生類憐れみの令の発令と俺の吉原惣名主就任
さて、美人楼の門外店での旗本奴の嫌がらせが水戸の若様のおかげでやんでからしばらくした後、西田屋の楼主で吉原惣名主の庄司甚之丞が中風で倒れそのまま死んだと伝えられた。
新吉原の楼主は四民外の非人であり現在の戸籍である人別帳にも載っていないので、基本的には坊主に見世に来てもらって葬儀を行ってもらうことも出来ず表立って仏教を信奉することも出来ない。
そして棺桶に入れてもらい墓地まで葬列で見送られることもない。
ただ薦(こも)で寺まで運ばれて無縁仏として処理されるだけだ。
吉原からは浄閑寺に運ばれることが多いのは山谷堀を船で運ぶことが出来るからだな。
服忌令(ぶっきれい)もまだ無いので初七日などもない。
「こう考えてみるとやっぱひどい扱いだよな。
まあ、俺の親父の場合もそうだったわけだが……」
服忌令は、公家や神社関係者には平安の頃からあった、死者が出た際の喪に服す「服喪(ふくも)」と、穢れを忌む「忌引(きびき)」を、武士や町人、農民に広めたものではあるが、例えば、父母が亡くなった時は、服喪日数が13カ月で、忌引日数が50日などというものを真面目に守ってると仕事が成り立たないので例えば商人は初七日までは店をしめたりしたが厳密に守っているわけでもなかった。
まあ、武士が父が死んだからと長々と喪に服していられる時代ではなかったのが戦国時代だからな。
それも変えたのが犬公方こと徳川綱吉だったわけだ。
ちなみに初代庄司甚右衛門の墓とされるものは一応あるのだけど、これはお寺と個人的に親しかったから出来たらしいが二代目以降は一緒に葬られているわけではないようだ。
また、俺は美人楼という遊廓でない名義の店での寄付を行ったり、浅草寺に許可を得て散所太夫で観音様のありがたさを伝えることで劇の観客を参拝者として浅草寺に送ったりと浅草寺とはそれなりの関係に有るから灌仏会に参加させてもらっているが。
結局寺の運営も金が必要だから金とこね次第ではなんとかなるということだな。
吉原は”ありんす国”だの”浅草の北国”などと呼ばれる事実上の治外法権みたいな場所で、吉原の中で町人や武士が殺人や刃傷沙汰などの事件を起こした場合は大門を閉じて、その間に町奉行や目付けがやってきて彼らを連行していくが、楼主が抱えている遊女を餓死させたり、折檻して殺したりしても殺人として咎め立てをされることはなかった。
これは楼主も非人、遊女も非人だからだな。
其れが余計に寺院から敬遠される原因になった理由でもあるんだが。
庄司甚之丞が浄閑寺に埋められて、頭ほどの大きさの墓石だけを添えられた様子を見れば哀れだと思うが、これが生前の行いの報いだと言われれば仕方ないとも感じてしまうな。
そんな時に幕府より立て札で江戸中に告げられたお触れが”生類憐れみの令”だ。
内容は俺が提出したものとほぼ同じだった。
1.捨てられた人間の子供の保護を行うこと。
捨て子を見つけたものは奉行所に届け出ること。
すてられた子供はみずから養うか、
またはのぞむ者がいればその養子とすること。
2.行き倒れの死体は見つけたものが寺院に申し出てきちんと埋葬すること。
病死であれば病が広まらぬように火葬とすること。
3.牛馬、犬猫の持ち主の登録を行うこと。
飼育している犬猫は首に赤い紐をつけること。
捨てられた牛馬がいればそれらを養育し、持ち主があればかえすこと。
登録された動物を捨てたものは処罰の対象とする。
街中にいる犬猫は飼主を探すこと。
飼い主が見当たらない場合は、自ら飼うか望むものに譲渡すること。
鳥類・畜類で、人が傷つけたと思われるものは奉行所へ届け出よ。
共食いや鳥獣などがみずから傷つけたと思われるものは届け出なくてよい。
4.辻斬り、試し斬り、町中の動物を殺すことの禁止。
江戸町内にて穢多非人、無宿の浮浪者、旅人、罪人、僧侶などに対する
辻斬りや試し斬り、動物の殺生を行うことを禁ずる、
