寛永の飢饉と鈴蘭の過去

 あれは何年前のことだろう、寛永の終わりの頃だと思います。

私は出羽庄内藩は村山郡の山里の生まれでした。

里は山の中の狭い村で、棚田と麦畑がポツポツとある土地の痩せた寒い村でした。

私の家はじっちゃとばっちゃ、おっとうとおっかあ、上の兄ちゃんとふたつ年下の妹、そして生まれたばかりの弟がいました。


 ある年の事、蝦夷のお山が噴火して、山から振り散った灰がうっすらと田畑につもり、夏寒くなると米が半分も取れなくなりました。

しかし、小作人が納める米の量は穫れた量にかかわらず毎年一緒です。

おっとうがお代官に米を納めるとなんとか種籾と幾ばくかの食べられる米が残るばかりでした。

その年、下の弟はおっかの乳の出がわるくなって、弱って死んじまいました。

でもそれはまだまだ序の口だったのです。


 翌年も長雨と冷風で、米の不作が続きました。

おっとうやじっちゃん、ばあちゃんたちは山の芋を掘ってきて私達に食わしてくれました。

しかし、ある日、おっとうと一緒に山に入ったじっちゃとばっちゃが家に帰ってこなくなりました。

私はおっとうに聞きました。


「じっちゃとばっちゃはどこいったの?」


 おっとうは私に


「じっちゃとばっちゃはな、遠い国に行ったんだ」


 と言いました。


「じっちゃとばっちゃはいつ帰ってくるの?」


 と聞く私におっとうは


「じっちゃとばっちゃはもうかえってこねえんだ。

 帰ってこれねえ遠い国に行っちまったからな」


 そう言って私の頭をなでたのです。

もはや食べるものに米はなく、山の芋や粟や稗を蒸(ふか)した味気ない食の毎日でした。


 しかし、不作はさらに翌年も続きました。

茎だけ伸びて稲穂の実らぬ稲が放置される田も増えました。

出羽庄内藩の領主酒井は、早害水害などの天災があっても少しも減免しなかったので米を払えぬ百姓が逃散したのです。

そして残ったものは食うものを求めて食える草根木皮をあさりに山にはいったのです。

どんぐり・栃の実・松の実はもちろん、田畑の畦の彼岸花の球根の毒を抜いて食い、毒草でない野草根を摘んだり、掘りだしたりして飢えをしのぎ、幾ばくかの冬季の貯えとしたのです。


