生類憐れみの令の提示理由とその他いろいろな提案

 さて、俺が将来発布される生類憐れみの令などの政治的な提案を、今この時点で徳川光圀などに提案したのは別に捨てられる赤ん坊や食われる犬がかわいそうだなどという感情的な人道尊重の観点からというわけではないし、日本を良い国にしたいなどという大それた考えを持ってるわけでもない。

 全ては自分や遊女の利益や安全のためだ。


 無論捨て子がかわいそうと思うという理由が全然ないわけではないし、犬が邪魔者扱いされている状況も変えたいと思ってはいるけどな。


 だが俺にとってはまずは江戸の町内を我が物顔でうろつきまわっている、旗本奴や町奴のようなすぐ刀を抜いたりする無頼者の取り締まりを早くしてもらいたいし、何かとあればすぐ刀を抜く斬り捨て御免な風潮もさっさと変えてほしいというところがまずは大きい。


 ”俺達より身分が上の旗本やら町人やらが事あるごとに刀を抜いて俺達は斬り殺されても文句も言えないんであんたらでなんとかしてもらえませんか”とは言えないからな。


 無論俺たちの若い衆の中にもドスを持つやつはいる。


 だが侍や町人相手に俺達の若い衆がドスを抜いたらそれこそ斬り殺されても文句は言えない。


「下の者は上の者に無条件で従う」というのが封建社会だからだ。


 だから若い衆がドスを持つのはあくまでも同格の他の遊郭や茶屋の若い衆からの自衛レベルでしか無いのだ。


 もちろん幕府もこいつらの取り締まりをしていないわけではないんだが、まだまだ手ぬるい。


 明暦の大火の後の万治から寛文の頃は、旗本奴や町奴の抗争が一番激化していた頃で、こいつらは金もないのに吉原の中をフラフラ歩いていたりする。


 そして誰哉行灯(たそやあんどん)を設置するきっかけになった西田屋の誰哉が斬り殺されたように、遊女が斬り殺されることは決して珍しくなかった。


 なにしろ武士は非人に対しての手討や罪人に対しての試し切りを堂々と行っているのがこの時代だからな、戸籍を持たない非人を武士や町人が殺しても彼らはあまり咎められなかったのだ。


 ファンタジーで言えば非人は奴隷、武士は貴族、町人は一般兵士みたいなものだと考えてもらえればわかりやすいかな。


 浅草の穢多がその神社周辺で大勢によってたかって打ち殺されるという事件が起きたときに穢多頭の弾左衛門は評定所に訴えを起こすが、評定所は「えたは良民の七分の一の価値しかない」と、その訴えを取り上げなかったことすら有ったくらいだ。


 しかし、犬を斬り殺してもいけないとなれば穢多や非人階級もそう斬り殺されなくなるんじゃないのかね。


 まあ、今のようにもし幕府の偉いさんがいる場所で揉め事を起こしたりしたら、そいつらは当然ただではすまないだろうとは思うけど。


 徳川光圀は今でこそ儒教を重んじてるが、若い頃は江戸町内で徒党を組んで辻斬りを行っていたし、紀州の徳川頼宣は昔は様斬(ためしぎり)を好み新しい刀が手に入ったら自ら囚人を試し斬りしたそうだ、そして今でもそういうことを行う武士は決して少なくない。


 吉原の廓の中では刀を預かることができるが、大門の門外に出れば旗本奴や町奴に絡まれる例も増えるかもしれない。

 だから可能な限りそういう連中は早く取り締まってほしいわけだ。


 また、犬経由で疫病が広がるのも防いでほしいし、浅草近辺は処刑場が比較的近くにあることで人間の肉の味を覚えた犬も多いことからそれらは殺してもいいことにしてるのも安全のためだ。


 うちの禿が襲われたりしたら困るからな。


 また、悲田院や施薬院・療病院を作りたいといったのも、これ等は本来藤原氏や施薬院氏と云った公家や寺社の管轄であり、ただの遊廓の楼主が勝手に作るようなことはできないからだ。


 しかし、幕府の直命であれば 公家や寺院も文句は言えない。


 実際に徳川吉宗は施薬院・療病院と同等の機能を持つ小石川養生所を作ってるしな。


 悲田院や施薬院・療病院自体は江戸時代の江戸にはないとはいえ、この時代は権利云々に関しては非常に厳しいし、基本的には仕事は代々受け継ぐものとされている。


 だからなにか新しいことをしたいと思ってもなかなか簡単にはできない。


 それが幕府の公的援助を受けてこういった施設を作れれば、年季明けの遊女や切見世女郎などの働き口がさらに確保できる、小石川養生所は幕府から年200両つまり現代で言えばおおよそ2000万円相当の支度金を支給されていた。


