経費節減のために黒板と白墨を作ろう、そして桃香は俺に拾われたことをどう思っているのだろうか
さて、吉原惣名主職の秘書の募集は一息ついた。
「これで惣名主職の方の書類仕事や情報管理、
接客対応などはある程度任せられるな」
だが、応募人数が思っていた以上に居たことから、俺が採用できなくてトボトボ帰っていった切見世女郎や町娘も結構居た。
彼女たちにも何か仕事先を与えてやりたいが、こちらも営利でやっている以上人件費を無駄に増やすことも出来ない。
人件費を削りすぎるのも問題だが、増やしすぎても経営が傾くから難しいとこだ。
21世紀現代の風俗店の損益分岐はだいたい月の売上が1000万ほどだがこれは女子給料比率が売上の50%から60%を占めるのが原因だな。
その他に電気代や電話代、ウォーターサーバー代などもかかるがでかいのは求人や営業の広告費だ。
タウンワークのような一般求人情報誌やホットペッパーなどの情報誌より風俗の広告費は馬鹿みたいに高いからな。
江戸時代では遊女の取り分が1割しか無い代わりに、女を女衒から買う金に加えて、見習い時代からの衣食住や教育の費用は全部見世持ちだったりもするからやはりある程度客が来ないと赤字になる。
俺は無駄に贅沢するつもりはないが見世の運営資金は結構掛かるから無駄に人をたくさん抱えることも出来ない。
其れはさておき、遊女は文を書くのが仕事だが紙も墨も筆も決して安くはない。
しかし、文字の読み書きや算術などは必須である以上これを使わないということは出来ない。
なので、俺は黒板と白墨(チョーク)を作ることにした。
実は黒板やチョーク自体は割と簡単に作れる。
黒板は木の板を表面をカンナで丁寧に削って真っ平らにして、そこに黒漆を表面が平らになるように塗って乾燥させれば出来る。
21世紀の現代でもホームセンターで売っているベニヤ板をサンドペーパーで平坦にしてそこに黒板用塗料を塗れば簡単に手作り黒板ができるので、小さな喫茶店などで店の日替わりメニューを書いたりデコレーションなどに使われたりするな。
まあ、100円ショップで買ったほうが安くて早いという話もあるが。
現代の黒板は厳密には濃い緑色だが、これは黒に白だと目に悪いとか、戦時中は黒の塗料が大量に必要だったので、緑にしたとか色々理由があるらしい。
もう一方の白墨(チョーク)だが原料は石灰石や鶏卵などの殻、貝殻などの炭酸カルシウムか石膏である硫酸カルシウムを粉にして水と糊を混ぜ焼成して乾燥すればいい。
現代であれば紙粘土をチョークの形にして乾かすだけでもいいらしいけどな。
炭酸カルシウムのチョークは硬くて重いので折れづらい代わりに太い線は書きづらいし消しにくいが粉も飛び散りにくい。
もう一方の硫酸カルシウムのチョークは古くから使われてるもので柔らかくて軽いが折れやすくケシやすいが粉が飛び散りやすいとそれそれ長所短所はある。
「よし、出来たか」
俺は黒板を2つとチョークを何本か作って俺の部屋へ戻る。
今日は久しぶりに俺が直接桃香に手習いを行う日だから、試しに使ってもらおう。
そんなことを考えていたら桃香が部屋に入ってきた。
「戒斗さま、今日もよろしくおねがいいたしんす」
そう言って深々と頭を下げる桃香。
「おう、頑張って覚えてくれよ。
今日はこの時代の日本の国と代表的な藩の名前を教えるからな」
「あい、よろしくお願いいたしんす」
「まず国の名前だが北からはまず陸奥だな」
俺は陸奥と黒板に白墨で文字を書く。
「陸奥でありんすか」
桃香も黒板に白墨で陸奥と書いた。
「うむ、うまくかけたな。
陸奥はムツともミチノクとも呼ばれるが日の本の東の道の一番奥だ。
その北は蝦夷地だな」