また江戸町内の犬猫兎鶏を斬り殺して食べることを禁止する。
無宿のものがあれば奉行所に報告すること。
野犬については人の肉の味を覚えて優先的に人を
襲うようになった場合は殺して良い。
5.すべてのものは忠孝に励み、家族である親子・夫婦・兄弟・親戚は仲よくし
また下男下女が恨むような悪い待遇で働かせてはいけない。
6、人々はすべて生類へ慈悲の心からでるあわれみをほどこすこと。
この時人間を優先すべきであることは言うまでもない。
あちこちの立て札に張り出され、かわら版もでているが、内容にピンときている人間は少なそうだ。
しかし、この法令の4については俺が望んでいたものでもあるし、徳川幕府も江戸の治安維持のために早めにやっておきたいものだったのだろう。
慶安の変(由井正雪の乱)以降、阿部忠秋(あべただあき)や保科正之(ほしなまさゆき)などは江戸の治安を良くするために奔走してきたが、それに逆らっていたのが旗本奴たちだ。
辻斬りなどを平気で行った旗本奴を捕縛し、見せしめ的に切腹に追い込んだ上でこういった法令を出せば、部屋住みの旗本や浪人たちも多少おとなしくなるだろう。
まあ、根本的には職がないやつはどうにもならないかもしれないが。
結果として徳川光國に刃を向けてしまったのは、公儀の尻持ちを称していた彼らの正当性も奪ったしな。
そんなことをしている間に、俺達大見世の楼主に招集がかかった。
俺は身支度をすると寄り合い所に向った。
「邪魔するぜ」
俺が寄り合い所に行くとそこには勘定奉行・寺社奉行・町奉行の三奉行が勢揃いしていた上に水戸の若様なども来ていた。
「失礼しやした、本日は……」
と俺が言おうとしたところで水戸の若様が止めた。
「うむ、堅苦しいことはしなくても良い」
俺は頭を下げた。
「は、では失礼致します」
そしてまた入ってくる男が一人
「西田屋、庄司又左衛門(しょうじまたざえもん)入ります」
彼は身をすくめながら座敷に上がり隅っこにすわっていた。
惣名主の跡取りにしてはなんだか様子がおかしいな。
そして水戸の若様は言った。
「うむ、揃ったようだな。
では、始めるとしよう。
まず、西田屋!」
水戸の若様に言葉に体をビクンとさせる西田屋の息子。
「は、はい!」
まあ、俺よりは向こうのほうが年上だがな。
「その方の父は大小神祇組をそそのかし、私の公認した店に対して嫌がらせを行わせた。
そのように聞いているがその方はそのことを知っているか?」
顔面蒼白な西田屋、嫌がらせをけしかけたのはやっぱ西田屋だったか。
と言っても、息子にはどうしょうもなかったろうけどな。
「父が大小神祇組の方と付き合いがあったのは知っておりますが、そそのかすようなことを言ったことまでは私は知りませんでした」
「そうかそうか、ならば仕方ないな」
水戸の若様の声は冷たい。
吉原の直接の管轄は勘定奉行方なので、勘定奉行がその後言葉を引き継いだ。
「では、西田屋・まずその方の祖父及び父の拝命していた、吉原惣名主職をとき、西田屋は株取り上げのうえ、見世及び西田屋の一族の身柄は3代目吉原惣名主預かりとする」
西田屋は平伏する。
「は、はい、承知いたしました」
西田屋の扱いは次の惣名主次第でということか。
そして勘定奉行が俺の方を見ていった。
「3代目吉原惣名主、初代新吉原惣名主は徳川御三家及び浅草寺よりの寺社奉行の推薦もあるゆえ。
三河屋、そちを任命する」
俺は平伏していった。
「は、ありがたく拝命させていただきます」
うむ、これはとてもありがたいが事前の連絡は欲しかったな。
「また、そちらに吉原の人別帳の作成を命ずる。
新たに雇われたものや死んだものが出た時はかならず届け出るように。
死んだものの死因が不審であれば勘定奉行方が調査に入るゆえ心せよ」
「は、承知いたしました」
これは非人である遊女を牛馬犬猫の登録を行うようにするのと同じことではあるのだろうが、こうすれば遊女が楼主に無体にあつかわれなくなるんじゃないかな。