 500両で身請けした俺が言うと説得力が低いかもしれないが、200両は結構な金額だからな。


 それがあれば捨て子の面倒を見たり、病人の朝夕の食事を与えたり看病をしたり、洗濯をしたりする人間がたくさん雇えるわけだ。


 育てた捨て子は俺の楼の見世なりその他の劇場や店なり悲田院で働く側に廻ってもらったりしてもいい。


 またそういった施設を持てれば梅毒に対するペニシリンを直接患者に試すこともできるかもしれない。


 天然痘の人痘を試すこともできるかもしれない。


 それで結果が出れば大量に生成することもできるかもしれない。


 そうすれば梅毒などの蔓延にも対処できるかもしれないよな。


 ・・・

 俺は生類憐れみの令っぽいものの提案に続けてさらに提案を続ける。


「尾張の殿様が江戸患いになっておりましたが江戸患いを防ぐためにも皆様を含め江戸の住人は三食の一食に麦飯や玄米、雑穀米を含めるようにしていただきたいです。

 たしかに白米はうまいですし、すぐに力が出せるようになりますが糠を取り除くと江戸患いになりますし便秘にもなりやすくなります」


 これにたいして松平綱吉が言う。


「しかし、玄米や麦の飯は傷みやすいのであろう?」


 俺は頷いた。


「ええ、たしかに玄米や麦の飯は白米の飯よりは傷みやすいです。

 ですので庶民は薪代節約のため白米を朝炊いてお櫃に保管し、夕方は茶漬けにして食います。

 しかし、大名様であれば薪代をケチる必要もありますまい。

 脚気になって命にかかわるほうがよほど問題です。

 実際神君大権現様(徳川家康)は普段は三食を麦飯と豆味噌を食べて脚気にならずに長生きされました」


 松平綱吉は頷いた。


「たしかにそうであられたな」


 徳川光國も頷いた。


「尾張殿の話は聞いておる。

 私達も神君大権現様に倣うべきであるかもしれぬな」


 これで将軍家などの脚気が減ればいいんだがな。


「ええ、神君大権現様を敬うためと言えばそう文句も出ないと思います。

 それと、これは俺が遊女屋だからわかったことでもあるんですが女が妊娠しやすい日、妊娠しにくい日は ある程度決まってるようなんです」


 徳川光圀が驚いたように言う。


「なんとそうなのか?」


 俺は頷いた。


「ええ、女に月の穢れがきてから14日後その前後3日ぐらいが一番妊娠しやすいようなんです。

 なんで俺の見世では今その日は客を取らせないようにしています」


 保科正之が続けて聞いた。


「それが真だとすれば、世継ぎが欲しければそのときに夜の床をともにすればよいということか」


 俺は頷く。


「ええ、そういうことになります。

 子ができなくて困っている場合はそういったときに子作りをすれば子を授かる可能性が高まりますし、 逆に子ができて困る場合はそういった時期をはずしたほうが良いと思います」


 徳川光圀が頷いた。


「うむ、そうだなこれは良いことを聞いた。

 子が生まれず困っている家も子が生まれ過ぎて困っている家もどちらにも役に立つであろう」


 俺は頷いた。


「はい、どうかこのことを広めていただければと思います」


 これで世継ぎが生まれないで困っているところも少しは生まれる可能性も増えるだろう。


 むろん、最終的には運次第だが。


「それとこれは出過ぎたことかとは思うのですが三浦か下田に唐や南蛮との交易の拠点の出島は作れませんでしょうか?」


 徳川光圀が眉をしかめた。


「うむ、確かに出過ぎた言葉ではあるが、その方のことだ理由もあるであろうし述べてみよ」


 俺は頭を下げてから口を開いた。


「まずは琉球芋は元は唐から琉球に渡ったものです。

 またジャガイモは南蛮からもたらされたものです。

 このように外国から輸入できれば日本に利益をもたらすものは色々あります。

 しかし、窓口が長崎だと遠すぎて不便です。

 なので、できれば近くに作っていただければと思うのです。

 また、蝦夷や琉球との交易を幕府が直接行えば利益も上がると思います。

 蝦夷には米、味噌、酒、衣服、煙草、塩、縄、ムシロなどを持っていき蝦夷からは干し鮭、干し鱈、身欠き鰊、数の子、昆布、干しホタテなどを持って帰り琉球に対しても米、味噌、酒、衣服、煙草、塩、縄、ムシロなどを持っていき琉球からは砂糖、苦瓜、ウコンなどを持って帰ってくればよいかと」