「あい、一番北でありんすな」
「そうだ、中でもでかいのが仙台藩で別名は伊達藩だ。
藤乃のお得意さんの伊達綱宗公が藩主だな」
桃香はコクコクと頷いた。
「なるほど、そうでありんしたか」
「ああ、で陸奥などの方言はズーズー弁というやつだな。
し、ち、す、つの区別がないのが特徴だ」
「そうなんでやんすな」
「お前さん達は陸奥やら加賀やら薩摩やらの殿様のお国言葉も聞き取れれて対応できないといかんからな。
頑張って覚えてくれ」
そう言って大まかな日本の地図と其れに対応した国名を書いた紙を渡した。
「あい、わっちがんばりんす」
そう言って強く頷く桃香、うんいい子だな。
桃香は一生懸命国名を書き写している。
この時代徳川将軍家や其の血統である親藩、徳川譜代の大名などでは三河なまりの言葉が普通に使われているので、水戸の若様などの徳川幕府関係者が俺の見世に来て話す時などはだいたい三河言葉なわけだが、大見世に来る大名が全て三河なまりで話すわけではない。
陸奥や出羽の東北方言でも地域によっては細かいところは違うしな。
日本全国から参勤交代で集まってくる大名の方言を理解して相手をするために必要な教養と言うのはいわばマルチリンガルに近い。
大きく分けても東北、関東甲信越の東日本、それより西の近畿を中心とした西日本、四国九州でほとんど全く違う日本全国の方言を理解しないといけないわけだからそりゃ大変だよな。
それにしても桃香は俺に拾われて果たして幸せだったんだろうか?
餓死するよりはましだとは思うが、遊女として生きるのは苦労も多い。
河岸店から拾われてきた子供と周りから見下されることも多いようだ。
藤乃付きの禿になってからはやっかみに変わっているところもあるようだがな。
生まれが悪ければ容貌や物覚えが良いほどやっかまれる。
「戒斗様、なんでそんな悲しい目をしてるんでありんすえ?」
桃香が心配げに俺を見ていた。
「あ、ああ、すまない」
そういう俺の目から何故か涙がこぼれ落ちた。
俺も21世紀現代では低学歴で苦労したからな。
そんな俺を桃香が小さい体でギュッと抱きしめる。
「おらにはおとうがいなくて寂しくて悲しかった。
でも悲しくて泣いてる時おっかあがこうしいてギュッと抱きしめてくれただよ。
そうすると寂しさも悲しさも忘れて心が温かくなっただよ」
ああ、せめてこの子にはこの後幸せになれるように頑張ろう。
こんなに性根の優しい子がこれ以上悲しい思いをしないように。
俺は笑顔で桃香を抱き返してから離した。
「ああ、本当に温かいな。
桃香、その気持をいつまでも忘れないでくれ」
桃香も笑った。
「えへへ、あい、戒斗様が元気になってよかっただよ」
俺が貧しい者を全員救えるなどとは思っては居ない。
だが出来る限り不幸なものを減らすことは諦めないでいよう。
「桃香、俺に拾われて桃香はどう思う?」
「わっちは快斗様に拾われて幸せでありんすよ。
うまいままも食えてきれいなべべも着れて冬の寒さに震えることもなくなったのでありんすから」
俺はそれを聞いてホッと心が軽くなった気がした。
「そうか、ありがとうな桃香」
ニパッと華が咲くような笑みで桃香が言う。
「ありがとうはこっちの言うことでありんすよ。
戒斗様、藤乃様につけていただいたりこのように手習いを自らしていただけるのはほんにありがたいことでござんす」
桃香みたいに優しくて可愛い女が俺の嫁に来てくれればいいんだがな。
しかし、俺の嫁になりたい女は商家の大店で金目当てな連中ばかりだ。
世の中はうまくいかないものだな。
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