紀(まつだいらつなのり)公だ。

 なんせ諸大名で最大の102万5千石を領し、極官も従三位参議のお大尽様だからな。

 よろしく頼むぞ」


 藤乃様はいつもどおり淡々と頷く。


「あい、わかりんした」


 そして戒斗様が言う。


「ああ、それからいつもの通り客が頼んだ食べ物は藤乃以外は食べてもいいぞ、というか勿体無いからなるべく食べてくれ。

 まあ、あまったら犬にやるけどな」


 その言葉に私達禿は喜ぶ。


「わーい」


「ありがとうございます戒斗様」


 そして戒斗さまが付け加える


「なんどもいうが太るほど食うなよ」


「あーい」


 私は藤乃様の煙草盆を手に下げて藤乃様の前を静々と歩いて揚屋に向かうのです。


 やがて揚屋についた私達は下駄を脱ぎ藤乃様に付き従って2階の座敷へ向かいます。


「三河屋揚屋、三河戒斗抱え、藤乃太夫、はいりんすえ」


 藤乃様がすっと障子を開け座敷に入るのに続いて私達も部屋に入ります。


 私たちはおまけでもありますし、こういった席に同席するのは私達禿の接客の勉強のためでもあります。


「おお、太夫がやっと来たか」


 流石にお大尽様、卓上の台のものには鯛も在るしすごい豪勢です。


 だけど美味しそうな食べ物に釣られてる場合ではありません。


 私は藤乃様と大名様のやり取りを見て学ばなければいけないのですから。


 彼はパンパンと手をを叩くと言います。


「うむ、最上の酒と台のものをどんどん持ってこさせよ。

 そして存分に食べるがいい」


 更に運ばれてくる台のもの。


 藤乃様は箸をつけませんが、新造や禿は嬉しそうに食べています。


「うー、少しくらいならいいでやんすよね」


 私も台のものに手を付ける。


 そして藤乃様が、煙草を一服まわし部屋から出ていく。


 どうやら藤乃様のお目にかかったみたいです。


 申の刻(午後4時くらい)になれば「昼見世」の時間は終わり、お大名様は帰ってゆかれます。

 帰りはのんびりみんなで普通に歩いて帰ります。


 藤乃様が万国食堂でご飯を食べているあいだに、私たち禿はもふもふ茶屋でウサギさんを心ゆくまでもふもふしたり、ぴょんぴょん跳ね回るウサギさんを追いかけたりします。



「さて、戒斗様のところにいきやしょう」


 置屋へ戻ったら、私は戒斗様の私室へ向かいます。


「戒斗様、失礼します」


「おう、桃香、待ってたぞ」


 戒斗様やその母上の内儀様と私達遊女の部屋は別れています。


 楼主様や内儀様のお部屋に入れるのは”引き込み”と呼ばれるものだけなのです。


「所で、今日の大名様はどんな感じだった」


「あい、わっちら禿にも優しくしていただきました」


 それを聞いて戒斗様が嬉しそうに頷く。


「そうか、なら心配はなさそうだな」


「どういうことでやんすか?」


「ああ、太夫遊びっていうのは太夫本人だけでなく、一緒にいる新造や禿や芸者連中も含めてだからな。

 それがわからないんじゃいくら金を持ってても、ダメだってことさ」


「なるほど、そうでありんすな」


 それから戒斗様は黒板と白墨を取り出しました。


「じゃあ今日はひふみうただ。

 まずは一通り言ってみようか」


「あい」


 私は思い出しながら一言ずつ言っていきます。


「ひ ふ み よ い む な や

 こ と も ち ろ ら ね

 し き る ゆ ゐ つ わ ぬ

 そ を た は く め か

 う お え に さ り へ て

 の ま す あ せ ゑ ほ れ け ん」


「うむ、いい感じだな。

 では次に黒板に白墨で漢字で書いてみろ」


「あい、わかりんした」



 ”一 二 三 四 五 六 七 八

 九 十 百 千 万 億 兆

 京 核 柿 穣 溝 潤 正 載

 極 尾 多 波 久 米 加

 宇 大 江 爾 佐 里 戸 底

 能 円 主 現 世 恵 保 連 消 天”


「はい、できんした」


「うむ、できたな、偉いぞ桃香」


 そういって戒斗様は私の頭をなでてくださいました。


 笑顔の快斗様に頭を撫でられるのは私にとって何よりのご褒美です。


「さて、そろそろ子供は寝る時間だな」


「あ、今日もありがとうございました」


 そして夜四ツの亥の刻(午後10時)にもなれば私達禿は寝る時間になります。


 広間の押し入れから布団をおろしてしき、そこに横になります。


「さて、おやすみなさい」


 こうして私の一日が終わるのです。

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