 それに徳川光圀が食いついた。


「うむ、鮭や鰊、昆布やホタテはぜひ手に入れたいな」


 まあこの人はうまい食い物が好きだからな、そう思いつつ俺は続ける。


「更には蝦夷でくんどん石を掘り出したり、ジャガイモを栽培したり羊や山羊を飼ったりするのもよいかと思います。

 アイヌの領域を侵さないように共存しながらではありますが」


 徳川光圀が頷いた。


「うむ、くんどん石はなかなかに燃料として便利なようであるからな」


 俺は頷いた。


「ええ、水戸から持ってきてもらってすごく助かっていますよ」


 くんどん石、常磐炭鉱で採掘された亜炭を炭焼き小屋で脱硫したものだが、木炭より石炭は熱量も高い、なので鉄砲風呂で風呂を沸かしたりするのにとても役に立つのだ。


「話を戻しますが、海外との交易品のやり取りは長崎ですと江戸から遠すぎます。

 飛脚で頼んだりするにしても金も時間もかかりますし海外の情報が手に入るのも遅くなります。

 先代将軍家光様が鎖国令を出して西洋関係の本を禁止し長崎通事に蘭語の読み書きを禁止しておりますが最終的にはそれでは相手の言いなりになり結局南蛮貿易は損となります。

 なので蘭語や英語、大陸言葉などは覚えさせて値段の交渉はできるようにするべきですし海外に宗教関係以外の例えば医術や天文術などの本は輸入できるようにしたほうが良いかと思います。

 孫子いわく彼を知り己を知らば百戦危うからずとも申します。

 南蛮は危険であればこそ情報収集を詳しく行うべきかとも思います。

 ですので伊豆の下田や三浦の浦賀あたりに情報収集用の外交窓口と交易用の商館設置を行えば

 海外の有用な情報が入りやすくなりますし、交易も見張りやすくなります。

 また長崎や長門では見張りづらいですが江戸近辺であれば抜け荷も減るでしょう」


 実際は抜け荷、要するに密貿易はそこらじゅうで行われていて、名目上は長崎だけとされた華僑や蝦夷、ロジアとの貿易は、九州や四国、中国、北陸、東北では頻繁に行われてたようだ。


 つまり日本からの銀の流出は結局止められていないというわけだ。


「南蛮や唐などの船が江戸近くに来るのは不安かもしれませんが、元寇のときのてつはうをいつの間にか南蛮が鉄砲や国崩しにしたように。南蛮の持つ技術を知っておくのはむしろ必要なことです。

 そのためにも神君大権現様が三浦に英吉利(イギリス)人を住まわせて、船を造らせましたが、同じようにいざという時に外国船に、対処できる南蛮船の海外技術を導入した防衛用の海軍艦隊も

 作り出せば諸藩に睨みを利かせたりもできます。

 日本の沿岸を見回れば抜け荷や密航も減らせるでしょう。

 それにいざという時のための沿岸砲台を作ったり、その技術を高めたりするのは決して無駄にならないと思います。

 紀伊などで嵐の時の緊急避難用の寄港地も必要となるかもしれませんが、まずは第一歩として神君大権現様も行っていた、大型船による幕府海軍と称した、江戸から蝦夷、若狭、長崎、琉球、紀伊、

 そしてまた江戸を回る廻船を作り出すのはいかがかと。

 現在松前藩や薩摩藩が独占している蝦夷や琉球都の利益を幕府が直接の交易をすることで彼らが力をつけすぎたり幕府にとって不利になるような情報を彼らが隠蔽したりすることも防げます」


 実際幕末はこのあたりに致命的な部分があったからな。


「そして、和蘭陀(オランダ)や将来交易を再開したら英吉利(イギリス)などに対しては真珠や螺鈿で飾り付けをした金や銀の細工物、漆器や漆塗りの箪笥や長持、着物や樟脳(しょうのう)、屏風や扇、浮世絵などの美術品でも大丈夫かと思います。

 金銀銅などの地金と交換では高く付きますが細工物であれば量も少なくて済むでしょう。

 例えば」


 と俺は藤乃の胸元を指し示しその真珠で飾られたブローチを見せた。


「あのような衣飾りを西洋では高く評価するようです。

 日本では簪のような髪飾りくらいしかありませんが職人が細工を施すことにより価値を何倍にも高めることができるのです」


 徳川光圀は頷いた。


「うむ、金や銀をそのまま生糸や毛織物と交換するより細工物としたほうが良かろうな。

 羊や山羊も手に入れておくに越したことはなかろうしこれも上様に奏上しておこう」


 俺は頭を下げた。


「は、誠にありがたき次第です。

 どうぞよろしくお願いいたします」


 これでいろいろなものの海外からの輸入が今より金や時間がかからないで済むようになるかもな。


 それに幕府や親藩が潤ってくれれば、顧客として継続的に通ってもくれるだろう。


 顧客の収入が安定していないとこっちもやばくなるからな。

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