伊豆大島への出島の移転と朝鮮通信使の廃止・養育院と養生院の設立許可

 さて、今日も藤乃の所に水戸の若様や紀伊、尾張の殿様、館林の松平綱吉たちが来ている。


 そして俺はまた藤乃付きの禿の桃香に呼ばれて揚屋に向かっている。


「幕府の偉い方々が、戒斗様とお話しがしたいそうでありんすよ」


「おう、わかった今行くぜ」


 とりあえず、俺達は揚屋の藤乃が持ってる部屋へ向かい、座敷に上がることにする。


「三河屋楼主戒斗、失礼致します」


 すっと障子を開けて中を見る。


 まずはグラタン皿のグラタンを食べている水戸の若様。


「うむ、楼主よ来たか。

 このジャガイモと小松菜のグラタンとやらは美味いのう。

 やはりお前さんは毎回色々驚かせてくれるわい」


 そして雉の照り焼きピザを食べてる尾張の殿様


「このぴっつぁとやらもなかなかに美味だぞ」


 紀伊の殿様もサツマイモの天ぷらやコロッケをうまそうに食べている。


「うむ、この水戸芋は甘くて良いな。

 ホクホクのフカフカだ」


 松平綱吉もタルタルソースのエビフライをうまそうに食べている。


「うむ、この伊勢海老の南蛮揚げもなかなかであるな」


 ちなみにエビフライは日本人が日本人の味覚に合わせて作った洋食であって、西洋の料理そのものにはなかったりする、パン粉も西洋のものは日本のものに比べると本当に粉だしな。


 中国料理が中華料理になったり、インドのスパイスを多用した煮込み料理のサーグ、サンバール、コルマ、ダールなどの料理をカレーと名付けたりするのと同じだな。


 そして徳川光圀はニンマリと笑う。


「で、良い話がいくつか在る。

 神君大権現様がやっておられたように外国船に対処できる南蛮船の海外技術を導入した海軍艦隊の創設と港湾整備を行うことにした。

 そしてまずは我が水戸藩は蝦夷と、紀伊藩は琉球と直接交易を開始することに決まった」


 徳川頼宣がそれに続ける。


「琉球の琉球芋やサトウキビなどを交易で手に入れるのは今後の我が藩にとっても重要であろうからな」


 俺は両人に頭を下げた。


「ご理解いただきありがとうございます」


 徳川光圀はニンマリ笑う。


「なに昆布や帆立、鮭を優先的に手に入れられれば美味いものがより食えるようになるしのう」


 昆布はこの時代出汁をるために非常に珍重されていてそれを押さえるのはかなり重要だからな。


 そして徳川頼宣もニンマリ笑う。


「砂糖を出島で手に入れるより安く、琉球から手に入れたり紀州で砂糖が作れるようになれば利益は大きいからのう」


 徳川光義がそれに続く。


「我が尾張藩は長崎から大阪と江戸の航路の物資の輸送を手がけることになった。

 これにより表日本の諸大名に睨みを利かせることもできよう」


 俺はそれに頷く。


「はい、それはとても良いお考えかと」


 このあたりは本来ならば商人が全て独占してしまうのだが、酒にせよ醤油に味噌にせよ反物にせよ基本そういった商品は全て大阪に一度集積されてから全国に配送され、そういったものは下りもの、そうでなく現地で生産されたものはくだらぬものと呼ばれた。


 そういった物の輸送を行い、運送費用を取れば基本海防のための船であっても利益も上がるだろう。


 そして御三家が独占するのであれば、日本国内の治安維持的にも問題はあるまい。


 ちなみに意外かも知れないが江戸時代における日本は日本国内の海運は非常に活発だったんだぜ。


 そして徳川光圀がさらに続ける。


「それから唐の国や南蛮との交易の拠点の出島のほうだが流石に日の本の本土である三浦や下田に造ることは出来ぬ。

 ではあるがたしかに長崎では遠すぎて不便であることも事実。

 故に伊豆大島を交易拠点とし伊豆半島の山より船の動きは監視することにした。

 上様も神君大権現様に倣うべきであるかもしれぬといっておられたぞ」


 俺は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。

 これで俺の料理材料も手に入れやすくなるというものです。

 前に申し上げましたように唐や南蛮との交易には真珠や螺鈿で飾り付けをした金や銀の細工物、漆器や漆塗りの箪笥や長持、着物や樟脳、屏風や扇、浮世絵、伊万里焼、七宝細工などの美術品に加え、煎海鼠(いりなまこ)・干鮑(ほしあわび)・鱶鰭(ふかひれ)、干し昆布・干鯣烏賊(ほしするめいか)や干し椎茸などの乾物も加えられるとよいかと思います」