 そこへやってきたのが私達姉妹を買い受けた山女衒(やまぜげん)でした。

山女衒は貧困に喘いでいる農村や漁村を回っては幼い女を買い、それを必要としている場所に売る仲介人です。


「お前さん達、江戸に出れば白い飯も食えるし、赤いべべも着れるぞ」


 その男はにこやかにそう言い、しかし冷ややかな目で私と妹を上から下まで見たのです。


「お前さんらは器量もいい、あわせて七両でももとは取れる」


 そしてすでに話はついていたようでした。


「おまえたちすまないね……」


 妹はあまり良くわかっていなかった。


「白いまま食えて、いいべべ着れるんだって。

 うれしいね、姉ちゃん」


「あ、ああ、そうだね……」


 おっかは私と妹を抱いて泣いていた。

でも仕方ない7両あれば3人で4年は食えるはずだ。

おっとうは兄と一緒に野良仕事に出ている。

田畑をつぐのは兄、私たちはこういうときのために育てられたのだと理解した。

子消(コケシ)されたり、山に捨てられるよりは多分ましなのだろう。

いや生きている方が辛いかもしれない。

その夜、寝藁の中でみんな泣きながら眠った。


 いよいよ私と妹が売られていく日、村の広場には20人ばかりの女童が集まっていた。

下は5歳から上は14歳まで。


「ほれ行くぞ、チビども。

 ちゃんとついてこい」


 私達が村から出る時、おっかあだけは泣きながら広間に見送りに来てくれた。

父と兄は私達を売った金で冬を越せるだけの食い物を買いに行っているのだろう。


 私と妹はごくわずかな手荷物を風呂敷に詰めて背負いあるき出した。

そして、生まれた村から出る時、私は村を振り返った。

貧乏で寒く暗い村だったけど、村を離れるとなると急に悲しくなった。

皆で泣きながら山女衒に手を引かれて山を越え、越えた先にまた同じような村があり、お里に帰ってきたかと喜んではここはお前らの村とは違うと言われてさらに泣いた。


 江戸まではとても遠かった、草鞋がすり減り、歩いても、歩いても、山の中の寂れた田畑の風景が続いた。

やがて歩き疲れて足が棒のようになり、女衒についていった私が、


「お江戸にはいつつくの?」


ときいても


「お江戸はまだまだ遠い先だ」


と言われ、そのたびに挫けそうになった。

道中で食えたのは2日に一回の握り飯だけ。

宿泊は粗末な木賃宿だった。


「せっかく金を出して買った、お前さんたちが死んだら困るからな」


 そう言われながら手渡された握り飯に腹をすかせた私たちは泣きながらかぶりついた。

一緒に売られた村の娘には14のお菊姉ちゃんも居た。


「おらな、年かさで器量も悪いって銀一匁(おおよそ2000円)

 でしか売れなかったからおっとうに罵られたんだ、この親不孝もんって」


「お菊ねえちゃん……」


 その話を聞いて私たちはまた泣いた。

そして、お菊姉ちゃんは関所を抜けたあとの街道筋にある大きな旅籠に足洗女としてうられた。

通り掛かる男を自分の旅籠に引き込んで男の世話をして銭を稼ぐそういう仕事だ。


「まあ、あの娘でもこのあたりならそこそこ売れるだろ」


”買ってうれしい花一匁。

 まけてくやしい花一匁。

 あの子が欲しい、あの子じゃわからん。

 この子が欲しい、あの子じゃわからん。

 相談しよう、そうしよう”


