江戸時代の人間の体力は半端ない
さて、俺は腕利き大工に養蜂用の巣箱の試作を頼んでいる間に、万国食堂で使うための西洋野菜の種や羊や山羊などを水戸の若様経由で長崎奉行を通じて飛脚を長崎に飛ばして手に入れようとしている。
具体的にほしい野菜は玉ねぎ、唐辛子、セロリ、アスパラ、キャベツ、後は京野菜の金時人参などだ。
これ等のなかで玉ねぎやキャベツは現状日本に入ってきても食用ではなく観賞用とされ食材としては広まってない。
冬の鍋用に白菜も是非欲しいのだが、白菜は栽培がかなり難しいらしいので今はおいておく。
「特に玉ねぎやセロリがあればデミグラスソースやウスターソースができるしさらにトマトのタネを自家菜園に植えて夏にトマトができればトマトソースやトマトケチャップなんかも作れそうだしな。
唐辛子が手に入ればラー油も作れるし。
麻婆豆腐とかは色々調味料が必要だから難しいかね」
万国食堂を称するなら、マヨネーズだけだとやっぱり、ちときついよな。
マヨラーならなんでもマヨネーズをかければそれで済みそうな気もするんだが。
まあ、今手元にない西洋野菜などはすぐには手に入らなくても後々のために手に入れておくのは重要だろう。
牛乳があればホワイトソースは一応作れるけど。
さて、この時代の郵便は飛脚だが最速の速度の飛脚の宿場でのリレーだと、江戸から大坂の約500㎞を最短2日で手紙を届けることができた。
ただしその際は宿場ごと別々の飛脚に手紙などの荷物を駅伝のように受け渡していくために非常に多くの人数、具体的には50人以上を必要としたため、料金として金10両(おおよそ100万円)ほどかかったが。
また3日で届ける場合は金4両2分(おおよそ45万円)この場合は江戸から箱根、箱根から彦根、彦根から大阪をそれぞれ一人で一昼夜で走るらしい。
いや、21世紀現代の人間から見たら飛脚ってホント超人的だよな。
そしてこの時代の人間は、江戸から大阪を歩きでも13日から16日ぐらいで行けた。
一月半もあれば江戸から東海道を歩いて伊勢の伊勢神宮へお伊勢参りした後、中山道を通って信濃の善光寺参りしてまた江戸に戻ってこられたりしたんだな。
この時代は基本馬の使用は幕府の人間以外は禁止されているし自動車も航空機も鉄道もないので基本は皆徒歩なのだ。
そして船だが和船はまだ筵の横帆帆船しかなく陸を見ながらの運行だったので、大抵は歩きよりも時間がかかった。
うまく風が望んだ方向へ吹き続ければ2日ほどで大阪から江戸に着く場合もあったようだがな。
だから江戸から琉球の往復で一ヶ月というのはかなり早かったんだ。
「まあ、水戸の若様の場合自分が食ってみたいからと言う理由で急がせたのかもしれないけどそれでも運が良かったよな」
芋を幾つか切って調べてみたが特に虫食いなどはなかった。
ウイルスやら細菌やらの汚染は見ることができないのでどうしょうもないが、害虫の拡散については多分大丈夫だろう。
切ったものも普通に植えれば芽が出て育つので、とりあえず育ててみる。
幾つかは料理できるように残してあるけどな。
とりあえずは芋の天ぷらと干し芋と焼き芋でも作ってみるかね。
食ったら芋の甘さにびっくりするんじゃないかな。
ちなみに、江戸から長崎はおおよそ約1,250キロで大阪までの2.25倍ほどだが、飛脚で7から12日、歩き+船で一月ほど。
往復で一月半から2ヶ月くらいかな。
この江戸時代では長崎は幕府直轄の唯一の交易地でもあるし、情報収集の場所として重要なので飛脚もいたんだな。
もっとも朝鮮とは対馬、琉球とは薩摩、蝦夷とは松前経由で交易はしていたけどな。
しかし、幕末に幕府が外国の情報収集で薩長に後れを取ったのは、長崎から江戸までの到達にかかる時間の分の差というのも有ったろうな。
外国の情報が薩長より一月近く情報が遅れて伝わるのは正直幕末では致命的だったと思うぜ。
さらに一般の国民は唐国や朝鮮、琉球、蝦夷、和蘭陀(オランダ)ですらどこまで知っていたかわからないし、アメリカがいつできたか知ってる日本人もごく僅かだっただろう。
これは藩制度によるところも大きい。
藩というのは一つの国のようなもので、関所の通過は結構厳しい制限がある。
これは人間が逃げると困るからでもあり、情報が広まると困るからでもある。
特に江戸時代初期ではまだ戦国期の風潮が残っていたので、いつどこかの大名が攻めてくるかわからなかった。
浅草に寺社や遊女や歌舞伎役者のような穢多非人が集められたのも、東北から江戸に攻め込んだものに対する、最初に略奪を受ける対象をそういったものたちにするためでも有った。
これは品川や新宿などの江戸の端となる場所も同様だった。