 徳川光圀がうむと頷く。


 後に清における中華料理の干しアワビやフカヒレは日本産が最高級とされたりするんで、今のうちにやっておけば金銀銅などの海外流出も最小限に抑えられるだろう。


 そして松平綱吉が続ける。


「それと三代の家光様がおこなった西洋関係の本の禁止や長崎通事の蘭語の読み書き禁止も一部解くことにした。

 上様は大奥の女中の解雇などもすでに行っておるしな。

 宗教関係以外の医術や天文術、算術、鉄の加工技術造船技術などの本は輸入できるようにしたぞ。

 ぽるとがるやいすぱにあ、えげれすなどの状況の情報収集は必要であるしそのための外交窓口と交易用の商館設置は大島で行う。

 長崎の出島の南蛮人はすべて伊豆大島の屋敷へ移ってもらう、長崎は唐人との交易は今後も許可するがな」


 俺はもう一度頭を深々と下げる


「まことにありがとうございます。

 南蛮や唐などの船が江戸近くに来るのは皆様も不安かもしれませんが、むしろ見えないほうが危険でございます」


「うむ、それに唐や南蛮書物を読めるようになるのは私にとっても意義のあることであろう。

 九州方面の大名が南蛮の情報を手に入れるのも難しくなるであろうしな。

 それに加え朝鮮通信使は廃止にすることにした。

 もはや彼らをもてなし諸大名に幕府の威光を見せつける必要性もなくなったからな、

 まあ対馬藩が半島と交易を行うのは今後も許すし半島に何か動きがあった際は当然幕府へ報告させるがな」


「はい、それは良いお考えかと」


 そういえば綱吉も勉強が大好きな人だったっけ。


 これで幕末に致命的なまでの西洋と日本の技術の差があったのも少しは変わるかもな。


 そして朝鮮と江戸幕府の関係断絶というか朝鮮通信使の廃止は俺は正解だと思うぜ。


 実際1764年を最後にその後は追い返してるし、新井白石も金がかかりすぎると簡素化しようとしたしな。


 幕府は朝鮮や琉球を支配下に入れているということを諸大名に見せつけるために、一回100万両(おおよそ一千億円)という多額の費用をかけて彼らを歓待していた。


 そして費用はすべて日本持ちだった、これは秀忠や家光の時代には無論意味があった。


 秀吉の朝鮮出兵の文禄・慶長の役の結果、日本に朝鮮が貢物をおさめ、頭を下げたと諸大名に思わせることが出来たからな。


 朝鮮側は国交を閉ざして経済的に困り文化的に遅れている日本が朝鮮に泣きついてきたということにしてるけど、そのあたりは対馬藩が悪いと思うぜ。


 結局お互い相手に頭を下げさせるための行動だとおもっていたわけだからな。


 しかし、徳川への忠誠の意味合いで過剰な接待を受け続けた朝鮮通信使の一行は、どんどん傲慢になり日本人に因縁をつけたり、平気でいろいろなものを盗んでいったりもした。


 大名などはあくまでも徳川幕府の客人だからと彼らを厚遇していたのだが、李氏朝鮮の支配階級の両班である朝鮮通信使は自分たちが支配階級で偉いから歓待しているのだと勘違いした。


 たとえば朝鮮通信使の鶏泥棒は有名だな、李氏朝鮮では支配階級の両班が非支配階級の白丁のものを奪うのは当然の権利だったからおこったことでもあるのだが、当然それは日本では通じない。


 さらに江戸時代の日本では鶏は基本食べるものではないのに朝鮮では普通に食われていたという差もあったろう。


 さらに彼らが宿泊した施設である旅館では食器や布団など部屋のものをすべて盗まれたり、屏風や障子などを壊されたり、建物の中で痰唾をはかれたり、大小便をされたり、下女が陵辱されたりしていたから、朝鮮通信使が去った後の部屋は、それこそ強盗の入った後のような惨状だったそうだ。


 とは言え習慣の違いだからで済ますわけにも行かない。


 朝鮮の使者が清の国内で同じことをしたらどうなるだろう?