 この童歌(わらべうた)のように、口減らしのためにたった銀一匁で売られ、銀一匁で男に春を売る娘も居たのです。

親はいくばくかでも金が手に入り、しかも口減らしできるとあれば女衒の言うことに従うしかない場合もあったのです。


 一緒に居た女の子達は、途中の旅籠で一人売られ二人売られと減っていき、千住の宿町でほかの娘達が全て売られると残ったのは私と妹だけになりました。


「さあ、山谷の兄貴のところへ行くぞ」


 そうして山谷田町の町女衒のお屋敷に私たちは連れられたのです。

町女衒は、町中で親が怪我や病気などになり仕事ができず困窮したり、商売に失敗したりした親を持つ娘を買って売るのですが、時折山女衒から娘を買うこともあります。


「兄貴、上物を仕入れてきましたぜ」


 派手な身なりの男の人に私たちは上下をじろりと見られました。


「ふん、悪くないな、10両だ」


「え、もう少し高くなりませんかね」


「ほかにも売りたいというやつはたくさんいる。

 やならけえりな」


「へ、へえ、では10両で」


「うむ、ではこれで」


 山女衒の男は小判を受け取って数えると、証文を書き始めました。

私と妹は取り交わされた証文を見せられて、わけも分からぬままにさらに売られたのです。

その町女衒のお屋敷で風呂に入れられ、服を今までよりきれいなものに着替えさせられたあと、私たちは吉原の大門をくぐってその中にある建物に連れて行かれました。


「お内儀様、娘を連れてきました」


 お内儀と呼ばれた年かさの女性は私たち田舎者でもわかるような上等できれいな着物を着て頭に飾られた簪もとても高価なものだと思った。


 そして彼女は私と妹を見定めるために、上から下まで視線を這わせた。


「ふん、二人あわせて15両だね」


 町女衒は一瞬何かを考えた後


「へえ、まいどあり」


 とにこにこ顔で金を受け取って出ていった。


「おい、お妙、ちょっと来な」


 お内儀と呼ばれた女性はそう言うと、”こん”と、手に持った煙管で、傍らに置いてある物を叩いた。


「へい、お内儀様およびで?」


 呼ばれたのは恰幅のいい年増の女性。


「新入り禿だ、あとはまかせるよ」


 とお内儀はそういうと、屋敷の奥へと消えていった。

その場に残った新しく来た恰幅の良い女性が言った。


「ふん、お前たちこれからは私に従ってもらうよ。

 私は妙(たえ)、この見世の遣手だおまえさんたち名は?」


 と、私達に言った。


「お妙様、はじめまして。

 私はかよと申します。

 どうかよろしくお願いします」


 妹が続く


「お妙様、はじめまして。

 私はさよと申します。

 どうかよろしくお願いします」


「ふん、お前たち顔を上げな、で年は?」


「私はななつになります」


「私はいつつになります」


 私たちの答えを聞いて彼女は鼻を鳴らしながら言った。


「ふん、まあ、悪くはないね。

 あんたらみたいな田舎娘でも仕込む時間がとれる」


 そう言うと、私たちは別の部屋に移された。


「ふたりとも全部脱いでからこっちを向いて、動くんじゃないよ」


 妙さんは全裸になった私の身体をくまなく見たり触ったりした。

特に胸と腰と尻、陰部は念入りに見られ触られ、指を入れられたりしたが、私は黙って耐えるしかなかった。

むき出しになった“女性器の膣口”の位置を確認するのは大事で肛門(けつ)と陰核の間は、二寸五分が良いとされ、女郎は上付きであることが上品の第一条件とされたらしいです。


