吉原弁財天の憂鬱 幕末の遊女黛の物語

 私はいつからここにいたのだろう?


 いつからかは記憶はない、いつの間にかわたしはここにいたのだ。


「弁財天様どうかわっちが三味線がうまく弾けるようになりますように」


 幼い女の子が私に手を合わせて一生懸命拝んでいる。


 私は芸事の神と云われている、だけど私が出来るのは私に願うものが持っている素質を十分に引き出すことだけで、元々素養のないものの芸の腕をあげることは出来ない。


 幸いこのこには楽器の才能もあるし優しい心もある、きっと願いは叶うだろう。


 その子は大きくなると黛という名の花魁になったのです。


 黛は美しく、素直で優しい性格で吉原でも評判の花魁になりました。


 そして彼女の願いは、幼い頃に別れた両親にあいたいというものでした。


 そして大きな地震が江戸を襲いました。


 このときは大勢の遊女が犠牲になり、その遺体は山谷堀を船に積まれて運ばれて浄閑寺に投げ込まれました。


 幸い黛は建物の下敷きにならずにすみましたが、直ぐに火が出てなんとか大門から逃げ出しました。


 遊郭が焼けてしまうと仮宅での営業になりますが黛は両親が心配でなりませんでした。


 そして楼主のつてで同じ妓楼の先輩の千代花という番頭新造を身請けしてくれた久次郞という裕福な男性に逃げ出す時に身につけていた櫛、簪、笄を渡して三十両を借り受けました。


 悲しいことに病で床に伏せっている千代花は看病のかいなく死んでしまったのですが、可愛い後輩であり花魁である黛の美しい髪飾りを手元において過ごし、その最期は安らかな死に顔でありました。


 そして黛はそうやって借り受けた三十両で行平鍋を千と二百集めると、江戸の六カ所の避難所に自らの名前の黛の名前で届けました。


 黛はその行動によって、江戸中の評判はうなぎのぼりでしたが両親には会えませんでした。


 なぜなら黛という名は両親のつけた名ではなかったからです。


 そして、借り受けた三十両もなんとか返済し、年季も明ける頃には黛にもいい人が出来ました。


 そして一年経って年季が明けたら所帯を持とうと、お互い誓ったのですが、悲しいことに流り病のコレラでこの男は死んでしまいます、黛は泣きながら男の葬儀をあげました。


 そして、黛は年季が明けたあとは、かって結婚を誓った男の両親の住む家へとやってきて男の両親とともに所帯を持つこと無く、静かに暮らしました。


 黛は願った両親と会うことも出来ず、将来を誓った男との結婚もできなかったのですが彼女はまだましな方だったのです。


 とある楼で一人の遊女が、体調を崩し床に伏せっていたときのことです。


 江戸も終わりの頃には遊郭の遊女は体の調子が悪くても、休む事など許されず、それどころか一日最低5人の登楼客を取る事を楼主から強要されていたのです。


 そしてそれができなければ、その分は店の損害として遊女自身の借金にくわえられました。


 その上、重い病気であっても、働かず怠けていると言う理由で、楼主や遣手婆からひどい折檻をされたのです。


 この遊女は病ゆえ大部屋で床に伏せっておりましたがこれを見た楼主は激怒しその遊女を天井から吊るして竹棒で何度も殴打しその上何日も食事を与えませんでした。


 そしてその遊女はあまりの空腹の為、客の食べ残した物を、小鍋で煮て食べたのですが、それを内儀に見つかり、激怒した内儀は彼女を柱に縛りつけ、見せしめとして、首から小鍋をぶら下げて、そのまま放置したため、その遊女は飢えと衰弱で死んでしまったのです。


 そして楼主も内儀も遊女の遺体を、浄閑寺に放り込んであとはそしらぬふり。


 しかし、その妓楼に楼内で首から小鍋をぶら下げた、遊女の幽霊を見たという客が大勢現れました。


 遊女の祟りで店が潰れるのを恐れた楼主と内儀はその遊女の霊を慰めるため急いで遊女の法要を行ったのです。


 そして遊女の霊は姿を消し、その遊郭はその後も遊楼の商売を続けました。


 ほかにも禿と呼ばれる幼い子供が面倒を見る花魁の機嫌によっては食事を抜かれたり、虐待されたりすることも珍しくなく、結核や脚気や肺炎で動けなくなればそのまま寺に投げ込まれました。


 客を取るようになっても粗末な食事が出ればいいほうで、短い睡眠による疲労、梅毒や淋病などの性病や結核、脚気などの病気、妊娠による中絶や出産、水銀や鉛による中毒、客を怒らせた、腹が減ったと他人の食事に手を出したと行われる折檻などで22歳まで生きれなかった女の子も多いのです。


 そして江戸の街にはコレラや麻しん、天然痘が度々流行し、大火や大地震のときも数多くの女の子が死んだ。


 それらの女の子たちは戒名もつけられず投げ込み寺と呼ばれる浄閑寺、西方寺、正憶院などに投げ込まれたのです。


 それなのに私は彼女たちを助けることは出来ないのです。


「ああ、弁財天様、今後も何卒私に財産を授けてくだされ」


 私に願い事をし喜捨を多くするのは彼女たちを物のように扱う楼主達だったからです。


 浄閑寺に投げ込まれた遊女は江戸の時代には嘉永までのころは年に10人位だった死亡者が安政から慶応の頃には年に50人に増えその後も吉原の死者が減ることは太平洋戦争という戦争が終わる頃までありませんでした。


「どうしてこうなったのでしょう?」


 私は自分の無力さを嘆いた。


「どうか今日はお茶を挽かないで済みますように」


「どうか今日は稼げて無事家賃が払えますように」


 働いている女性の嘆きも変わりません。

 そんな時のことです。


「弁天様、どうか浮かばず今もさまよっている遊女が安らかな眠りへつけますように」


 真摯にそう祈る男性が現れました。


「この人なら……願いを叶えてくれるかもしれない」


 私の願いとこの男性の願いは一緒です。


 しかし、やがてその男性は死んでしまったのです。


 私は私の持てる力を注ぎ込み彼を吉原が開かれた時代に生まれ変わらせました。


「きこえますか、死して幽界をさまよう魂の持ち主、私は吉原の女性の守護をする弁財天、今あなたの魂へ直接呼びかけています……。

 私に助けを求める吉原の女性をすくってあげてくださいそのための言葉を理解できる力とあなたが覚えた記憶を呼び覚ます力をあなたにさずけます。

 そしてこの呼びかけが終わったら目を覚ますのです。

 あなただけが苦界の女性を救える存在なのです」


 そして彼は無事に目が覚めたようです。


「この人ならきっと未来も変えてくれるでしょう。

 わたしにできることはこの程度ですが」


 しかし、彼は私が思っていた以上に頑張ってくれました。


 彼のお陰で吉原の遊女の悲惨な未来はかわりつつありますから。

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