下手なことをすれば楼主が処罰されるようになるのだろう。
牛馬犬猫と同じ扱いでしか無いというのもあれだが。
「また以前旧吉原で行っていた課役を新吉原にて再び行うように命ずる。
ひとつめ
江戸城の煤払い及び畳替えの際には
吉原遊郭内より人夫を差し出すこと。
また近隣火事の際にも人夫を差し出すこと。
ふたつめ
山王・神田の両大祭には傘鉾を出すこと。
また愛宕の祭礼には各見世の禿の内で殊に美麗なる者を選び、
美服を装わせて練り歩くこと。
その他寺社仏閣の祭りに積極的に参加・寄付すること。
みっつめ
大老、老中、三奉行が出座する評定所の
2日、11日、20日の式日には
太夫をその場の給仕として差し出すこと。
以上である」
無論俺は頭を下げつつ言う。
「は、かしこまりました」
これは一見俺達の負担が増えて大変に思えるが、実は旧吉原の時はやっていたことで、吉原を売春街ではなく芸事の街に戻してくれて、江戸城の行事などにも参加できる権利をくれるということでもある。
祭りに関してはきっと浅草寺からほかの寺社にも吉原から金を引っ張ったほうがいいと伝わったのだろう、明暦に大火の後の移転だ何だでどの神社仏閣も金がほしいだろうからな。
今までは新吉原の遊廓の人間は祭りに参加できなかったが、これからは人や金や物を出す代わりに祭りに参加して良いということだからだ。
新吉原への移転の条件の一つの周辺の火事・祭への対応を免除するということが吉原を孤立させる原因としていたわけだから、これは良い傾向だ。
無論、せっかくカネを出さなくても良くなったのにと思ってる人間もいるんだろうがな。
次に勘定奉行は三浦屋に向っていった。
「三浦屋、そちには三河屋の補佐役として組頭を任命する。
三河屋はまだ若い、三浦屋、そちでうまく補佐せよ」
三浦屋が平伏する。
「は、身命に代えましても」
次に勘定奉行は勝山を抱える山崎屋に向って言った。
「山崎屋、そちには三河屋及び三浦屋のさらなる補佐を行う見世頭を命ずる」
山崎屋が平伏する。
「は、身命に代えましても」
勘定奉行があたりを見渡していった。
「今日の沙汰は以上である。
三河屋と西田屋を除き解散せよ」
俺と西田屋以外が頭を深く下げて言った。
「はっ!」
そして彼らは出ていった。
残されたのは俺とガタガタ震えている西田屋の三代目と水戸の若様、勘定奉行だけになった。
水戸の若様が言う。
「さて、西田屋、そちらは入婿であったな。
義父についてはどう思っていたかはっきり言ってもらおう」
西田屋は額を畳にこすりつけながら言う。
「はい、義父のやり方が良かったとは私も思っておりません。
三河屋の劇場での脱衣劇を無理やり当番制にしたが結果として西田屋の評判は落ちるばかりでした」
「うむ、そのようなことがわかっておるのであればよし。
三河屋のもとで心を入れ替え商売に励むが良い」
「ははっ、ありがとうございます!」
どうやら、西田屋の跡継ぎが拷問にかけられたりはしないで済みそうだな。
まあ、惣名主職どころか、見世の経営権まで俺に奪われるわけだが、命あっての物種だよな。
逆恨みして妨害行動とか取ってくることは……無いと思いたいが。
「では三河屋、西田屋の処遇はそちらに一任する。
好きなだけこき使うが良い」
「は、おまかせください」
と言っても、父親はともかく、こいつには俺は恨みもないんだが、こいつがどう対応してくるかだよな、とりあえずは西田屋の遊女の扱いは三河屋と同じにさせてもらおうか。
「じゃあ、西田屋の、そっちの見世の遊女の扱いも俺の店と一緒にさせてもらうぜ」
「ええ、そうしてください」
「あんたの内儀や母親が文句を言ってきた場合そいつには相応に対処させてもらうぜ」
「はい、それで構いません」
さて、これからどうなるのやらだな。
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