玉屋との話し合いと姉妹のそれぞれの想い

 話は少し前に遡る。

玉屋の元女郎お鈴の妹のさよは千歳(ちとせ)と言う格子太夫となっておりました。

といっても、格子太夫になれたのはつい最近の今年のこと。

去年まではただの振袖新造でした。

そして千歳は花紫太夫付き禿の3番手でした。

一番は町人の娘、2番は武家の娘、その次が千歳で、皆格子太夫です。

上の二人が何らかの理由で花紫太夫の名前を引き継ぐことができなければ、花紫太夫が身請けされたリなどで引退した後に名前を引き継いで次の花紫太夫になる可能性もありますが、今のところはただの格子太夫です。


 そして彼女が生まれた里で面倒を見てくれたのはばっちゃと姉ちゃんでした。

ばっちゃが遠い国に行ってしまったと言われた後、姉妹は江戸に一緒に売られ、見世でも一緒に寝て、一緒に食べ物を食べました。

まだ小さい頃に彼女がお腹をすかせたときは、姉が食べ残したご飯を食べさせてくれました。


「姉ちゃん、ひもじいよぉ」


「わかった姉ちゃんの残った分もくいな」


「ありがとう姉ちゃん」


 妹にとって姉はとても優しい、母のような存在でした。

手習いを一生懸命して太夫様に褒められると姉も笑顔で褒めながら頭をなでてくれました


「姉ちゃん、今日は三味線が上達したって太夫様に褒められたよ」


「そう、良かったね」


 妹は姉に褒められたくて手習いを一生懸命頑張りました。

しかし、姐さんに付き人としてつけられた後は、なかなか一緒にはいられなくなりました。

付き人になった後はさまざまな雑用でお互い忙しくなってしまったからです。

姉が新造となり、妹も新造となったあと、それぞれに水揚げを済ませ、昨年の大火で見世が焼け仮の家宅に移動した後は、姉妹は町人を相手に昼夜問わず何人もの相手を廻されました。

今年になり妹が格子太夫になり見習い新造から独り立ちできて、久しぶりに姉と一緒に食事を取った時、妹は姉がかなり疲れているように見えました。


「ねえちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」


「ああ、大丈夫だよ、心配いらないさ」


 姉は微笑んでそう言いましたが、かなり無理をしているように見えました。

新吉原に移ってから姉は茶挽きが増え、妹も卯時(うのとき)(朝6時)に起きて、見送りをしたら寝て、巳時(みのとき)(朝10時)に起きて客をまた取りと言う生活だったので寝不足で当然フラフラでした。


 そんな中で、千歳は僅かな暇を見つけて、体に良くて安いと評判の”あげまん”という揚げたまんじゅうを禿に買いに行かせてそれを手に入れた千歳は姉に早速それを姉に食べてもらおうと姉の部屋に行きました。

しかし、そこにいたのは別の女郎でした。


「あれ? ここは姉さん、お鈴のお部屋でありんすよね?」


 千歳はそこに居た女郎に聞きました。


「ああ、お鈴なら別の見世に売られたよ。

 金の稼げない女郎はいらないってね」


「そんな……」


 千歳は手の持っていたあげまんを落として呆然としてしまったのです。

姉が居なくなってしまったのならこれから自分はどうすればいいのだろうと。

千歳は楼主と掛け合いました。

姉が売られた額を自分が稼げば姉を戻してもらえないかと。

楼主はそれは相手次第だと答えました。

落胆したものの、また一緒に働ける可能性がないわけではないと、妹はその日から必死になって働くようにしたのです。

・・・

 さて、鈴蘭の妹の住替えについて俺は玉屋へ出かけることにした。

そして玉屋の前についた所で玉屋の若い衆に楼主を呼んでもらう。


「よう、楼主は居るかい?」


「へえ、お待ちを」


 しばらくして楼主が店から出てきた。


「おう、三河屋のどうしたい?