なので、薩摩芋が薩摩に伝わってもなかなか広まらなかったし、悪政が行われても領民は逃げることが難しく餓死したりする人間が増えたりする理由でも有ったりしたんだ。
もっともこの時代のヨーロッパ諸国は特にアメリカ大陸では非道なことをこなっているし、あちこちの地域を植民地にしてるとても危険な存在でインドなんかはひどい目に遭ってるから、秀吉から続けられた、カソリックの宣教師排除活動及びオランダ商人にたいしての日本へのキリスト教持ち込み禁止は正しかったと思うが、伊豆半島か房総半島の南端にオランダ商人の出島を設けてもいいと思うんだけどな。
徳川家康などは江戸は海の直ぐ側だったので船で接近されての艦砲射撃での攻撃をよほど恐れていたらしいのは確かなんだが。
大阪の陣で自分も大砲を用いて大阪城を攻撃したから、船に大砲を積んでの城への攻撃を恐れていたんだろう。
しかし、長崎でもペリーの時の下田でも対して変わらない気はするんだよな。
「まあ、ただの遊廓の楼主でしか無い俺にはどうにもならんがな」
それから、この時代の人間はみな普通に21世紀の現代人より力も体力もある。
米俵一俵はおおよそ60キログラムだがその重量に決められたのは、成人した大人なら男女問わず誰でも背負って運べる重さだからで、米2俵は馬一頭で運ぶのにちょうどよい重さだったからだ。
言っておくが持ち上げられる重さではなく持ち運びでできる重さだからな。
「いやいや、すごいよな、俺には無理だわ」
まあ俺の見世の遊女にも無理だろうけど。
「旦那、炭を一俵お持ちしました」
「ああ、いつもありがとうな」
「いやいや、旦那のところみたいな大見世のお客さんはうちもありがたいですよ」
「まあ、暑くなったら炭を買う量も減るかもしれないがよろしく頼むわ」
「へえ」
ちょうど今持ってきてもらったが炭売は炭を炭俵一俵(すみだわらいっぴょう)(おおよそ15キログラム)は銀3匁(おおよそ6000円)、薪売は薪を薪一束(まきいっそく)(おおよそ7キログラム)は4文(おおよそ100円)とかだが炭売は四表(おおよそ60キログラム)、薪売は十束(おおよそ70キログラム)を背負子にせおって武蔵野の国分寺や八王子からやってきたりする。
田舎だとそれこそ薪は二束三文にしかならないが、江戸では高く売れるから、わざわざ重い薪を背負子で背負って、江戸まで運んでくるわけだ。
冬場の部屋の暖房は火や煙が出ない火鉢の炭がほとんどだからな。
後は湯沸かしも鉄砲風呂だと炭を使うことのほうが多い。
炭は高いし基本バラ売りはしないので、安い竹炭や炭の粉を固めて丸めた炭団(たどん)のほうが町人にはよく使われていたがな。
若い衆が井戸から水を汲み上げて湯船に入れている姿が見えるが、水は重い。
なので水汲みというのは重労働なんだよな。
しかし、まだここは井戸で水が汲めるだけいい。
隅田川を越えた本所(現代の墨田区)や深川(江東区西部)などでは隅田川のせいで玉川上水などの上水道がなかったため水売が水を売っていたが水桶2つの一荷(おおよそ水が50リットル、重さは桶の重量も含めて70キログラム程度)が40文から100文程度だった。
これは買う方には高いが売る方には高いとは言える金額ではない。
本所深川では上水道はなく井戸水も飲めた代物ではなかったので、水を運んで売る水売は街の生命線でも有った。
暑い日も寒い日も雨でも風でも休めない水売は真面目で人の役に立つことを喜びとする人間でないと務まらなかった。
水売は水瓶の蓋が開いていると、その水を捨てて新しい水を入れたりした。
水売には得にならないことだが、ネズミや猫などの糞尿が混じったり、ボウフラなどが湧いたりして家のものが病気になっては困るだろうと言う人情で水売はそういったことをやったのだ。
「おはようごぜいやす、今朝取れた蜆(しじみ)はいかがですか」
「おう、もらおうか」
「へい、まいどあり」
もちろん江戸前の魚や貝、甲殻類などを売る魚売りや野菜を売る野菜売りなどもいた。
重さはやっぱり一荷の60キログラム程度で一日の売上は200文(おおよそ5000円)くらいが多かったようだ。
こういった行商をする人は21世紀現代でもちょっと前までは結構見かけて、駅前でおばあちゃんが採れたての浅蜊やハマグリ、ワカメなどの海産物やつきたての餅などを売っていたりしたんだけどな。
このように60キログラムから80キログラムの重さのものを普通に背負って、売り歩く行商人が江戸の街にはたくさんいた。
この時代の江戸は物価が高い、その理由は必要なものをこちらから買いにいくのではなく、こういった行商人達が遠くから江戸の街まで生活に必要なものを売りに来ていたからと言うわけでもあるのさ。
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