「ふん、なるほど確かに悪くないね、上玉だ。

 まだ誰も手を出してないようだしね」


 場合によっては女衒が手を出したり、年によっては処女でなかったりする場合も多いのでそういったことも確かめるのだそうだ。


「よし、暫くはあたしの下で雑用しながらまずは廓言葉を覚えてもらう。

 それから先は姐さんにつくか、楼主や内儀につくかして仕事を覚えてもらうよ」


「はい、どうぞよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


 私達姉妹は、こうして吉原の大見世、玉屋の禿として引き取られた。

白い飯も食え、村の時よりはいいべべも着れた、藁ではなく布団でねられたことに私たちは喜んだ。

たとえそれが古い虫食いでも、村では食えなかったものだから。

そして廓言葉を覚えながら、金具磨きなどの雑用をして私達は日々過ごしていた。

でも、禿の食事の量は十分じゃなかった。


「姉ちゃん、ひもじいよぉ」


「わかった姉ちゃんの残った分もくいな」


「ありがとう姉ちゃん」


 私もお腹は空いていたけど、妹は私よりも器量良しだった。

そして私よりも若かった。

なので手習いを覚えさせてもらったりするのはいつも妹が先だった。

二人で7両、つまり私の方が安いのだ。


「姉ちゃん、今日は三味線が上達したって太夫様に褒められたよ」


「そう、良かったね」


 私は妹の頭をなでながら言った。

きっとこの子は売れっ子になれるだろう。

そして私は多分駄目なのだろう。

なら、せめて妹だけでもいっぱい稼げるようになってほしい。


 私は常にお腹をすかせていましたが妹のためにがんばれました。


 そして一年ほど経って、私は格子太夫の姉さんのもとへ、妹は太夫の姉さんへつけられました。

私は読み書き、九九、三味線、歌舞を必死になって覚え、なんとか15には振袖新造となれたのです。

そして17の水揚げのときは初夜と偽って何度も水揚げの宴を開かされました。


「おぼこのお前さんの初になれるとは名誉なことだ」


 そういうお客さんは私を抱いても初なのに血が出ぬことに首を傾げた人もいました。

昨年の大火で見世が焼け家宅に移動した後は、町人を相手に昼夜問わず何人もの相手を廻されました。


 それは妹も同じでした。


「ねえちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」


「ああ、大丈夫だよ、心配いらないさ」


 そして、新たな場所、千束の新吉原に移動してから、夜の見世が公儀より許可されました。

しかし、大火で家が焼けたお武家さんはいなくなり、場所も辺鄙になった昼見世は暇な毎日でした。


「おめえらの努力がたりねえんだ。

 もっと文を書け、客を呼べ。

 呼べない無能な女は他所に売るぞ」


 楼主が私達を怒鳴りつけ、稼ぎが少ない中、借金で文や紙を見世から買って書いても、やはりお武家様は来ません。


 ほかの殆どの格子は町娘や武家の出ですが、私は田舎の農民娘とお妙さんから廻ってくる見世指名の仕事もありませんでした。


「無駄飯ぐらいに食わせる飯はねえぞ」


 そう蔑まれろくに食事を与えられず、格子に座り続ける日々が続いたあと。

妹は揚屋で客を取っている中で、格子に座っている楼主が私を呼び出しました。

そこには他所の楼主らしい男の人がいて、私を見たその人は言いました。


「ふむ、だいぶ痩せてるが顔は悪くねえな」


「ならどうだ、引き受けてくれるか?」


「分かった、100両で引き受けよう」


「そいつは助かるぜ」


 そう、私は100両でまた別の見世に売られたのです。

他の格子たちは売られていくかわいそうな者を見る目で私を見ています。

私はこの後どうなるのかわからず、妹と別れさせられもはや絶望しか心にありませんでした。

部屋に有った私の少ない私物を風呂敷に包み背負って、新しい店の楼主の後ろについて歩きます。


「まあ、見世からいらない扱いされて心配なのはわかるがそう暗い顔をするな、今日からは多分大分ましになるはずだ」


「……はい」


「お前さん、うちの店の流儀に合わせて源氏名を変えたいんだがいいかい?」


「……はい」


 名前を変えられるということが一層私を惨めにしたのです。

でも、新しい店に行って挨拶をした後、楼主様は私に美味しいものを食わせてくれたのでした。


「まあ、いい、少しずつなじんでいってくれ。

 とりあえず飯にしようぜ」


 私の前に出てきたのはつやつやで炊きたての新米の白米、ひきわり納豆とわかめの味噌汁、よくわからない食べ物も有ったけど。

戸惑っている私に楼主様はいったのです。


「とりあえず飯食って元気だしてくれ。

 後、今日は早めに寝ていいぞ」


 私は目の前に置かれた膳に目を丸くしました。

こんな贅沢な食事は生まれて初めてだったから。


「あの、これ楼主様の食べるものじゃありんせんの?」


 楼主様は笑って否定した。


「いやいや、間違いなくお前さんのだよ。

 遠慮しないで食ってもうちょっと肉をつけな。

 女の体ってのは骨ばってるんじゃなくて触ったら柔らかく在るべきだぜ」


「あ、はい、ありがどうござびまず」


 私は泣きながら食べた、そしてその日はぐっすりたっぷり寝た。

妹は今ごろどうしているだろう、寂しくて泣いていないだろうか。

ちゃんと食べてるだろうか、せめて別れの挨拶はしたかった。


 そんなことが有ったのはつい最近だ。

今では一晩一人の客にたっぷり尽くして客を振ったり廻したりせずに満足してもらえるようにと指示されているからそのように頑張っている。


 そんなことを思い返していたら遣り手のおばさんから呼び出された。


「鈴蘭、仕事だよ。

 今日のあんたの相手は大工の親方。

 大工としての腕は確かだと楼主様も言ってるしうまくつなぎとめるんだよ」


「あ、ありがとうござんす」


 この見世では今は暇な遊女はいないし、やり手のえこひいきもない。


「わっちは幸運でありんしたなぁ、けどさよは今頃……」


 私は売られて幸運だった、けど妹は今でも玉屋で悲惨な状況で働かされている。

玉屋に残された妹をこちらの店に呼べたりすればよいのだが、私にはそんなことをできる権利はないし、そんなお金もない。


 売られた私達が村に戻れるかはわからないけど、この店でなら年季明けでも働かせてもらえる場所はいっぱいある、だから私自身は安心して今は働ける。

けど、さよのことは気がかりだ……楼主様に相談すればなんとかしてくれないだろうか……。

それで私に借金が増えるならそれも構わない、いつかふたりで一緒に笑って働けるようになれるのなら。


 私は楼主様に妹のことを話しました。


「私のかかえる借金が増えて年季がのびてもかまんせんです。

 どうか、玉屋から私の妹をここへ住み替えさせていただけんでしょうか?」


 楼主様は腕を抱えて悩んでいました。


「んー、そいつが人気の遊女だとするとなかなか難しいな。

 だが、玉屋も遊女の睡眠時間を増やす案には乗ってくれてるし前よりはましになってると思うんだが……」


 楼主様から返ってきた言葉は明快な肯定ではありませんでした。


「そうですよね……やはり無理ですよね」


「いや、無理だと最初から諦めてるわけじゃねえぜ。

 まあ、玉屋と話してみるさ。

 流石に住み替えできるかは金額次第なところはあるけどな」


 私は涙を流しながら頭を下げました。


「ありがとうございます。

 本当にありがとうございます」


「まあ、俺の手の長さなんてたかが知れてるが知ってる奴をなるべく助けられるにこしたことはないからな」


 そう言ってもらえるだけでも私にはとても嬉しいことです。

私達を売った父母はもう家族と思っていません。

だから私にとって妹はたったひとり残された家族なのですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る