 何か新しい話でもあるのか?」


 俺はそれには首をふって答える。


「いや、そうじゃねえ玉屋の。

 ちょっと話をしたいんで中に上がらせてもらえるか?」


「ああ、いいぜ」


 俺は玉屋の応接室に通された。


「手短に行こう、この前お前さんから買ったお鈴の妹もこっちに居るらしいじゃねえか。

 そいつも俺に売ってほしい」


 しかし玉屋は首をたてには振らなかった。


「そうは言われても、妹の方は格子太夫でな。

 小さいときから芸事を仕込んできた器量よしだ。

 お前さん相手とは言えそう簡単には売れないぜ」


 まあ、格子太夫ならそりゃ簡単には売れんわな。

一応、鈴蘭を買ったことに対しては恩義は感じているようなんだが、さて、どうしたものか


「ふむ、ちなみにいくらならこっちに出せる?」


 玉屋はしばらく頭のなかで算盤を弾いていたようだがやがて言った。


「最低限500両だな」


「500両か、若い格子太夫ならそれも妥当ではあるな」


 しかし500両といえばおおよそ5000万円か、金額としては決して安くはないな。

だが、桜ももうすぐ年季だしその後釜もいないわけじゃないが、19で格子太夫をつとめてるってなら、普通に考えりゃ、年季で桜の空いた穴を埋めて元はとれるとは思うがな……。