 間違いなく三族皆殺しだ。


 だから日本でも朝鮮通信使が犯罪行為を行ったら処罰するべきだったのだ。


 朝鮮から入ってくる朝鮮ニンジンは薬として珍重されていたが、一本10両のボッタクリ価格だった。


 それで吉宗は朝鮮人参も日本で栽培できるようにしてるんだが、朝鮮人参にそこまで高い薬効もない。


 ぶっちゃけ付き合っていてもいろいろなものを盗まれるばかりでメリットが何もないのが、この時代の李氏朝鮮だ。


 甘い顔をすればどこまでもつけあがるんだよなこいつら。


 ちなみに21世紀現代で俺がはたらいていた風俗のオーナーに在日韓国人がいたが、彼は最盛期には月に3000万、年で3億6千万の売上のある店などの風俗と不動産売買で億単位の金額でものすごい儲けていたが、一切税金を払わずにいた。


 そして税務署が来た時は韓国に逃げ帰ったりもした。


 まあ、結局は分割払いで払うんだが。


 韓国に逃げたままだと店や不動産を全部国に取られちまうし、税務署には結局勝てないわけだ。


 かと思えば性格もまともで可愛く人気があるのに、在日だということで陰口を叩かれていた女の子も居た。


 だから在日朝鮮人だから全員性格に問題があるというわけじゃ無い。


 それはともかく、朝鮮通信使は廃止して何か言われても無視するのが一番だとおもうぜ。


 日本にも清にも惨敗している李氏朝鮮が吠えたところで軍事的には何も出来ないだろうしな。


 しかし、その李氏朝鮮に朝鮮出兵当時の日本は船舶の艦砲性能では負けてるというのも悲しい話なんだがな。


 日本と李氏朝鮮は基本的に不干渉を貫き、お互いの国に漂着した船の乗組員は身元確認が取れればすぐ相手の国へ返したし、相手国の人間との結婚も許されていなかった、とされている。


 当時の朝鮮は高麗を滅ぼした李氏一族が王家として半島を治めていたが、庶民を貧しくすれば反乱が起きないと考え、わざと民衆を貧困化と文盲化する政策を取り技術者を極めて冷遇した。


 自分たちが火薬を用いて高麗を乗っ取ったから、同じようなことが起こるのを恐れていたのだろうな。


 その結果、高麗はアラブなどからも商人が来るそれなりにすすんだ国であったのに、李氏朝鮮は世界でも最も貧しい技術の遅れた国になり、その結果技術もどんどん衰退していった。


 まあ、江戸時代における日本も技術発展に関してはあんまり偉そうには言えないが、オランダと交易していただけ少しはましだ。


 で、こいつらは吉原にも長期宿泊して遊んでいったが、この費用も全て幕府が負担していたし、物をどんどん盗んでいったりした。


 俺にとっても朝鮮人が吉原に梅毒を持ち込んでる可能性も高いし朝鮮通信使廃止は歓迎だな。


 ちなみに一番最近には明暦元年の1655年に前の将軍徳川家光がなくなり、徳川家綱が将軍になった時に朝鮮通信使は来てるぜ。


「また、そなたの申し出た捨て子を預かって育てる悲田院や病人や怪我人を預かれる施薬院・療病院の設立の許可をする。

 設立費用及び運営費用は幕府より補助するとのことだ。

 土地は吉原遊郭の東、そちらの門外店の東側の泥町を使うが良い。

 ただし名称は養育院と養生院とすること。

 また野犬を引きとりその方で躾を行うようにせよ。

 同時に遊女の手習い芸事の教習所も整備するが良い」


「は、誠にありがたき次第です。

 どうぞよろしくお願いいたします」


 これでいろいろなものの海外からの輸入が今より断然早くなるはずだ。


 孤児院や病院、犬の保健所兼ドッグラン、それに遊女の手習い所も正式に造っていいことになったし、更にまた仕事が増えるな……いいことだが更に仕事が増えるのか……。


 自業自得とも言うがちと辛いぜ。

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