「わかった、そんくらいの金額だと俺の一存だけじゃ決められねえ。

 楼に戻って一度相談してからもう一度くるわ」


 ホッとしたような残念なような表情で玉屋はいった。


「おう、そうしてくれ」


 玉屋も金はほしいがそこそこ売れている格子太夫を簡単には手放したくないってところか。

俺は店に戻り、まずは母と相談した。


「鈴蘭の妹もうちに呼びたいんだが、玉屋から引き受けるには500両いるそうです。

 もとは取れると思いますが母上、住替えの許可はいただけますか?」


 母は頷いた。


「ああ、お前さんがうまくいくと思うならそうしなさい。

 灌仏会に私が参加できるようになったのもお前のおかげだからね。

 きっと稲荷権現も加護してくださるだろうさ」


 うむ、話が早くて助かる。

まあ、母さんも幼い頃に吉原にうられ、遊廓の内儀になった以上は浅草寺にお参りできるとは思っていなかったんだろうな。

本来ありえないと思うことがおこれば人の考えも変わる場合もあるってことか。


「ありがとう母さん」


 まず母親の許可が取れたから次は鈴蘭に覚悟を聞きに行こう。


「鈴蘭、玉屋からお前さんの妹を引き受けるには500両だそうだ。

 お前さんはその500両を引き受ける覚悟はあるか。

 そして、お前さんに何か有った場合は妹がひっかぶることになるってこともわかるか?」


 鈴蘭は少しだけ考えたあとで真剣な表情で俺に答えた。


「あい、わっちが一生かけてもその500両かえさせていただきんす。

 そしてわっちになにかがあると言う場合とのことですが、楼主様はそうようにならないようにしていただいていると思いんすどうか妹をお願いしんす」


 俺はその言葉に頷いた。


「そうか、お前さんの覚悟はわかった。

 後は妹の方にも確認はしてみる。

 妹がこちらに来たがらなければどうしょうもないしな」


「はい、おねがいしんす」


 鈴蘭はそう言って深く頭を下げた。

俺は500両と証文を用意すると再び玉屋に出かけた。


「玉屋の俺の母親の許可も取れたんで、貰い受けに来た。

 現金で500両、確かめてくれ」


 玉屋は驚いたように言った。


「まさか500両を即日即決即金とはな。

 お前さんの所はそんなに儲かってるのか?」


 俺は曖昧に笑いながら答えてみせた。


「まあ、500両を即金で出せる程度にはなんとかな」


 玉屋は心底羨ましそうに言う。


「羨ましい話だな、だがこれでこちらも余裕ができるな。

 正直助かるぜ」


 まあ、格子太夫の一番下とは言え遊女を他所に売らねばといかん状況なわけだからな。

500両あれば精神的にも楽になんだろう。


「なら、それで見世の遊女の食いもんをよくしてやってくれ。

 無理に昼見世をやらせず、食い物を良くすればお前さんのところも俺の店と同じように遊女が評価されるようになるはずだ。

 江戸の商人は近江や伊勢の商人を「近江泥棒伊勢乞食」と蔑すむが近江商人の損して得取れと言う考え方には学んだほうがいいと思うんだ」


 玉屋は俺の言葉に深く頷いた。


「たしかにそうかもな。

 俺も目が覚めた気がするぜ。

 おい、千歳をよんでこい」


「へえ」


 若い衆に連れられて美しく着飾った、しかし顔に憔悴の様子が見て取れる遊女が連れられてきた。


「おう、千歳。

 おめえさんは今日からお鈴と同じ見世に移動だ」


 その言葉に驚きながら喜ぶ遊女。


「ほ、ほんまですか、楼主様」


 玉屋がこくりと頷く。


「ああ、本当だ。

 まあ、向こうでも仲良くやれや」


「あい、わかりんした。

 ほんまにありがたいこってす」


 なんか妹の方も喜んでるようなので大丈夫だと思うが一応聞いておく。


「おう、一応確かめておくがお前さん

 見世の住替えに異論はないな?」


 妹は笑顔で頷いた。


「あい、もちろんありんせんです」


 うむ、妹がこっちには来たくないと言ったらどうしようかとも思ったが、どうやら杞憂だったようだ。


「なら問題ないな、今日から俺の見世で働いてもらうぜ」


 妹は深々と頭を俺に下げた。


「あい、よろしくお願いしんす」


 そして、千歳は俺の店に向かう途中に俺に言ってきた。


「姉ちゃんにかっていってやりたいもんがあるんで万国食堂って店によっていってもいいでやんすか?」


 俺は頷いた。


「ん、ああ、いいぜ買っていってやんな」


 千歳は万国食堂に立ち寄ると4文出して、あげまんを2つ買った。

ほかの女郎にも安くてうまいと結構売れてるようだ。


そして一緒に居た俺に昼間はここで働いている切見世女郎が声をかけてきた。


「おや、戒斗さま、今日はどうしたんで?」


 俺は笑って答えた。


「ああ、鈴蘭の妹を玉屋からうちに住み替えさせたんでな。

 今はその帰りさ」


 と切見世の遊女も笑って言う。


「なるほどその娘っ子も運がいいですな。

 まあ、わっちもですが」


 それを聞いて首を傾げてる千歳。


「どういうことでやんすか?」


 そう聞いてくる千歳に俺は答える。


「ああ、ここ万国食堂とか美人楼とか、後は吉原歌劇とかも俺のもってる見世なんだ」


 千歳はそれを聞いて目を丸くしてびっくりしていた。


「そ、そうだったでありんすか?

 てっきり格下の中見世かと思っていたでやんす」


 そう思われていたのか、まあ普通同格同士で売れないとされた遊女は住み替えしないからな。

俺は苦笑しながら言葉を続けた。


「まあ、中見世でも今、儲けてる見世はかなり儲けてるからな。

 大見世から遊女を買う店が出てきても驚かんが、とりあえず俺のところはそうじゃないぞ」


「そ、そうだったでやんすか」


「まあ、それはそれとして、お前さんの見世の住替えの身請け金500両を全部自分がひっかぶると言った 鈴蘭に感謝するんだな」


 その言葉に千歳は頬をおさえてもう一度目を丸くする。


「500両を姉ちゃんが?

 楼主様、それは本当で?」


「ああ、そうじゃなきゃそう簡単に住み替えできんだろ?」


 俺の言葉に千歳は真剣な表情で言った。


「なら楼主様、わっちの見世の住替え金はわっちにおっかぶせてください!

 わっちにずっと優しくしてくれた姉ちゃんにこれ以上苦労かけたくないんです」


 うむ、お互いに相手を信頼してるんだな。


「ん、まあそのあたりは鈴蘭と一緒の場所で決めようぜ」


「はい」


「で、お前さん、うちの店の流儀に合わせて源氏名を変えたいんだがいいかい?」


「あい、どんな名になるんで」


 俺は少し考えたあとで言った。


「お前さんの名前は茉莉花(まりか)にするぜ。

 うちの見世は花の名前で統一してるんでな」


 千歳あらため茉莉花は嬉しそうに言った。


「茉莉花、なんか洒落た源氏名でんな」


 そう言ってくれりゃ嬉しいな。

さて俺の見世に戻ってきて、俺は千歳を連れて鈴蘭の部屋へ向かった。


「おう、鈴蘭、いるか?」


 中から鈴蘭の声が戻ってくる。


「あい」


 部屋の中に居ることを確認した俺は茉莉花を連れて部屋に入る。


「楼主様、どうなさった、って、さよ?!」


 鈴蘭は呆然としながら目を丸くしている。


「姉ちゃん、姉ちゃーん」


 千歳あらため茉莉花は涙をながしながら駆け寄って鈴蘭に抱きついた。


「そうか、楼主様が連れてきてくれたんだね」


 鈴蘭も安心したような表情から涙を浮かべて、ぎゅっと妹を抱きしめた。


「うん、姉ちゃんに会えてよかったよぉ」


 そして、しばらく姉妹は抱き合っていた。


「あ、姉ちゃん、おなかすいてないこれ一緒にくおう?」


 茉莉花が袖から取り出したのは道中で買ったあげまん。

多分、鈴蘭はそんなに腹は減ってないと思うが、そんなことを横から言って野暮と言われたくないので黙っておく。


「うん、一緒にくおう、それにしてもなんだか痩せたね。

 大丈夫かい?」


 茉莉花から鈴蘭があげまんを受け取ると二人は笑顔で一緒にあげまんを食っていた。


「そういえば姉ちゃんはちょっと太った?」


 太ったという言葉に”ガン”と衝撃を受けたような表情で鈴蘭は言った。


「ふ、太ったいうな、丸みを帯びたんや。

 そういうお前は本当痩せたね。

 大変だったのかい」


 うんと頷く茉莉花。


「そうか、姉ちゃんが元気そうでよかったよ。

 うん、突然姉ちゃんがいなくなって寂しかったし心細かったし心配だったし。

 それに仕事もたくさんやったし」


「うん、ここの店の楼主様はいい人だよ。

 お前もすぐ太れるから安心しな」


「太れるゆうなよ、お姉ちゃん」


 そう言って笑い合う二人。

うん、この雰囲気でカネのことを言うのはちょっと空気読めって感じかも知れないが、話はしておかないとな。


「で、だ、茉莉花の身請け金だが」


 と俺が言うと二人は声を揃え言った。


「それはわっちが」

「それはわっちが」


 そういって顔を見合わせる二人。


「いいんだよ、私が楼主様に無理言って頼んだんだから」


 という鈴蘭。


「わっちの身請け金なんだからわっちが払うのが筋だよ」


 という茉莉花。


「じゃあ、お前さんたちの身請け金あわせて600両二人の連名での身請け金ということでどうだ?」


 二人は再び顔を見合わせてから言った。


「あい、それでようござんす」

「あい、それでようござんす」


 その様子に笑う俺。


「ほんと仲いいなお前たち」


 二人は笑って言った。


「あい、たったひとりの妹でっから」

「あい、たったひとりの姉ちゃんでっから」


 俺はもう一度笑って言った。


「まったく、似たもの姉妹が。

 じゃあ茉莉花、お前の部屋は鈴蘭の隣でいいな」

 

「あい、そういていただけんならありがたいこってす」


 まあ、これで二人がお互いの心配をせずに頑張って働けるならいいんじゃないかね。

借金が二人あわせて600両と言ってもふたりとも若いから年季あけまでにはなんとかなるだろうさ。

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